第98話 ……クソ、食らえです……!


「剣を握っていないお前と戦うのは初めてだな」


 教官と呼ばれるに相応しくない、などと嘆きながらも、マッケンリー教官の言葉はいかにも先生らしいもの。確かに、今までの講義中に幾度かあった彼との手合わせは全て剣を握ってのものだった。何せ『剣術実技』の教員なんだから。虚ろな瞳でそばに控える奥さんの方とは、殴り合ったこともあるけど。


「……」


 何と返せば良いかも分からなくて、だんまりを決め込む。昔から喋るのは少し苦手だ。最近はまあ、多少マシにはなってきたかもしれない。でもやっぱり、何事も暴力で解決できるならそれに越したことはない。それができなかったから、私はレヴィアに首輪を嵌めた。今この状況も、相手をボコボコにできればそれで解決できるのに。


「ストレングス家の力、こんな方法で破りたくは無かったが……」


 既に私の全身に表れている青い紋様を、マッケンリー教官が一瞥した。互いの距離は刀身三本分ほどで、駆け出すというほどの動作もいらずに届く間合い。教官以外の四人が、私とレヴィアを囲うように広がっていく。誰かに襲いかかれば、その瞬間に他のやつらから袋叩きにされてしまう。


「やはり、そいつが司令塔か……原理は分からんが」


 相手の動きに合わせて、レヴィアが私と背中合わせになる。私の拳に、レヴィアの魔法にお互いを巻き込まないように、少し間を空けつつ。私はともかく、レヴィアはそこまで打たれ強くない。それでもやらなければ、結局のところ待っているのはリンチだ。だから私は殴りかかる。真正面の、マッケンリー教官に。一瞬だけ遅れて正面と背後全員の気配が蠢いたけど、かまわずに。


「愚直だなっ!」


 突き出した拳の先に合わせられた剣の刃先を、指の骨で受け止める。皮膚は裂けたけれども、大した怪我じゃない。「妖精よ!」というレヴィアの声を背後に聞きながら、続け様に左拳で、脇腹へのボディブローを狙う。


「……っ!」


 剣もろとも体を引かれ空振り。さらに追撃の蹴りを放つも、それもまた最低限のステップで回避された。厳つい見た目に反して、軽やかな身のこなしだ。


「……くっ!」


 後ろから聞こえてくるのは、レヴィアの苦しげな声。魔法で一人は即座にノックアウトしたようだけど、それと同時に他三人を抑えるのはやっぱり厳しいみたいだ。


「フンッ!」


 背後を心配しつつ、正面に迫る綺麗な太刀筋を回避。幾度も振りかざされる刃を、なるべく後ろには引かずにその場で躱す。本当ならむしろ前に踏み込みたいところだけど、目の前の人物がそう簡単にそれをさせてくれるはずもなく。


「……っ!」


 刃先が頬をかすめていった。マッケンリー教官の太刀筋はそう奇抜なものじゃない。何か特殊な流派や血筋に属するでもなく……基礎的な身体強化の魔術の安定感と、経験に裏打ちされた堅実な立ち回りが彼の強み。それがカミの力の片鱗によって底上げされたことで、単純に隙のない剣士として仕上がっている。確かカミの力は魔術師や魔法使いへの恩恵の方が大きいという話だったけれど、近接主体の戦士だって、身体強化魔術の出力が上がればそれだけ強くなれてしまう。


「やはり良い動きをする!こんな事にさえならなければ、お前の未来はもっと明るかっただろうにな!!」


「そう思うのなら……!その未来を摘むような愚行を今すぐ改めたらどうだ!!えぇ!?」


 刃と拳を交えながら私への言葉に、レヴィアがわたしよりも早く反応する。その声はもうほんのすぐ側にまで迫っていて、彼女が追い詰められこちらへと後退させられているのが窺えた。


「耳が痛い……なっ!」


 言葉と共に教官がくり出してきたのは、やや大振りな上段振り下ろし。回避は可能、だけどそうしたら、次の一撃はレヴィアを射程に捉えてしまうかもしれない。だから受け流しつつ踏み込んで、二撃目が来る前に殴り倒す──当然そんなことくらい、教官は読めているだろうけど。でもそうせざるを得ない。それ以上の最善策を、この瞬間に見出せない。


「……シッ──!」


 左手の甲を剣の腹に合わせて刀身を滑らせながら、前に出した右脚で地面をしっかり踏みしめる。腰を捻って、全身を射出機にして。拳という小さな一点を解き放つ。今の教官相手でも、私の全力が有効打になる可能性は高い。だから例え罠だとしても、この一撃でそれごと砕いてしまえれば。そんな甘ったれた考え、当然通用するはずもなかった。


「……ぐっ、うっ……!?」


「マニッ……!く、ぐぁっ!」


 拳がマッケンリー教官を捉える直前に、私の方が視界の外から横っ腹をぶん殴られた。打撃による鈍い痛みと体内で折れたであろう骨が暴れる鋭い痛み。その二つを感じながら盛大に地面を転がる。回る視界に見えたのは、拳を振り切った綺麗な姿勢のままこちらをぼーっと見ているヴェルナ教官と、それから、魔術師らしき白衣の男性一人と魔女らしき女生徒に取り押さえられるレヴィアだった。


「剣を握っていないお前は、殊更に搦手に疎い。ヴェルナの言葉は本当だったな」


 その言葉も今は失ってしまっている妻と並び立ちながら、マッケンリー教官はその場から動かずにこちらを見下ろしている。そうだ。こんな、搦手とすら言えない一撃を、くると分かっていてもなお避けられなかった。私が未熟だから。


「相方はもう拘束した。降参してはくれないか?」


 魔術による身体的な拘束と魔法による魔法への妨害がレヴィアを無力化している。悔しそうに歯噛みする彼女に大きな怪我が見受けられないのが、せめてもの幸いかもしれない。つまり、もう少しいたぶられても耐えられるはず。それに、どうせ死ぬ時は一緒。極論だけど、降参して被験体とやらにされるくらいなら、ここで抵抗の限りを尽くして共に息絶える方がまだマシだとすら思ってる。勿論、どちらにもならないに越したことはないけど。


「……クソ、食らえです……!」


 形ばかりの血痰を吐きながら立ち上がる。紋様は灯ったまま。ストレングスの体は、多少骨が折れた程度では何の支障もない。レヴィアと戦ったときの方がもっとずっと重症だった。


 私の闘志は、まだ消えてない。

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