第5話 身勝手な思い、中途半端な告白
違う、そう言いかけて、その先は喉をつっかえた。
俺は簡単に人殺しを割り切れるほど冷酷な人間ではない。
結局致死性の毒物を守ることはできなかったし、カレーに仕込む時だってすごく迷って、ようやく行動に起こしたんだ。
そう言ってやりたかった。
それでも彼女の言っていることは正しい。
確かに俺はあって二日の人に薬物を盛った。
その罪悪感は俺の喉を締めあげ、言い訳をよしとしなかった。
「結構バレバレだよ。味とか匂いでバレるケースがほとんどだけど、誰が盛ったかわかっていれば仕草だけでも簡単にわかる。」
「目を逸らしたでしょ。沈黙は人に過大なストレスを与える。嘘をついていれば尚更だ。そういうとき人は動揺した内心を隠したがる。目を合わせないのはその典型さ。もし毒を盛るならもっと上手くやんないと。」
彼女の顔は得意げだ。
「ちなみに、超辛口で味を誤魔化そうとしても薬物特有の独特の風味は知っている人にとってはわかりやすいんだ。今度からはアーモンドを料理に加えてカモフラージュしたらいいよ。毒を盛る盛らないに関わらずね。」
俺は首を傾げる。
「それ超甘口だぞ。」
今度は彼女が眉をひそめた。
「俺は甘口が好きなんだ。それに入れたのも青酸カリじゃなくて……睡眠薬だ。」
「……そうか。」
馬鹿舌なんだろうか。
それにしても、超辛口と超甘口を混同したのであれば、最早味覚はないと言ってもいいだろう。
「そういえば、今は西暦何年だ。」
彼女の監視のもとカレーを作り直して食事に戻った後、食べている途中にそんなことを聞いた。
彼女は何かを忘れていたかのように独り言をこぼし、自分の部屋からデジタル時計を持ってきた。
表示された西暦は俺がコールドスリープで二十年ほど眠っていたことを示している。
俺は安堵のため息をついた。
「大丈夫?」
「いや、五十年くらい経っていたらどうしようかと思っていたけど、これなら家族も生きてるかもなと。」
「……そうだね。」
彼女の返答はどこか歯切れが悪かった。
そろそろ寝る時間という頃合いになると彼女は寝巻き姿に着替えたのだが、俺はその姿にいささかドキリとした。
制服姿で見慣れていたせいか、女の子らしいパジャマ姿の彼女は普段よりも増して可愛く思えた。これが所謂ギャップ萌えという文化であろう。
そして、いよいよ寝ることになりあてがわれた寝室に向かった。心労からか俺は見知らぬ部屋でもすぐに寝入ってしまった。
次の日、彼女の忠告通り朝から何時間も物資を求め死んだ街を彷徨い歩いた。家に戻ったのは昼過ぎで、その後は銃の使い方を一通り教えてもらった。
全くの初心者だが銃はそもそも国民全員が使えるように設計されてある。下手な先入観があったが撃つだけなら簡単だった。
銃を手に持ち俺に所作を教える彼女の顔はやはりというべきか、凛々しいと表現するほかなかった。
そうこうしている間に、あっという間に日は落ちた。
すでに月は上がって、本来ならようやく街も眠り始める頃だが、俺はベッドに横たわることはなく、じっと座っていた。
首筋に汗が一筋。
時計に意識を向ければむけるほど、針の進みは遅くなる感覚だった。
もういいだろうと、音を立てないように部屋を出る。
もう少し待ったほうがいいかと思ったが、我慢の限界だった。
台所で包丁を手に取って、洋室に向かった。彼女の部屋が近づくごとに踏み出す足はぎこちなくなる。
途中、たった一度だけ床を軋ませてしまった。
直後、その場に立ち尽くす。聞こえていないだろうかと少し心配になるが、余計なことは考えないようにした。今度は体重も鼓動も、一切を殺して気配を断つように、また歩き出す。
ドアノブに手をかけた時、質量のない重みが腕にのしかかった。
俺はこれから人を殺める、そう実感した。自身の不安を押さえつけるように奥歯を食いしばる。
扉を開けた時、彼女の格好が目に飛び込んできてしまった。
気温はおそらく三十度程度、夜といえども薄着でなければとても寝れたもんじゃないのだろう。
彼女の格好を見て、自分の中の男としての生理が否応もなしに反応する。
自分に吐き気がした。今から許されない大罪を犯そうというのに、どうしてこんな利己的で下劣な感情が出てくるのかと青筋を立てた。
