第4話 一度目の殺人未遂

 ◆◆◆

 翌日、俺は朝日で目を覚ました。眠い目を擦るのも億劫で、彼女が来るまで二度寝でもしようかと半身を捩った。

 そのとき、誰かの手に触れた感覚があって、俺は勢いよく体を起こす。


 隣で彼女が寝ていた。低血糖の頭に血が回る。

 不思議と恐怖は無かった。俺の目には依然として死にたがりの少女として映っていたからだ。


 昨日の発砲も焦った彼女が敷いたブラフ、子供が起こす癇癪と同じだ。

 自分を冷酷な殺人鬼に見せるためにデスゲームと称して自分を殺させようとしたにちがいない。


 それを分かっていても、結局承諾せざる終えなかったのだが。


 そのせいか恐れとはまた違う胸の高鳴りを感じていた。

 ……綺麗と言う印象は昨日から変わらない。


 清流のような彼女の髪が枕の上で流れている。


 身長は俺よりも高いし、年齢も変わらないぐらいであろうというのに、すうすうと寝息を立てるその横顔には若干の幼さが残っていた。


 しばらくその美人ぶりを堪能した後、もう一度、彼女と布団を同じにした。

 昨日から考えすぎたせいだろうか、温もりのある惰性を謳歌するのも悪くないと思ってしまった。


「……眠れない。」


 ◆◆◆

 日が高く上ってきた頃、俺は彼女に連れられて街中を歩いた。

 放棄された都市、一切の人気も生気も感じられなかった。

 ここまで見せられては信じるしかない。山積みの瓦礫と傾く六三四メートルの鉄クズを見てそう思った。


 コンクリートの箱が連なる、瓦礫の山々の間を縫うようにすり抜けて俺は彼女についていった。


 天高く昇る太陽に照らされて、彼女の黒髪は艶を増す。別に着飾っているわけでもない。


 薄汚れた、俺の記憶の中にある自衛隊の制服のような格好――今は国防軍だったか――に身を包んでいるものの、むしろその勇ましさがかえって彼女の魅力を引き立てているかにも見えた。


 道中、俺は静寂に耐えかねて、なぜ同じベッドに入ってきたかを聞いた。


「何かあったらと心配だったんだよ。だから、いつ助けを求められてもいいように同じ部屋で寝ることにしたんだが、残念ながら他に寝床がなくてね。だから、少し場所を分けてもらったのさ。君はコールドスリープから目覚めて間もないし、何かあっては大変だろう?」


「ええ、確かに昨日は随分と肝が冷えましたしね。」


「手厳しいな。」


 俺の皮肉に対し彼女は困ったように笑っていた。

 やはり俺の印象は間違っていなかった。

 彼女は心優しい死にたがりの女の子だ。

 いささか女の子というには大人すぎるが、少なくとも精神性は少女のそれに違いない。


「そういえば名前聞いてなかったね。」


「阿瀬湊です。」


「湊くんね、よろしく。」


 俺はきちんと名乗ったというのに苗字の一つも教えてくれないのには少し違和感を覚えたが、自分から聞くのも気が引けたので結局知ることは叶わなかった。


 我ながら度胸のないやつだ。


 着いたのはアパートの一角であった。彼女は俺をその中の一室に案内する。どうやら、此処が彼女の家らしい。

「今日は疲れたろうからいいけど、明日からは食料と物資の調達のために歩いてもらうから。」


「わかりました。」


「あと、敬語は使わなくてもいいよ。私はあまりそういうのが好きじゃないんだ。」


「はい。あ、分かった。」


 タメ口になれない俺を見て彼女は笑う。


「じゃあ、こっちにきて。」


 俺が近寄ると、彼女は奥の方の部屋の、中ぐらいの棚の中にあるものを引き出しごと引き抜いて俺に見せた。


 言葉を失ったのはこれが二度目になる。


「これが九十二式・・・・・・あー、拳銃で、これが手榴弾。睡眠薬、鎮静剤、麻酔、青酸カリ、それとこっちが拳銃の弾薬で、こっちはライフル用、種類がけっこう違うから気をつけてね。」


