第6話

目の前に湯気の立った美味しそうなカフェオレが置かれた。

向かいに蓮さんが自分の分のマグカップを置いて、椅子に腰かけた。

「暖かいうちに飲んで。」

「・・・ありがとうございます。」

マグカップを持ち、一口飲むと少しほろ苦く程よく甘いカフェオレの味が口の中に広がった。

「美味しいです。」

「口に合ってよかった。」

「・・・・」

「美海。」

「は、はい。」

話を切り出そうか戸惑っていると蓮さんが躊躇いがちに名前を呼んだ。

「話してって言ったけど、それで美海が辛いこと思い出すとしたら、無理に話さなくても良いから。」

「蓮さん・・・・」

なんでこの人はここまで優しいのだろう。

何故だか、蓮さんにだったら話せる気がする。

私の幻ではない、本当の自分を。

「嫌な気持ちになるかもしれませんけど、聞いてくれますか。」

「ああ。」

優しく言う蓮さんの返答に私は息をつき、昔の事を話し始めた。



私のママは、風俗で働いていた。

ママの両親の会社が経営が難しく、ママをその世界のオーナーに売ったらしい。

ママの両親は、ママより会社の経営をとったのだ。

その話は私を夜の間面倒見ていたママのおばあちゃんから聞いた。

おばあちゃんだけがママの味方だったらしい。

おばあちゃんはママを売った両親と絶縁し、ママの事を一生懸命面倒をみていたらしい。

風俗の仕事で日に日に痩せていくママの事も、その風俗で誰の子供か分からない子を妊娠してしまったママの事も。


おばあちゃんに聞いてみたことがある。

なんでママを悪いひとから救わないの?と。

おばあちゃんは悲しそうに言っていた。


「ママはね、あの場所でしか自分の存在を感じられないんだよ。

おばあちゃんもその前に助けられたら良かったんだけど。」

その時はなんでママは逃げないんだろうと思っていたけど、今なら分かる。

ママも、今の私と同じ、苦しんでいたんだと。

風俗で自分を求めてくる客にしか自分の存在意義を感じられなかったのだ。

お金にまみれた幻の愛のなかじゃないと、ママは生きられなかったんだ。


そんな生活が何年も続く訳じゃなかった。

私が小学生に上がる年に、おばあちゃんが亡くなった。

ママが風俗で働いている夜の出来事だった。


「ママ、おばあちゃんもう話せないの?」

「見て分かるでしょ?もう話せないわ。」

「おばあちゃんかわいそう・・・」

ボソッと呟くと、ママが私の顔を見つめた。

悲しそうな、でも怒りを秘めたような泣きそうな顔で。

「ママ・・・」

ママの手に触れようとした時、その手を強くはたかれた。

「!」

「仕事行ってくるから、1人でお留守番してるのよ。」

そう言ってママは私と距離を置くようになった。


私は幼稚園を卒園しても、学校に行くことはなかった。

1日分の食費を渡され、家の中で1人で過ごす毎日。

私はママの顔色だけを見て毎日過ごしているだけだった。


そして、とある朝だった。

目が覚めると、ママが玄関先で泣いていた。

目の前には借金の催促状の数々が散らばっている。

どれもママの名前じゃなかった。

「なんで私ばっかりなの・・・」

「ママ?」

「私って何のために生まれてきたのよ。あんた達の金稼ぎの為に生まれてきたの。」

「ママ・・・」

そんなことないよ、ママ。

ママ、泣かないで。

近づこうとした時だった。

「こっちに来ないで!」

涙ににじんだ甲高い声が部屋中に響いた。

その声に物怖じして私は立ち止まる。

「ママ・・・・」

「美海、ごめんね。ママもうダメみたい。もう美海の傍には居られない

。」

「なんで・・・美海、いいこでずっと居るから。わがまま言わないで居るから!」

「もう無理なの!このままだと、私・・・」

ママは辛そうな、そして恨めしそうに涙でぐしゃぐしゃになった顔で私を見つめて、掠れた声で言った。


「美海の事、殺してしまいそうなの。」

「え・・・」


ママは本当に限界だった。

私を殺して、自分も死んでしまおうと思ってしまうほど。

ママは立ち上がり、玄関のドアを開けた。

「ママ!」

私は精一杯叫んだ。

ママがどこか遠くにいってしまう気がして。

私の声に反応して、ママは振り返った。

そして、小さく呟いた。


「大好きよ、美海。」


ママは部屋から出ていき、数時間後にはスーツの女が入ってきた。

その人は黒い手帳を私に見せた後、私を家から連れ出した。

私は、ママから捨てられたんだとその時に分かった。


ひと通り話をして、カフェオレを飲むともう冷たくなり始めていた。

私こんなに長く話していたんだ。

「ごめんなさい、つまらない話を長々と」


目線をあげると、そこには涙を溢している蓮さんが居た。


「え、ちょっとやめてください。」

「いや、ごめん。でも耐えられなくて。」

手渡したティッシュで思いっきり鼻をかむ蓮さんを見て、つい笑みが零れてしまった。

「こっちこそ、重い話を永遠とごめんなさい。」

「そんなことないよ。逆に辛い記憶を思い出させてごめん。」

「もう過去の事ですから。」

「でも、美海にとってはたった1人の母親だったんだろ?」

「まあ、おばあちゃんがいた頃は普通にママでしたから。

でも、逃げる手段をとれなかったのはママの弱いところだったんだと思います。」


お店に行けば自分の事を求めてくれる人が居る。

例えそれがお金で買った幻だったとしても。

でも、それがおばあちゃんの無償の愛情がなくなった事でママの何かが壊れてしまった。

あの時のママを思い出すと、つい重ねてしまう。

今お金で幻の愛を売っている自分の姿と。


「美海。」

蓮さんが呟く。

きっと面倒くさいと思われたんだろう、と俯いた。

そして蓮さんは言った。


「パパ活をやめて、俺と一緒に住もう。」

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