今さっき覚悟を決めたばかりなのに、不純な自分の性に嫌気がさす。
この時ばかりは切り落としてやりたいと思った。
彼女が寝ていることを確認して、包丁振り上げる。
彼女の顔はひどく安らかで、このまま何もせず、ただ彼女の横顔を眺めていてもいいのではと、そう悪魔に囁かれたが、俺は激情に身を委ねて雑音をかき消した。
包丁を持つ手に殺意が流れた瞬間、視界がぐらついた。
ひどく歪な力みをもって包丁を彼女めがけて振り下ろす。
月明かりで照らされた刃は――彼女の寸前で湾曲し、俺はそのままベッドに叩きつけられる。
体の奥の血の気がサッと引いた。この感覚、覚えがある。
狙い済まされたかのようなタイミングと迷いのない体裁きに知覚は追いつかず、知らない間に包丁を持つ腕は関節ごと縛り上げられ、布団の上で組み伏せられる。
痛みにあげる自分のうめき声と、彼女の荒くなった息が、淡白な月明かりに混じる。
数十秒抵抗を試みたが彼女の熟達された技術を肌で感じ、為す術なしと悟ると俺はようやく降参した。
彼女は俺の持っていた包丁を取り上げる。
一言も発さないまま気まずい沈黙が流れた。
「惜しかったね。けど、残念ながら私に夜襲を仕掛けるのはよしたほうがいい。私のは人真似、寝たふりだから。」
彼女の言っていることはよくわからなかったが、最早理解しようとする気力も失せていた。
俺は彼女の顔をまともに見られず、その場から動けなかった。
彼女は明日も早いからと寝るよう促して、立ち尽くした俺の背中を押してくれて、俺はようやく部屋を出た。
罪悪感が頭の中にもやをかけて自分からは動けなかったのだ。
それから幾度か月が上がった。射撃にも慣れてきて、彼女からのお墨付きももらったというのに、一向に殺意をもって銃を握ろうとはしなかった。
彼女は俺の作る粗末な料理を文句ひとつ垂れることもなく、むしろ毎回笑顔を浮かべて美味しそうに頬張ってくれた。それで俺も彼女に何か貢献できている気がしていた。
「これ、睡眠薬入ってるでしょ。」
「えっ・・・・・・」
何度か飲食物に睡眠薬を入れはしたが、どれも失敗に終わった。
結局、あの夜以降直接的な暗殺を試みることはなかったのだ。
殺人の十字架を背負う度胸はまだ持ち合わせてはいなかったから、心のどこかで自分の力不足に安堵していた。
そして、彼女と暮らすうちにだんだんと恋心のようなものも抱き始めていた。仕方がないだろう?
家族も友人も何もない俺に唯一、文字通りこの世界でただ一人明るく接してくれる女性と一つ屋根の下で過ごしてるのだ。
彼女が俺の全てになるのは自明の理というもの。
好きな女の願いも無視して一方的に好意を抱くのはあまりにも自己中心的だと気づいてはいたが、それでもその思いを捨てることはできなかった。
ある晩の月の下、話の流れで貴重な酒を酌み交わすことになった。
彼女は自分から話を持ちかけたのにも関わらず、遠慮してあまり飲もうとはしなかった。
俺はもし酔ってくれたら殺してやれるかもしれないぞとおかしな発破をかけて彼女に飲むよう促した。
自分だけ楽しいんじゃつまらないと思ったからだ。
俺の方が先に酔いが回ってきて、昔は早く大人になりたいなと思っていたのに、気づけば年齢だけが重なっていったとか、たぶんそんな事を言ったんだと思う。
彼女は寂しげな顔をして答えた。
「大人になるべきだし、誰もがそうなろうとするけれど、大人だと言われる人は決まってどこか渇いてたよ。本当に目指すべきは子供だったんじゃないかな。いつまでも無邪気な理想を掲げる、そんな大人になりたかったよ。」
難しい話だなと、話半分に聞いていた。いくばくかして、会話も途切れ途切れになってきた時、俺は突然告白めいたことをした。
堂々と気持ちを伝える勇気もなくて、男らしくはっきりともせず、うだうだと遠回しにほのめかした。
今の関係を崩すのが怖かったからだ。彼女の望みを叶えようとはしないくせに、自分の思いは勝手に押し付ける所業はどれだけ傲慢なんだろうか。
彼女は飲み過ぎだと、優しい口調ではぐらかして、その場はお開きになった。
身勝手なことをした挙句、中途半端にしたことを、その時深く後悔した。
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