第104話 どうか今しばし、今しばしの辛抱を


 慄いたのか、またしてもアドレア・バルバニアは転移でこの場から逃れようとした。だからわたしは彼女の顔面を鷲掴みにして、その魔術を破壊する。ついさっきまではできなかったけど、今の──こいつら風に言うところの最大出力のわたしであれば簡単だ。


「この術にすらも、干渉できるとは……ッ」


 アトナリア先生いわく。

 空間転移の魔術なんてものは本来、個人で軽々と使えるものじゃないらしい。必要な魔力量もそうだし、何より術の規模が大きすぎて一人では用意も起動もできないのが普通なんだとか。とはいえ、アドレア・バルバニアは現に一個人でその転移魔術を、それもいま使おうとしたことからも分かるように、短時間で連続使用できる。

 そこまで強くカミの力を引き出せる人を、わたしは知らない。オウガスト・ウルヌスはレヴィアさんを指して“カミの力を引き出す才能”があるだなんて言っていたけど、目の前の女はそのレヴィアさんや、同じく高い適合を示していたオウガスト・ウルヌスをも遥かに凌駕している。


「お前のそのカミへの適合性の高さが、お前たちの言う研究の成果とやらなの?」


 魔術ていこうを尽く無視しながら問いかける。そうしながらも短刀に再び血を纏わせて、今度は右手のひらを貫いた。


「──ッッ……!」


「どうなの?」


 次、左の手のひら。


「……、……さて……ッ……どうでしょうね……?」


「そっか。じゃあ……そもそも、お前たちの研究の目的はなに?なぜカミにこのような仕打ちを?」

 

 そんな感じの質問を続けながら、両肩、両腿、両足の甲にも刃を突き立てていく。体に穴が増えるごとに抵抗は弱まっていったけれど、まさかこれで戦意を喪失したってわけでもないだろう。


「仕打ち、と言われましてもね……」


 がてら拷問の真似事なんてしてみたけど、やっぱりわたしには上手くできないみたいだ。痛みが足りないのか、意志が強いのか、それとも『プロテクト』とやらのせいなのか。アドレア・バルバニアは脂汗を流しながらも、今のところ口を割ってはくれない。

 でも今、全力最強まっくすぱわーアーシャの口を軽くする魔法は『学院』全域に作用してるらしいし。ちょっと揺さぶれば喋ったりしてくれないかなぁ。


「──『相違次元生命一号』だっけ?」


「──ッ」


 お、ちょっと動揺した。


「お前がその身に降ろしたカミをそう呼んでいるのは知ってる」


「誰かが喋った、という訳ではない筈ですが……」


「カミを囚え利用する、その真意はなに?」


「真意も何も……発見したのなら、次はその活用方法を模索する……研究の徒として、至極当然の行動でしょう……?」


 ちりちりと、カミの力がアドレア・バルバニアの体の真ん中に集まっていくのが感じ取れた。それでいてなにやら流暢に語ってくれる。すでに四肢の力は抜けていて、わたしに頭を掴まれて支えられているような状態なのに、元気なことだ。

 

「全ての生物は、並べて平等です……それは例え、半次元向こうの相違時空間を住処とする存在であろうとも……例外ではない…………わたくしはそう考えています」


 動物もモンスターも、生物は皆平等。どこかで聞いたことがある気がするなぁ。えーっと……


「……あ、思い出した。生物愛護思想、ってやつ?」


「いいえ、いいえ。わたくしは人類種至上主義者ですよ」


 ああ、なるほど。人類種以外は全部、平等に、人類種の研究対象ってことね。あの大きな生物研究棟を見れば、そんな思想を抱いていることにも納得はいく。その地下にカミが囚われていたのだから、本当にカミを実験動物として扱っていたんだってことも。


「ふぅん。それで言うと血族わたしたちは、さしずめ神様至上主義、かな?」


「我々からすれば、一生命体に過ぎない存在を崇め、それでいて無益に殺すなど……矛盾と時代錯誤の塊のような思想、ですけれども」


 やはり、どこまでも相容れない相手だ。わたしたち霊峰の血族だって、神様カミが生命体である可能性を考えないわけじゃない。でも仮にそうだとしても……その、他とは隔絶された存在を自分たちと同じだとか、ましてや下に見るだとか、そんな考えにはとても至れない。無益に殺すだなんて言われても、そもそも益を求めて良いような相手ではないのだ。


