第89話 お恥ずかしい限りではありますが
「っ、これは……!」
驚愕にまみれたアリサさんの声が聞こえる。
暴風のように吹き荒ぶ黒い影が見えているわけではないだろうけど、それでもまるで、力の奔流を感じ取っているかのような。アトナリア先生も、マニさんもレヴィアさんも同じように。
血族以外の者も、ある種の威圧感として感知できるくらいに強大なカミの力が、目の前の老人から生じている。片鱗なんてものじゃない。脳裏に過るのは、あの地下空間で見た片翼。
「──さてと」
立ち上がったオウガスト・ウルヌスは、カミの力に深く深く適合していた。下手をするとレヴィアさんと同等くらいに。彼に付いている妖精たちが影の中でいくつも瞬いていて。強い力の源と深い適合性の乗算によって、今のオウガスト・ウルヌスは間違いなく、これまで『学院』で戦ってきた相手とは別格の力を有していた。
……だけどもちろん、この展開は一つの可能性として想定していたし。
何より、あくまで『学院』内では別格というだけで、カミそのものの力には程遠い。
「──っ!」
「ぬぅっ!?」
テーブルを飛び越えて、ぶん殴る。
アーシャの魔法で撃ち出されたわたしの拳は、防護の魔法を粉々に砕きながら老人の顔面を捉えた。
「ぐっ……!」
吹っ飛んで、部屋の奥にあった本棚に激突するオウガスト・ウルヌス。前にも見た光景だなぁなんて思いながら、有無を言わさずに追撃。
「邪魔」
放たれた魔法、何かわたしの体に直接作用する類のものを、腕を振って破壊して。駆け寄った勢いそのままに、腹部を思いっきり踏みつける。
「ご、ぁっ……!」
だいぶ苦しそうだけど……人間これくらいじゃ全然死なないし、黒い影の勢いだって全く弱まっていない。本人の目にもまだ、抵抗の意志はばっちり宿っている。だから殴る。蹴る。鼻っ面をへし折り、顎を蹴り飛ばして、戦意を喪失するまで暴力を叩きつける。結局のところ、これが一番確実だから。
「……うわぁ……」
レヴィアさんの声がかすかに聞こえてきたけれど、今は返事をするよりとにかく殴る。暴力、暴力。
アーシャがわたしのすぐ後ろに立って、再び拘束の魔法を使おうとしていた。もうバレないように出力を抑える、なんてことはしなくてもいいから、さっきよりもさらに強固なものを。
「アトナリア先生、魔術での拘束もお願いします」
「──あ、は、はいっ」
アーシャの声を受けて、先生も再び魔術の準備に入ったし、そんな二人を見てか、アリサさんの声もすぐ近くまで寄ってきていた。
「程々のタイミングで眠剤打ち込みたい所ですが、どうですかね?」
「ちょっ、とっ、待ってね。まだ全然、力が弱まって……ないっ」
ローブの襟を掴んで、背中から本棚に叩きつける。そうしてまた殴る蹴るの暴行をひたすら加えていくんだけど……これ、わたしが全部叩き壊してるだけで、魔法による抵抗自体は全く止む気配がない。たぶん怪我も負ったそばから治してるみたいだし。さすが、地力の高さと力の大きさと適合性の三つが合わさっているだけのことはある。
「…………と、言いつつ……ボコボコにして、いますが……」
テーブルを挟んで少し離れたところから、マニさんの声が聞こえてくる。手は休めずにちらっと振り返ると、レヴィアさんも彼女の隣にまで身を引いていた。
「抵抗はっ、……と、されてる。もう少しっ、弱らせたいとこ────」
最後まで言い切る前に、ぞわりと背筋が震えた。
わたしの中の血が“来る”と騒ぎ出す。目の前の老人なんかじゃない。全く別の場所で、突然に、途轍もなく大きな力が溢れ出して。
「──隨分と苦戦しているようではないですか、ウルヌス」
姿よりも先に、聞き知った初老の女性の声が。
「……っ、転移魔術!?」
次いで、カミの力ではなく、魔術の方を感知したらしいアトナリア先生の叫び声が聞こえて。別の場所──中央棟最上階に生じたその気配が、わたしたちとマニさんたちのあいだの空間に現出するのを感じた。
「アーシャっ!!」
わたしの叫びにすぐさま反応して、アーシャがわたしとアトナリア先生をひっつかんで振り返った。マニさんとレヴィアさんのすぐ目の前に、三人で揃って転移する。ほぼ同時にアリサさんもこっち側まで引いていて……そして直後に、わたしたちがいた場所を黒い波動が襲った。
「何とも、少し気が緩んでいましたかね」
あまりにも濃い闇の中に佇んでいるのは、この『学院』の理事長、アドレア・バルバニア。いつもこちらをお茶に誘うときのような自然体な微笑を浮かべて、当たり前のようにそこにいる。
「……こんにちは理事長さん。ついに本性を表した……ってことで、良いのかな?」
全く隠すつもりのない害意と、オウガスト・ウルヌスのそれすら遥かに凌ぐカミの力の大きさ、適合性。背後で三人ほど、息を呑む音が聞こえた。ついさっき、オウガスト・ウルヌスもカミそのものの力には程遠いって言ったけど。この威圧感、アドレア・バルバニアの力の源泉は恐らくそのカミそのものだ。
「本当はもう少し穏便に、静かに事を運ぶつもりだったのですよ?ですけれども、どうやら
「……こちらとしては、ボロを出してくれて万々歳と言ったところですがね、ええ」
右隣に立ったアリサさんが、臆することなく挑発を投げかける。実際、理事長までもがこうして、尻尾どころか全身くまなく曝け出してくれるとは思わなかったし。そういう意味ではもう、あれこれ頭を悩ませる必要はなくなった。
……目下の問題は、アドレア・バルバニアがあまりにも強い力を持ちすぎているということ。
適合性が異様に高い。『学院』での『騒動』どころか、おそらくわたしが今までに見てきた中でも、もっとも深くカミの力に浸かっている。そしてその上で何か、普通じゃない違和感がある。ハトア・アイスバーンが関与していた三人組のような、ただの適合ではない何かが。
正直に言って、今のわたしで抑え込めるか怪しいくらいには、彼女の力は常軌を逸していた。
「そこの耄碌ジジイの暴走は、貴方にとっても想定外だったようですね、理事長殿?」
「ええ全く。研究発展の為にと静観していましたが……いやはや、派閥争いというのは難しいものです」
「……派閥?」
突然この場にそぐわないような言葉が出てきたものだから、思わず聞き返してしまう。一触即発な空気の中で、あくまで表面上は対話が続く。
「はい。学術研究機関にはありがちな話でしょう?我々が行っている
何を言っているのか分からないのは、わたしが無学だからなのか。
それとも、この女の言っていることがあまりにも理解し難いからなのか。
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