第43話 聖女の塔。

「あなたはもう、粗忽そこつなんだから。いい加減にしなさい」


 運んでいた水瓶を思いっきり落っことして、廊下中を水浸しにしてしまった彼女。

 大先輩のマイヤー女史に怒られ、

「すみませんすぐ掃除します」

 そう言って雑巾を取りに走った。


(あちゃあ。また怒られちゃった。ほんとごめんなさいだ。でもこの水瓶重かったんだもの。これでも頑張ったんだけどな)

 そんなふうに思考があちらこちら跳ぶ。

 それが悪いのだとわかってはいるのだけれどどうしようもなくて。


「だから! 廊下は走らない! 何度言ったらわかるのかしら、もう」

 呆れた声でそう怒る女子に振り向き様すみませんと答えた黒髪の少女、ノア・ローランドは急足で厨房の横の掃除道具入れに向かった。

 とにかくこの水浸しになった廊下をなんとかしないとマイヤー女史の怒りは収まらなさそうだ。


「バカね。廊下のお水はあたしがなんとかしてあげるからあんたは雑巾じゃなしにそこのモップでも持って拭いてるフリでもしておきなさいな」

 そう助け舟を出してくれたのは一つ年上のマリアンネ。

 綺麗で、能力も人一倍すごくて。ノアが尊敬する聖女マリアンネは、水浸しの廊下にさっと右手を掲げると、そのままそこにあった大量の水は跡形もなく蒸発する。


 はわわ。と驚くノア。


 って驚いている暇は無かった。ノアはマリアンネに言われたようにモップを手に廊下を磨く。


 なんとか綺麗になったところで、

「もう、しょうがないわね」

 とマイヤー女子は部屋に戻っていった。





「ありがとうございますマリアンネ様!」


「いいのよこれくらい。それよりノア、あなたはもうちょっと落ち着いた方がいいわよ? いつも慌てすぎ。何かする前にはちょっとだけでもいいから深呼吸してからにしてみたらどうかな?」


 そうニコッて笑顔になるマリアンネ。


「大好きですマリアンネ様〜」


 その笑顔が嬉しくて、ノワはわんこの様にそう彼女に抱きついて。


「ばか! もう、そんな風だからあんたはマイヤー女史に睨まれるんだわ。もっと自覚しなさい」

 そうぱかんと頭をはたかれた。




 ここ、王都の宮殿、王宮の外苑にそびえ立つ聖女の塔では、常時百人を越す聖女候補が共同生活を送っている。

 と言ってもその大半はまだ碌に力も使えない半人前だ。

 マリアンネの様に聖女の紋を持っている人間は他にはいない。大概が孤児出身で聖女の素質を買われここに集められただけの普通の少女たちだった。

 それでも、ここでは皆同じ聖女候補として平等に扱われる。


 貴族も平民も、ここでは等しく聖女の卵として専用の教育をうけることができるのだった。



 それでも。

 と、ノアは思う。

 マリアンネ様のような貴族のお姫様とあたしじゃぁ、できが違うもの。

 と。


 孤児院出身のノワは両親の顔も覚えていない。

 ローランドなんて姓をくれたのも孤児院の院長先生だった。

 まだ幼児の頃に捨てられて、お腹が空いてどうしようもなくて残飯を漁っていた所を教会のシスターに保護されて。そのままその教会に併設されていた孤児院で育てられたのだ。

 そんなノワでも七歳の洗礼式でどうやら魔力があるらしいとこの聖女の塔に引き取られた。

 元々ここはそうした市井の子供たちが集められる場所であって、お貴族様出身の聖女様は本来こうして一緒に生活することなんてなかったはず。

(普通は通いで聖女の勉強をするだけなのに)

「マリアンネ様は特別なのだわ。きっと。彼女こそ本当の聖女なんだ」

 両手を合わせそう独りごちる。

 そう、憧れと崇拝が混ざったような。甘酸っぱい気持ちがノアの中に湧いていたのだった。



 聖女とは。

 魔を祓う能力を持つもの。


 それも通常、個々の魔力紋によって刻まれる属性としての紋章が水や光である場合に、そのスキル、能力を伸ばすための修行をし。

 そうして成長し立派な聖女として活動をしていくことになるのだけれど。

 彼女、マリアンネの場合はそもそものその紋章自体が聖女の紋、という貴重な存在であったのだ。


 魔力特性値マギアスキルにも影響を及ぼすその属性紋章。


 だけれど。

(あたしの紋章は闇だったから)

 15の誕生日を過ぎないと発現しないと言われるその紋章。

 昨夜ノアのカードに現れたそれは闇の紋章であったから。

 頑張りたい、頑張ってりっぱな聖女になるんだ。

 そう思ってはいたし今でもそう思っている。

(でも、挫けそうにもなるよ。こう失敗ばっかりだと)


 自分の部屋に戻りベッドに頭を突っ込んで。

 しばらくそうしていたら落ち込んでいたのも治ってきた。


「うん、落ち込んでてもしょうがない! 今日は裏山での実習だもの。がんばらないと!」


 集合時間まであと少し。

 大急ぎで着替えをし、そしてまた廊下を走って外に出る。


「もう! だから! 廊下は走らないの!」

 背後からマイヤー女史がそう怒鳴る声が聞こえた。ノアはぺろっと舌をだし、

「ごめんなさい! でも、遅れそうなんです〜」

 そう言って振り返りペコんとお辞儀をすると、また走り出すのだった。

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