「まあこれ以上のことは、完全に無力化してから聞くことにするよ」


「……ええ。それができれば……ですがねッ!!!」


 途中から抵抗が止んでいたのは、これの準備をしていたからなんだろう。ずっと影のように纏わっていたカミの気配が形を取って──この陽も高い時間にそぐわない、夜闇の猛禽のような輪郭として見えるほどに、力の全てが濃縮されていく。両翼をもがれたその姿が、アドレア・バルバニアの胸部を中心にして。


 

「──解錠!開放!門戸を開き、歩き行けぬ隣界へと幽閉せよ!相違次元転送、きど──」


 

 叫んだそれが、発動を確定させる文言だったんだろう。言葉の感じからして、多分ろくでもないやつ。これまでに三回見た転移魔術の気配を、うんとうんと、うーんと濃くしたようなもの。


 

「──う?」


 

 そしてそれもまた、あっけなく霧散する。


「……そっちがそれだけ準備できるなら、そりゃあこっちだって、仕込みは全部終わらせられるよ」


 無駄にざくざく刺してたわけじゃあるまいし。

 なにが起きたのか理解できていない様子のアドレア・バルバニアから手を離す。膝から地面に崩折れた彼女を囲うように、八重にもなる血糸の円が浮かんでいた。『大祓戦羽衣』の刺繍に沿って奔っていた分の血液が全て抜かれ、再び純白に戻った羽衣の袖を旗振りにして。


「な、なにが……」


 よほど自信があったのか、渾身の魔術を砕かれたアドレア・バルバニアは、すでに半ば自失状態にある。まあもうここまでくれば抵抗してこようが無意味なんだけども。なにせこれ、此度のカミが例え両翼まで揃っていようとも抑え込めるくらいの術だから。


「大丈夫、まだ完全には剥がさない。喋ってもらいたいことがたっくさんあるから」


 カミそのものとここまで深く適合していれば、完全に切り離した時点で確実に正気を保ってはいられないだろう。今回の経緯を委細吐かせる必要があるわけだから、今はまだ、カミを根こそぎ祓うことはできない。レヴィアさんのときと同じように大部分を切り取って浄化し、力と……それを得て肥大化した思い上がりを削ぐ。


「──カミよ。この血肉で以ってその身を侵す事を、どうかお許しください」


 血の円が狭まり、アドレア・バルバニアの体に触れるかどうかといったところで、それらが一斉に解けだす。両手、両肩、両腿、両足。血刃で開けた八箇所の穴に、八つの血糸が這入りこんでいく。


「コッ……ッ……ァ──ッッ!」


 白目を剥いて痙攣するその体の内側で、わたしの血がカミの力を吸い上げていくのが分かる。猛禽を象っていた黒い影は再び解け、薄まり、その総量を急激に減らしていく。そのあいだにもわたしは、両腕を緩やかに靡かせて、自らの血と力の音頭を取り続ける。やり過ぎないように。やり足りないこともないように。


「──ッ、──、──……」


 やがて、アドレア・バルバニアの体が震えすらしなくなってきた辺りで、わたしは右腕を大きく外側へと払った。握っていた短刀の刃、今は血の通っていないそのきらめきに誘われて、血糸たちが這入っていった穴からそのまま出てきた。


「──カミよ」


 鮮やかな赤は失われ、真っ黒く淀んだ八筋が目の前で絡み合い、人の頭ほどの蠢く一塊として宙を漂う。刃で一閃切り裂けば、まるで蒸発するかのようにそれは失せ、中に在ったカミの力も共に、音もなく消えていった。


「どうか今しばし、今しばしの辛抱を」


 詠唱でも何でもないただの祝詞を口にして、僅か残ったカミの残滓へと投げかける。尋問が終われば、今度こそ完全に祓って差し上げる、と。意識を失ったアドレア・バルバニアが崩れ落ちたのを目視してから、わたしは張っていた気を緩めた。


「……っ、とと」


 途端に回る景色、ふらつく足元。

 背中から倒れ込みそうになったところを、ふわりと柔らかい感触に包まれる。揺れる視界の端に映り込むのは、綺麗なサクラ色の髪が一房、二房。


「──ありがと、アーシャ」


「ええ、イノリ」


 きっと跳んできてくれたんだろう妻に、手製の丸薬あめだまを口に放ってもらう。一瞬触れたその指先は、その丸薬と同じく、ほんのり甘い味がした。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 本文中に失礼します。

 すみません、土曜日曜はちょっと更新が難しそうです……

 というわけで次回更新は8月7日(月)になり、また、そのまま来週中に完結の予定となります。よろしければぜひ、もう少しだけお付き合い下さい。

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