第102話 必要ないわ。もうすぐ終わる


「──強い力を使った者がいるわね。おまえと同じ、カミの片翼を」


「……君は外部から血族に嫁入りした存在だと聞いておったが。『相──を感知しているという事は……血族の能力はある程度、他者へ指教できるという事かの」


 イノリが理事長室を──出入り口とは正反対の方から──飛び出していってから少し。

 寮舎の辺りで膨れ上がった気配に言及してみれば、目の前の老人……オウガスト・ウルヌスはそんな的外れな事を宣った。


「カミの力の探知。魔法だって最深奥にまで至れば、そういう事もできるようになるわ」


「……出鱈目を言いおるのう」


 不快そうに皺にまみれた顔を顰めるオウガスト・ウルヌス。理事長室の机の上からそれを見下ろせば、こいつが今の私と同じ領域まで潜れていない事が改めて窺える。


「デタラメかどうか……とくと知りなさい」


「小娘が、傲慢に過ぎるわ────さあ、結実せよ」


 よほど癪に障ったのか、講義で見せていた好々爺然とした雰囲気も引っ込めて、老人は気も短かに魔法を放ってくる。私の左足首辺りに、渦巻くような不可視の力場を感じた。


「──妖精共フェアリーズ


 見たところ第八層程度のその魔法──恐らく私の足を折ろうとしたのだろうものへと干渉し、無害化する。互いの妖精たちが楽しげに笑っていた。


「──八層まで潜れる、と。成程、その若さでそこまで至っているのであれば、増長するのも致し方ない事じゃ」


 やはり的外れな早合点。次いで噴き上がった魔法の気配はさらに深く、第九層にまで到達しているそれをオウガスト・ウルヌスは得意げに練り上げていく。


「じゃが、この領域であればどうかのう?」


 これもまた、それと見て分かるような派手な現象はほとんど生じない。

 七層より先、深層の魔法は、成し得たい“本当の目的”を直接発現させる形へと先鋭化されていく。例えば火や爆発の魔法はより純粋な“対象に熱損傷を与える魔法”へ。捕縛を目的とした鎖や帯の魔法は“対象の身体機能を一時喪失させる魔法”へ。目に見える現象は失われていき、世界への干渉は、望む結果を直接引き寄せる形へと変化していく。それが、七層より先が深層と区分される事由。


「──結実せよ」


 短い文言と共にオウガスト・ウルヌスが発現させた第二撃も同様に。九層という深度で私から視力を奪おうとしてくる。並の……どころか、恐らく七層を知る魔法使いでも対抗などできないような、カミの力とそれへの適合に裏打ちされた強力な魔法。


「安心せい。不便を強いるがそれも一時的な、も……の──???」


 だから、まさかそれが破られるだなんて思っていなかったんだろう。言葉も途絶え、口を半開きにしたまま固まってしまったその表情は、少しばかり滑稽に見えた。


「不便とは、こういう事かしら」


『アイリス』を翳して、あちらがしようとしていた事を返す。相手の視力を、それだけでなく聴力を、筋力を、一絡げに奪い取る。意識を保たせたまま無力化するという目的で編んだ、主要な身体機能を一時喪失させる魔法。対抗しようとオウガスト・ウルヌスが繰るのは言わば九層の領域に入ってすぐの魔法で、私の──第十層おくそこに至るのを拒否し九層で踏み留まっている魔法に抗うには、少しばかり出力が足りていなかった。


「──?──?……っ??」


 驚いている、或いは慄いているのだろうけれども。見えず聞こえず発声もできず、自重を支える事もできなくなった老人には、大きな反応を示す事すら困難なようで。それでも、くらりと傾いだ体がどうにか踏み留まったのは本人の魔法の力量……というよりも、強大なカミの力の恩恵によるものだろうか。こいつの言葉通り適合性の高さをも一つの才と捉えるのなら、それもまた才能のお陰と言えるかも知れないけれど。


「──、っ……か、け、……けつ、じつ。せよ……!!」


 辛うじて言葉を取り戻し、そして辿々しい口調で魔法を編むオウガスト・ウルヌス。それは私の魔法に抗う為のものではない。奪われた身体機能を肩代わりするもの。勿論完全ではなく、声音も手足も震え、眼球の動きは覚束なく、筋力の喪失により表情までもが欠落しどこか虚ろな顔付きになっている。

 ここから反撃してくる可能性は低いだろう。とはいえこれを持ち堪えられたとなると少し困る。何せ後はもう、意識を完全に喪失させるしかなくなってしまうから。捕縛して即座に尋問する、というのが理想だったのだけれど……深層魔法による意識喪失は、頬を張った程度ですぐに醒めるようなものではない。腐っても魔法の才人、それがカミの片翼を取り込んだだけの事はあったようだ。

