どこかで聞いた誰かの噂

お面屋

表通りの喧騒から一歩踏み込んだ小路にちょっとばかり変わった店がそっと佇んでいる。

金装飾のされたアンティーク扉は黒く艶やかで、素朴な雰囲気の小路には少し浮いて見えた。ぶら下がったOPENの文字が時折、風に揺られては扉にぶつかってカツンと音を立てる。


そこは『お面屋』。

夏の屋台なんかで見かける物とは違う、少しばかり不思議な顔が買える店。今とは違う顔が欲しければ行ってみるといい。そうでなくても気になるのなら、是非とも行ってみるといい。何だかんだ話好きで少しばかりお節介な店主は、きっと変わらない顔で迎えてくれるだろうから。




昼過ぎのまだ夕暮れには遠い頃、走る足音と共に軽く息を切らせた“お客”がやってきた。押し開けられたドアの上で、ドアベルがからころと来店を告げる。短い黒髪に日に焼けた肌の女学生は整わない息のまま、どこか焦ったように言った。


「ねぇお面屋さん。とびきり綺麗で可愛らしい色白美人のお面ってあるかしら?」


こじんまりとした店内の殆どを占めるカウンターにどかりと置かれた柔らかそうな枕。そうしてそれにだらしなく懐いていた店主はやってきた客をそのまま迎えた。走ってきただけにしてはやけに赤い女学生の頬に、店主は口だけをパカリと動かして軽口を言う。少し掠れた、のんびりとした声だった。


「いらっしゃいお嬢さん。どうしたんだい?随分急いで。好いた人でもできたかい」


その言葉に女学生はプリーツスカートを揺らし、より一層頬を薔薇色に染めた。


「そう、そうなのよ。聞いてちょうだいよお面屋さん。私、私ね。好きな人ができたのよ」

「とっても、とっても素敵な人なのよ。可愛いところもあってね、お茶目な人なのよ」


堰を切ったように話す女学生は踊るようにたった数歩しかない店内を歩いた。ひらひらと舞う手のひらはブラウスの胸元をきゅうと握ったり、顔の熱を隠すように頬を覆ったりと忙しない。朗々と流れる話を聞いた店主は「そりゃあ良かった」と一言。そうして頭を枕に預けたままカウンターの裏を漁ってから、一枚の面を掲げるように取り出して見せた。


「それで色白美人の面だったね?これなんかどうだい?傾国の美女って話だよ」


それは白い陶磁器の肌に、濡れたように艶やかな赤い唇、切れ長の目にすっと通った鼻筋の匂いたつ色香をもった面だった。女学生はじっと彼女を見つめて、それから少し残念そうに首を振った。


「だめね。これはとびきり綺麗だけれど高飛車に見えてあまり可愛らしくはないわ」


「そうかい?それならこっちなんかはどうだい?」


店主はそう言ってまた腕だけをカウンターの裏に引っ込めるともう一枚、別の面を取り出して見せた。

すこし赤みのある頬に散った雀斑、笑窪のある口元、カールした長い睫毛にくりくりとした黒目がちな目は小動物じみた可愛らしさがある面だった。


「まぁ!とても可愛らしいわ」


女学生は喜色の混じる声で跳ねるように言った。けれども店主の「これにするかい?」という問いにはまた残念そうに首を振った。


「いいえ、とても愛らしいけれどとびきり綺麗じゃないわ」


それを聞いた店主はとても困った声で言う。それはのっぺりとした顔の眉が下がっていなくても、どうにもならないと困りきったのがよく分かる声だった。


「そうかい。それは残念だ。うちの色白美人は彼女たちだけだから、君の希望は叶えられそうにないね」


それを聞いた女学生は先程までの勢いを無くしてしまった。それから女学生は自分はなんて我儘なのだろうと恥じた。それでも、どうしても、彼女はとびきり綺麗で愛らしい白い肌の顔が欲しかった。