 彼女は淡々と俺がわかりやすいよう専門用語を避けて指さしをしたり、実際に構えて俺に見せながら説明した。


 俺は動揺を隠すのに必死で、彼女の説明は半ば耳をすり抜けた。


「あと、まだ銃火器を扱うのは危ないから、少しだけ待ってて欲しい。明日からきちんと使い方を教えるよ。」


「わかりました……」


 絶句した。


 話では聞かされていたし、昨日の時点で割り切ったつもりだったのに、いざ具体的な手段を説明されると死という漠然とした恐怖が生々しい輪郭を帯びてくる。


「敬語じゃないでしょ。」


「ああ、うん。」


 空返事だった。早く慣れなければ。

「じゃあ少し早いけどご飯にしようか。」


「あ、俺が作るよ。もちろん働く気ではいるけど、一応は居候させてもらう身だから。」


 かき乱された思考の中でも、これは自然と口から出た。


 昔から母親には恩に報いなさいと教えられてきたからだろうか、動揺していてもこれだけはしなきゃいけないという気持ちになった。


「ならお言葉に甘えようかな。材料はそこ。」


 彼女の指さした食料袋の中を見て驚いた。


 こんな世界だからレーションとか、日持ちするものしか残っていないだろうと考えていたが、実際には野菜やら米やらがちゃんとあった。


「野菜の方を優先的に消費してね。」


「これはどこにあったんだ、作っている人でもいるのか?」


「知り合いが農家もどきでね。ついこの前まで散々だったが、ようやく軌道に乗ったらしい。」


 俺は純粋な感嘆を口に出す。


「何が食べたい?」


「カレーかな、レトルトがあるだろう?」


 棚を見ると、そこには普通の甘口、中辛、辛口だけでなく、超辛口や激甘なんかもある。


「色んなのがあるんだな。」



「まあ、元々それは避難所だった場所の貯蓄物だから、色んな種類があったり、人が好き好んで食べないようなものが残っているのは必然だね。」



 少しして、彼女は外に行ってくると言った。そっけなく返事をする。


 扉は嫌に大きな音を立てて、彼女を見送った。沈黙が耳障りだった。感情をかき消すように料理に手を動かした。


 鍋を火にかけている途中俺はふと思いつく、今ここで毒を盛ってしまえば、と。

 気持ちに反して作業の手は止まる。ルーを煮込む音が訳もなく大きくなった。


 あいつはきちんと使い方を教えるまで俺に銃の使用は待って欲しいと言ってきた。

 おそらく、それまでは俺が殺しに来ないとそう踏んでいるに違いない。

 まさか俺が初日から殺しに来るとは思わないだろう。


 名案だ。そう直感するのと同時に、いや、だからこそ躊躇する。


 彼女の屍がありありと脳裏に浮かんできた。

 仮に本当に口にしてしまったら、そう考えるだけでとても怖い。


 命を汚した時の自分の手は想像するだけで恐ろしい。

 このアイデアはそれを実現するのに十分なのだ。


 たった一人、日が沈んだ暗闇の中、彼女の死体が転がったこの部屋で正気を保っていられるだろうか。


 誰も俺のことを知らない、助けてもくれないこの世界で、頼れる人も、ましてや会話する人さえいないこの東京で、俺はどうしたら良いのだろう。


 しかし、この機を逃せばもうチャンスがないかもしれないというのも事実。

 それほど、今は絶好のチャンスだ。


 俺は自分の皿にカレーをよそい、その後、奥の部屋から、青の小瓶を取り出して、錠剤をカレーの中に入れる。注意書きを見て、五錠ほど入れた。


 彼女の皿にもカレーをよそった後、小瓶を元の部屋に戻す。

 ひどく大きい帰りの音に手がびくりとした。


 彼女は皿の中を覗き込み感心する。


「おー、結構いい感じじゃないか。」


「いうてもレトルトですけど。」


 俺は間違わないよう薬を仕込んだカレーを彼女に差し出した。

 今の振る舞いはわざとらしくなかっただろうか。


「ありがとう。さ、こっちで食べよう。」


「ああ・・・・・・」


 返事が上の空になった気もするが、気づかれていないことを祈る。


 俺が入れたのは青酸カリではない、睡眠薬だ。



 青酸カリだと舐めたことはないが味が変わってしまうんじゃないかとか、眠らせた後ならどうすることもできるだろうとか、言い訳をいくらか考えたが、これが決断の先延ばしであることには変わりない。



 彼女がカレーを口に運ぶ時、自然と焦点はスプーンに当たる。

 一瞬、彼女と目が合った。

 咄嗟に俺は自分のカレーに手をつける。


 彼女の口に合うかどうか気になっただけだ、そういう体にしようと、彼女に追及された時の言い訳を考える。


 最も、彼女に疑われるような状況になった時点で失敗なのに変わりはないのだが。


「もしかして、毒とか盛ってる?」


 彼女の言葉で思考に一瞬のラグが生じた。

 心象を表情に出すまいとすればするほど、表情筋は硬直し自然な仕草ができなくなる。


 いつ気付かれた、どこが怪しかった?




 いや、むしろ彼女が賭けたのは此処からだった。

 少し沈黙し、彼と目を合わせる。

 彼は思わず、視線をカレーに移した。


 いや、と彼がなにかを否定しかけたのを遮って彼女は勝ち誇ったように喋り出す。


「やっぱり。」


 彼女は口元の寸前でスプーンを止め、見透かしたように口角をあげた。


「まさか会った次の日に実行に移すなんて。正直難しいかなと思ってたけど、結構切り替えが早かったり?」

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