第90話 好奇心の徒として当然の事ですもの
「研究、ですか」
地下のあれそれなんてまるで知らないように、アリサさんが問いかける。さり気なくわたしの前に出ようとしたけれど、それは後ろ手で制した。わたしが一番前にいる方が良い。他のみんなも待機。今のアドレア・バルバニアに、下手な攻撃は通用しないだろうから。
「ええ。未知なるものを研究し解明し活用の
微笑みを絶やさないまま、『学院』の理事長はつらつらと語っていく。その背後で蹲っていた白い影が、小さく身じろぎした。
「そして研究には複数の視座が必須です。例えば、貴女方がカミと呼んでいる存在の力をより多く引き出すに際して、
ちっ。もうちょっと景気良く喋ってくれててもよかったのに。笑みを消した理事長が、ぶつぶつと小さく呟き始めた。ぷろ、なんだってー?って内心首を傾げているあいだにも、元々よく回るアリサさんの口は止まらない。
「『プロテクト』……精神防護の類ですか?その手合いの高等魔術が使用されている気配は感じませんがね」
「いえいえ、
わたしたちを品定めするようにその瞳が揺れ動き、そしてすぐにアーシャを捉えて止まった。口が軽くなる魔法、勘付かれちゃったみたい。
「……はぁ。ウルヌス、これは貴方が巻いた種でしょう?いい加減狸寝入りはよしなさい」
「……老骨を労ってはくれんのかのうバルバニア。霊峰の血族とやらの相手、わしにはやはり、ちと荷が重いわ」
完全に治癒したらしいオウガスト・ウルヌスも、立ち上がって復帰した。彼単体ならわたしがいれば問題なかったけど、とにかくアドレア・バルバニアの力が強すぎる。或いは彼女をここに呼び込むために、カミの力を使ったのか。いずれにせよ、これはちょっとまずい状況だ。
「さてと。これ以上余計な事を喋ってしまう前に、貴女方を捕縛致しましょうか」
こっちが捕まえに来たはずなのに、むしろあっちの方が悠々とそんなことをのたまう始末。捕まえて、どうするのか。口封じ、証拠隠滅。或いは──
「霊峰の血族当代当主、その力量のほどは既に計測済みです」
信じがたい話ではあるけど、あそこまで完全にカミを管理する術を持っているのなら、対極にある血族の力を観測する手段を有していないとは言い切れない。とことんまで踊らされていた可能性を、否定できない。それでもここでつけ上がらせる訳にはいかなくて、努めて余裕な表情を作る。
「一応言っておくと、わたし『学院』ではまだ本気出したことないよ?」
「ええ。ですが、今までに充てがってきた被験体達との接触データから、その最大出力を類推する事は可能です」
さらりと使われた被験体という言葉。わたしが挑発を返すより先に、アトナリア先生がそれに反応した。
「……被験体?生徒を、被験体と……そう呼ぶのですか?」
静かな震え声で反芻して、そして誰が言葉を返すよりも早く、爆発する。
「──狂っている!実験だ派閥争いだ、そんなものに生徒達を巻き込み、あまつさえその人生を奪おうなどと!!教育機関としての志を見失いましたか!!!」
びりびりと、とんでもない怒りと気迫を感じさせる先生の叫び声。対して返ってくる声は、何も変わらない。
「いいえ、いいえ。良いですかアトナリア先生、元より『学院』の源流は研究にあります。生徒達も皆、学術を修め研究に身を捧げる事こそが本分」
こいつの言う身を捧げるっていうのは、人生や人格や、ときには命をも犠牲にするってことらしい。背中の方から、激情に震える荒い息が伝わってきて。アトナリア先生がどんな表情をしているかなんてよくよく見えているだろうに、それでも悪びれる様子もなく、目の前の女は言葉を続ける。
「そしてそれは教員にも言える事。貴女が実験に
小さく頭を振って、こちらへ手をかざし──いよいよ実力行使に出るつもりか、アドレア・バルバニアは指先をくるりと動かし始めた。
「兎に角。イノリさん、例えば貴女は、この攻撃は防げるでしょうが──」
「っ」
魔術だ。恐らくそう複雑でもない、衝撃波を飛ばしてくるだけのもの。黒い影を纏ったそれを両手で受け止めて──
「──この出力だと、やや手間取る」
その直後に放たれた追撃、一撃目をそのまま大きくしたような二撃目は、すぐには打ち消すことができなかった。
「うぐっ……!」
受けて数歩、後退る。これ自体は大した傷も受けないけど……向こうはまさしく言った通りに、わたしの力量を把握しているようで。受け止めながら数秒かけて魔術を砕いた時には、次の攻撃の準備が整えられていた。
「更にこの出力であれば、防ぐ事すら──」
「──させませんっ!」
そしてここまでの時間があれば、こっちだって色々仕掛けられる。わたし以外の人たちが、ね。
「これは……っ」
アトナリア先生の『乱渦』が、アドレア・バルバニアの魔術に干渉する。さすがに規模の差が大きすぎてかき消すことはできないみたいだけど、それでもその発生を少しばかり遅らせることはできた。その僅かな隙に身を翻せば、今度は。
