第88話 見誤ったね


「──シグナルが来たわ」


「よーし、行こう」


 アリサさんから、アーシャの端末へと合図が届いた。廊下を一気に走り抜け、開け放たれた扉の前へと向かう。マニさん、アトナリア先生も一緒に、総出で研究室へと突撃。

 


 レヴィアさんが単身でオウガスト・ウルヌスの元へ赴き、わたしたちの中でも間違いなく最も気配を消すことに長けたアリサさんが扉に張り付いて機をうかがう。カミの片鱗を引き出した瞬間に部屋に突撃して証拠となる現場を端末で記録しつつ、わたしたちを呼び寄せる、と。ざっくり言うとそんな作戦だった。気取られないように、レヴィアさんには詳細を伝えないままに。


 小規模で取り回しの良い気配隠蔽の魔術に、本人の生身の技量を合わせて気配を殺す。そんな忍者特有の隠密行動──アトナリア先生と共同で試行錯誤して魔術の精度を上げてあるってどや顔してた──でもって仕事をキッチリこなしたアリサさん。次はアーシャとアトナリア先生の出番だ。


「──妖精共フェアリーズ


「っ!」


 魔法と、刻印型の魔術。二通りの拘束がオウガスト・ウルヌスに迫る。恐らく部屋の中に仕掛けられていたんだろう防護機能が働いて、どちらも幾分か減衰させられたみたいだけれど。それでも二人とも相当な使い手なわけで、それが同時にとなれば、完全に防ぐことなんてできない。


「……妖精よ……!」


 さらにはレヴィアさんも拘束の魔法を重ねて、結局僅か数秒のうちに、反撃する間もなく、オウガスト・ウルヌスは座ったまま簀巻きにされた。黒い羽根──カミの片鱗が、はらりと机の上に落ちる。


「……ふぅむ。こうなればもう、言い逃れは不可能かの」


「物分りが良いですね。では、大人しく連行されて下さい」


 と言いつつも、アリサさんは不用意に近づくような真似はしない。右手にはコンバットナイフ、左手には注入器が。彼女の後ろからアーシャとアトナリア先生が罠の有無を確かめているあいだに、レヴィアさんが静かに口を開く。


「……以前、わたしの元に同じモノを送り付けてきたのも、貴方だったのですか」 

 

「いかにも」


 鷹揚に頷くオウガスト・ウルヌスからは、まだ余裕が感じられた。わたしとアーシャも警戒は解かないまま。わたしたちのことをどこまで把握しているのか。その上で、なぜ二度もレヴィアさんを狙ったのか。隣からはぎりぎりと、マニさんが拳を握りしめる音が聞こえていた。


「わしは一度、バーナート嬢に叡智の欠片を贈り、そしてそれは確かに使われた。それは計測済みじゃ。じゃがどういうわけか──」


 一瞬言葉を切り、わたしへと視線を向けて。


「その力が掻き消えてしまった。勿体無い事じゃ。故にもう一度これを与えようと、そういう話をしておったのじゃが」


 もう一度レヴィアさんへ視線を戻してから、どこか残念そうに息を吐いた。


「バーナート嬢。君はこの叡智よりも、君自身の才能よりも、彼女達を選ぶというわけかの?」


「ええ」


「あの力を一度知っても、なお?」


「……ええ」


 ……なるほど。

 恐らくオウガスト・ウルヌスは、レヴィアさんが使ったカミの片鱗は跡形もなく消えたと思っていて。そのうえで、もう一度モノを見せれば、レヴィアさんは再びそれに手を伸ばすだろうと。力への依存性も理解した上での、一連の行動だったと。


 普通であれば──そもそも普通はこんな事態は起こらないんだけど──それは有効だったかも知れない。だけど。


「──見誤ったね」


「──見誤ったわね」


 アーシャと二人で、その失態を嘲笑う。


 レヴィアさんに宿ってしまったカミの片鱗は、完全に消えたわけじゃない。祓いきれなかった僅かな残滓は、ずっと彼女の中に燻っていて。きっと折りに触れ、レヴィアさんを誘惑してたはずだ。彼女が望むだけで、力は容易く吹き上がってくるはず。だけども彼女はそれに耐えて、もう一度自分の手で強くなろうとしている。


 そんな人物にいまさら片鱗一つ見せたところで、堕とすことなんてできやしない。

 だから、オウガスト・ウルヌスは見誤った。レヴィアさんの高潔さを……なーんていうのは、こうして結果が出たから言えることなんだけどね。

 

「いや、いやいや。見誤ってなどおらぬよ。わしはしかと理解している。一度目の叡智の開放の折に

 、しかとのう」


 叡智の開放とはまた仰々しい物言いだ。恐らくレヴィアさんが片鱗を使ったときのことを指してるんだろうけど……


「バーナート嬢、君には類稀な才能がある」


「……それは、魔法の才──」


「いや。いやいや。魔法の才は平々凡々なものじゃ。そうではない。そんな程度のものではない」


 一度だけ首を振ったオウガスト・ウルヌスは、目線だけで机の上の片鱗を指し示す。


「君には“これ”の力を引き出す才能がある。これの齎す恩恵を、最大限に享受する才能が。その才を活かさないのは、この上ない損失じゃ。君にとっても、わしにとっても」


「……それ、は……」


 ……オウガスト・ウルヌスがどうやってそれを理解したのかは分からないけど。癪なことに、その言葉自体はあながち間違いでもない。事実レヴィアさんさんは、カミの力に対して高い適合性を示していたわけだし。だけどそんなこと言われて喜ぶようなレヴィアさんじゃないし、何ならそれ以上に怒りを露わにする人物が一人。


「……何を、馬鹿な事をッ……」


 とうとう堪えきれなかったのか、マニさんが声を上げる。静かではあるけど、ふつふつと怒りに沸き立った声を。


「……お前のせいで、レヴィアは道を踏み外しかけた……何が叡智だ……ふざけるなっ……!!」


「──オウガスト・ウルヌス。貴方のやっている事は、教師として絶対に許されない行為です。その自覚はあるのですかっ?」


 呼応するかのように、アトナリア先生も声を上げていて。だけども目の前の老人は悪びれもせず……いや、本当にそう思っているんだろう声音で返す。


「愚者が二人。わしの行いは、それこそ前途ある若者への教導に他なるまい」


 彼の中にある狂気は、この言葉に集約されていると思った。

 本当に善きことだと思って、カミの片鱗を扱っているんだ。あんな、愚弄以外の何物でもない仕打ちをカミにして、レヴィアさんのような生徒の心に付け込んで。そんなやつに何を説いたところで、どうなるものでもないだろう。ため息を付いたアーシャが、妖精たちを従えたまま冷たく言い放った。


「何にせよ、お前の暗躍もここまでよ」


「暗躍とは随分な物言いじゃが……」


 拘束は完了してる。反撃や罠の魔法も検知されなかった。だけどもやはり、オウガスト・ウルヌスは余裕綽々なままで。もしもこの状況にも抗えるというのなら、それはもう。


「──ここまでというのは、さてどうかのう?」


 理外の力に他ならない。


「っ!」


 ごう、と。

 黒い影が、唸りを上げて吹き荒れた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る