うろうろと店内をさ迷った目はきゅっと寄った眉と真一文字に結ばれた口元を最後に、俯いてしまった女学生の前髪に隠れて見えなくなった。


「そう。そうなのね。残念だわ」

「とても、残念だわ」


すっかり意気消沈してしまった女学生が震える声で零す言葉を店主は枕に懐いたまま聞いていた。店主には女学生がいつかの雨の日に軒下で震えていた子猫に見えたから。だからただ黙って話を聞いてやったのだ。

彼女は自分の感情を整理するかのようにゆっくりと話した。初めて目が合ったとき、恥ずかしくてすぐに逸らしてしまって後悔したこと。初めて話しかけたとき、今までに無いくらい緊張したこと。とても些細なことを大切な宝物のように話す声は震えて詰り、少し幼い響きをしていた。


「私ね、週末にね、好きな人と出かけるのよ」「趣味がね、映画だっていったら、見に行きませんかってあの人から誘ってくれたのよ」

「あの人、白い肌の綺麗な子が好きって聞いたの。だけれど私って色黒なのにこんなにも日に焼けてるでしょう」


「一寸だけチャンスが欲しかったのよ」


握りしめられたプリーツスカートのシワがぐしゃりと歪んだ。店主は静かに息を吐いて、どこか呆れの混じったような声でそっと呼びかけた。俯いてしまった女学生は「なぁに」と応えるもその顔を上げてはくれず、前髪ばかりがふらりと揺れていた。


「ねぇお嬢さん。約束の日は朝早いのかい?」

「いいえ。お昼よりちょっと早いくらいよ」

「着る物は決めてるかい?」

「ええ。花柄のワンピースを着ていくわ」

「髪もアレンジするのかい?」

「いいえ。私は短いから梳かすくらいしか出来ないわ」

「そうかい、そうかい」


少しばかり笑いの混じった声だったからか、水気の含んだ声で答えるばかりだった女学生が訝しんで顔を上げた。そうしてやっと見えた顔はきゅっと力んでいたが、店主を見て、呆けたように解けた。店主はただ頬杖をついていた。女学生は店主が起き上がっているのを初めて見た。店主は女学生が選ばなかった二枚の面を丁寧に布で包み直しながら密やかな悪戯を語るように言った。


「そうだね、約束の前にまたおいで」

「顔を買いに来たのに顔がないとは店の名折れだからね」


「君に化粧おまじないを教えてあげよう」





昼過ぎのまだ夕暮れには遠い頃、走る足音と共に軽く息を切らせた“お客”がやってきた。押し開けられたドアの上でドアベルがからころと来店を告げる。短い黒髪に日に焼けた肌の女学生は整わない息のまま、どこか焦ったように言った。


「ねぇお面屋さん!聞いてちょうだい!また一緒に出かける約束をしたわ!」


頬を薔薇色に染めてプリーツスカートを翻し、数歩だけの店内を踊るように進んだ女学生はカウンターに置いた枕にだらり懐く店主へと迫った。


「いらっしゃいお嬢さん。それは良かった。それで今日はどうしたんだい」

「この間のおまじないをもっと教えて欲しいの!あの人が綺麗って褒めてくれたから!」


どうやら彼女が無事チャンスを掴めたらしい、と知った店主は『店主』の面の下でゆるりと微笑んだ。そわそわと少し不安げで、でもそれ以上に嬉しそうな彼女に余計なお節介にならなくてよかったと、そっと胸を撫で下ろした店主はどこまでもお人好しだった。

華やぐように笑う女学生に店主はわざとらしく呆れたように、少し掠れたのんびりした声で言う。


「お安い御用だがお代はきっちり頂くよ」

「ええ、ええ!構わないわ!」



それはとある『お面屋』の噂話。

学校一と名高い陸上少女の行きつけと密かな噂が流れたとき、彼女はようやく恋をものにできたらしい。

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どこかで聞いた誰かの噂 @Kagari_BI

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