「──撤退戦は苦手なんですがねぇ!!」
アリサさんがメイド服のふりふりの隙間やスカートの中から、小さな灰色の玉っころをいくつも床に落とした。接地した瞬間にそれらは一斉に弾けて、異様に濃い黒煙を、一瞬で部屋中に充満させる。
「──逃さぬよ」
「──逃げさせて貰うわ」
構えていたんだろうオウガスト・ウルヌスの魔法を、アーシャが迎え撃つ。恐らくなにか、こちらを追尾してくる類のもの。こっちにもカミの力は宿ったままだけど、今のアーシャが出せる全力であれば、狙いを逸らせることはできるはず。
魔法による攻防の最中に、煙の向こう、部屋の外の方から窓ガラスの割れる音が聞こえてきた。そこから跳んだんだろう、マニさんとレヴィアさんの短い叫びも。
「……認識阻害の魔術煙。空間に紐付いて濃滞留するタイプ、大層な代物ですが……この程度」
わたしが戸をくぐるかくぐらないかのところで、背後から声が聞こえてきた。この瞬間ですら、それは理事長室で聞くような落ち着いた声音のまま。何かぶつぶつと、小声で詠唱しているようだった。
「イノリっ!」
声を張るアーシャに背中を預けるように、体を傾けながら振り返る。取り出した短刀で手首を切って、血を放出。
「────結解」
「っ」
さっきの二発よりも余程強く、大きく膨らんだ黒い衝撃波を、薄膜のように広がったわたしの血が受け止めた。この部屋……どころか建物の壁ごと吹き飛ばすつもりだったらしいその一撃は、だけども破壊を振りまく前に血の膜に触れて消える。そこに籠められていたカミの力ごと、祓うように。膜はそれでも破れることなく、そのまま部屋の内部を包み込むように広がっていく。わたしに見えたのはここまで。
「──あっぶなぁ」
なんて呟いたときには、アーシャに引っ張られて二人して宙を舞っていた。四階から飛び降りたんだから、まあそうもなるよね。
「
背中からの落下中、風切り音に紛れてアーシャの声が聞こえる。二十匹ほどの妖精たちのうち、半分がわたしたちの周囲に寄り集まり、残りの半分が、放たれた光弾の雨を追って割れ窓へと殺到していく。アリサさんの煙幕とアーシャの魔法、わたしの血で三重に目眩ましを仕掛けたんだから、さすがにすぐには追ってこれないと思うけど……
「──ご主人様!これはあくまで一時撤退……ってコトで良いんですよね!?」
「うん。さすがにアドレア・バルバニアのあの力は、ちょっと大きすぎるから」
魔法でふわっと着地したわたしたちを出迎えるアリサさんに頷いて返しつつ、足は止めずに『学院』の外へ向かう。少し先にはマニさん、レヴィアさん、アトナリア先生の背中が見えていた。アーシャが走りながらわたしの手を取って、切った手首の治療をしてくれる。さすがに今は、口でやってる余裕はないみたいだ。
「……あれに対抗するには、お上の
「だねぇ。でもまあ、地下のあれを見た時点で進言しておいて正解だったかも」
別の追手が来ていないかにも気を配りつつ、全速力で走り続ける。そのあいだにもアリサさんは、時折あっちこっちに小さな丸っころを放り投げていた。さっきのとは違って煙を吹いたりしない──後で聞いたら、撹乱用の認識阻害なんとかかんとかー……って言ってた──やつ。
「ワタシとしては情報の整理もしたいところですが……どこまで逃げます?」
ほとんど生徒さんともすれ違わないまま、『学院』の外柵まで到達。ひとっ飛びでそれを越えて外に──王都の街中に逃げ込みつつ、少しだけ考える。それなりの人通りの中を全力で走り抜けてるけど、わたしたちに目線をやる人は少ない。たぶんこれも、認識阻害の諸々のおかげなんだろう。撤退戦苦手って絶対嘘だよねアリサさん。
「……アリサさん、次、列車はいつ出る?」
「四十二分後ですね」
「六人分、ちけっと取れる?」
「
「うん、ちけっと」
「──了解しましたァ!」
端末を取り出して、何やら操作しだすアリサさん。
こんな全力で走りながら器用なもんだなぁなんて思いながら、一瞬だけちらりと振り返って、遠ざかる『学院』を見やる。寮の部屋にいろいろ置きっぱなしだ。いやまさか、こんな急展開になるとは思わなかったし。
……まあ何にせよ、一番偉い人の関与が確定したのはよしとしよう。最悪、あの人をぼこぼこにして
……なんて、尻尾巻いて逃げながら言っても、かっこ悪いだけだけどね。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
本文中に失礼します。
今回で三章完結となり、一回だけお休みして来週火曜日から四章開始……なのですが、四章は悪党どもをボコボコにするだけの章なのでけっこう短めになってしまうと思います。その後に少し長めのエピローグを入れてひとまずの完結となります。もう少しのあいだではありますが、よろしければぜひ最後までお付き合い下さい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます