第103話 限度がある事は既に分かっています


「──良いのですか?伴侶を連れ立っていなくて。今の加速は貴女一人では成し得ないものでしょうに」


 そんな煽り文句が、もうもうと舞う土煙の中から聞こえてきて。いや、聞こえたと思ったときにはもう、アドレア・バルバニアがすぐ目の前にまで迫っていた。


「血族の力はあくまで、貴女方がカミと呼称する存在を滅却する為だけのもの」


 開いた右の手のひらで、わたしの顔を鷲掴みにしてくる。恐らく膂力を強化する魔術でも使っているんだろう。その力は相当なもので、頭蓋骨がみしみし軋んでいるような気配がした。いたい。


「カミの干渉を受けた魔術や魔法すらも強引にねじ伏せられる……とは言っても、限度がある事は既に分かっています」


 予測上でも、先日の実測上でも。とかなんとかよく喋るアドレア・バルバニアの表情は、本人の手にほとんど覆われた視界でも分かるくらいに得意げだ。対して、その体から立ち上る黒い気配は淡々と、けれども切実な想いを乗せて、わたしへ訴えかけてきている。早く自分を殺してくれ、開放してくれ、と。だからわたしは、ゆっくりと右手を上げて。


「身体強化魔術に対しても、このレベルの強度であればそうやすやすと干渉は──」


「みえない」


 この女の手首を掴み、引き剥がした。


「──おや?」


 不思議そうに、掴まれた手首とわたしの顔とを見比べるアドレア・バルバニア。


 わたしがなにか馬鹿力を発揮したとかってわけじゃない。彼女の体に通っていた身体強化の魔術を──カミの力が多分に混じっていたそれを──破壊しただけ。そうなればあとは素の膂力の差でわたしが勝つ。


「これは想定外だった?じゃあこれは?」


 掴んで逃げられないようにしながら左脚を上げて、草鞋の裏を押し付けるように蹴りを見舞う。派手さに欠けるというか、野蛮な足の出し方だけど、まあそこはご愛嬌。これもまた、展開されていた障壁だの身体強化だのを全部壊してアドレア・バルバニアの腹部にめり込んだ。


「ぐっ……」


 苦しげに呻く声。嘔吐はしなかったけど、それはもう随分とびっくりしたみたいで。なんの強化もされていない筋力でどうにかわたしの手を引き剥がそうとしつつ、同時に色々な魔術を展開してきた。たぶん、ぜんぶ刻印型。魔術師は事前準備が大事って、アトナリア先生が言ってたのは本当だったんだなぁ。


「っ、妙ですね、この出力であれば──ごァッ……」


 炎、雷撃、見えない刃。なんだろう、よく分からない拘束系?のやつとか、その他諸々。とにかく放たれた魔術たちは全て、わたしの体や衣服に触れると同時に掻き消えていく。血族の力はカミの干渉を受けた魔術すらも強引にねじ伏せられる。そう評したのはアドレア・バルバニア本人だ。だけど限度とやらは見誤っていたらしい。確かにどれも素の状態のわたしなら、一瞬で砕くとまではいかなかったかもしれないけど。


「あ」


 不意に、右手に握っていた手首の感触がなくなる。すぐ目の前にいたはずの女の姿も掻き消えていて、この広い屋外訓練場の端っこの方へと気配が移動していた。どうやら空間転移にはまだ干渉できないみたい。きっと相当高度な魔術で、かつカミの力を惜しげもなく使っているんだろう。

 表情も朧気にしか分からないような距離から、こちらを見ている……ような気がする。ながーい……巻物?みたいな何かを取り出して放り投げ、こちらへと両手を突き出してきた……ように見える。


「おぉ」


 恐らくけっこう大掛かりな刻印型魔術なのだろうそれは、わたしなんて二、三人はまとめて飲み込んでしまえそうな巨大な衝撃波というか、波動というか…………光線?みたいなものだった。白い濁流に纏わり付くのは、過量なカミの力を感じさせる黒い影。これはかなり痛そう、なんて思ったときにはもう、わたしはその光線に飲み込まれていて。痛くないように『大祓戦羽衣』の権能を完全開放したから、特に怪我もなくその光の奔流の中を突っ切っていけた。触れたそばから力を掻き消しながら、全力だっしゅでアドレア・バルバニアの目の前まで。


「──と、いうわけで。なるべく早く終わらせたいんだけど」


 元々わたしは、カミを祓うに際していわゆる持久力というものがない。わたしというか、血族全体の宿命というか……だって血を放出して使うわけだし。みんなすぐふらふらになっちゃう。そしてこの『大祓戦羽衣』の力を十全に使うことで、なんとその欠点が──さらに著しいものになります。


「馬鹿な。この魔術を掻き消す事など、予測上の最大値ですら不可能なはずっ……」


 十秒もかからずに光線の魔術を完全に打ち消し、アドレア・バルバニアの目の前に辿り着いたとき。彼女は両手を突き出した姿勢のまま、今しがた以上の驚愕に塗れた顔をしていた。


「な、何なのですか……その格好は……!」


「なにって、『大祓戦羽衣』」


 ついさっきまでとは、少し雰囲気が変わってるかもだけど。

 アーシャやこの女と違って、わたしは魔法も魔術も使えないから。やることは結局、近づいて殴るか蹴るかといった塩梅。ただし、今回は本気なので刃物を使います。


「──えいっ」


 裾から出した短刀でさくっと刺す。指令的にも血族の的にも死なれるとまずいので、即死しないようにわき腹の辺りを。当然の如く魔術的な抵抗を全て断ち切りながら、刃が──わたしの血を纏い赤く蠢く切っ先が、アドレア・バルバニアのどこかしらの臓腑にまで到達したのを感じた。


「ご……ぉ……っ!」


 並のカミであれば、これで終いのはずなんだけど。

 『学院』に囚われ続けていた御身は、ひとつ程度ではお隠れになられないらしい。目の前の女の異常な適合ぶりを見るに、『学院』の研究とやらのせいって可能性も高いけど。


 とにかく、まだ黒い影を纏ったままのアドレア・バルバニアが、苦悶の表情を浮かべながら、血反吐と共に吐き捨てる。

 

「……っ……およそ、正気の沙汰とは思えませんねっ──」


「お前たちが正気と狂気の沙汰を理解しているとは思えないけど」


 純白の重ね羽織、『大祓戦羽衣』は今、赤く染まっている。アドレア・バルバニアを刺したことによる返り血で……ではなく。


 

「──、装衣とは……!」


 

 衣の全体に施された細やかな意匠。

 それに沿って奔る、わたし自身の血によって。

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