 不甲斐ないけれど、イノリがアドレア・バルバニアをノックアウトせずに捕縛してくれるのを期待しよう。


「不運だったわね。おまえがカミの力で第九層に至ったように、私はこの『アイリス』で魔法の最奥──第十層にまで踏み入る事ができる」


 生まれ持った才覚を、外法じみた外付けの力で発展させる。そんなやり方は、同じ事をしているより強い相手と遭遇してしまった時に容易く破綻する。この男にとってのそれが、今、私だったというだけの話。以前にも一度、見た事がある。今日と同じ服を着たイノリが、この杖の持ち主を裁いた瞬間を。


「……まあ……」

 

 思い出に埋没しかけた意識をすぐさま現実に戻し、もう一度魔法を生み出す。出力的にはほぼ十層に相違ない力を用いようとすれば、必然、何十匹と周囲に集る妖精共もひときわ色めき立つ。


「『アイリス』を使うと、妖精共が煩くて仕方ないのが難点だけれども」


 

  「奥方!」「こっちこイ!」   「楽しいゼ!」

 

 「一緒になろウ!」 「奥方もなろうゼ!」 


     「こっち側!」     「すごいゾ!」


  「同じになル!」 「奥方も一緒になル!」 「楽しいゾ!」


「なアなア」 「奥方モ!」 「こっち側になろウ!」


          「なアなア奥方」  「おいでヨ!」

 


「何度も言っているでしょう。私は“そっち”には行かないわ」


 先程からずっと、ずっと私に呼びかけてきていた妖精共へ、それだけ言って返す。


「……なにを、言って……な……が……きこえ……?」


「さて、何かしらね」


 私達魔法使いが普段聞いている妖精の声は、ほんの一部だけのものだ。より深い層へと潜るごとに、その声は鮮明に克明になっていく。何故なら深層に至るという事は、彼らに近づいていくという事と同義だから。

 当然ながらウルヌスにも、この場に集う妖精たちは見えている。さっきから子供のようにはしゃぎ続ける声も聞こえているはずだ。しかしこの“声”は。“向こう側”へと誘う妖精の囁きは。深奥の層、第十層に触れられるものにしか、届かない。 


「──妖精共フェアリーズ


 その数多の声を無視して、私はあくまで一方的に彼らを使う。耳を傾けはしない。こいつらの誘いに乗るつもりもない。私は人類種として生きる。果てはイノリと共に死ぬために。


───かりとれ───うばえ───ころすな


 私の側についていた妖精共が震える老人の元へと殺到し、囲い込み、幾重にも幾重にも笑い声を重ねる。向こうの味方をしていた野良の妖精共も当てられてか、同じように騒がしい声を同調させていた。


「こ、っ、がっ──……」


 そうして。

 意識喪失の魔法は表面的な何らの手段を経ず、ただオウガスト・ウルヌスの意識を失わせるという目的だけを果たした。抵抗も無くあっさりと、老体が理事長室の床へ倒れ伏す。ピクリとも動かなくなったその周囲にはまだ妖精共が群がったままだけど……これはただ相手を煽ってるだけだから無視して良い。


「──さて」

 

 念のためその背中に『アイリス』の先を突き立てて反応を伺う。間違いなく完全に無力化されている事を確かめてから、転移の魔法を使用。先ほど皆と別れた辺り、学生寮の近くへと跳んで、再びイノリ以外の全員と合流した。


「──うぉっ……!?……なんだアーシャか……脅かさないでくれ」


「このくらいで驚かないで欲しいものね」


 怪我はしているが元気そうなマニとレヴィア、大きな負傷も見られないメイドとアトナリア先生。そして地面に転がされている幾人か。二人ほど見知った教員の顔。ひと際目に付くのは金糸で繭のように包まれた女性らしき人物で、オウガスト・ウルヌスと同様にカミの片翼の気配が感じ取れた。難敵だったろうにコレとは……恐らくアトナリア先生が何か非常識な事でもしたのだろう。メイドも一枚噛んでいる可能性がある。


「奥方様、丁度良い所にっ。このクソ馬鹿愚か陰険女をすぐさま尋問するか、それとも微力ながらご主人様のサポートに向かうかと話していたところでして!」


 いつも通り過ぎる喋り口が鬱陶しいけれど、こいつは他の三人と違って、転移にも気絶したオウガスト・ウルヌスにもいちいち驚いたりしない辺りは話が早くて助かる。


「まあ、イノリと合流はしておいた方が良いでしょうね。けれど……」


 屋外訓練場の方。主人と戦っている相手カミの気配がどんどんと弱まっていくのを感じながら、私はメイドへ、至極当然の事を返した。


「……サポートは必要ないわ。もうすぐ終わる」

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