第85話 最大限の助力を受けるに値するものじゃ


 本文中に失礼します。

 ここからちょいちょい視点が移動したりします。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「──ではバーナート嬢、次はこの紙切れを塵に変えてもらおうかの」


「はい」


 オウガスト・ウルヌス教授の研究室で、わたしは今日も個人指導を受けている。

 机に放られた小さな紙片が窓から指す斜陽を反射して、もうそれなりの時間が経っている事を教えてくれた。


「うっかりとデスクまで塵にせぬようにの」


「……ええ、気を付けます」


 この手の発言が教授なりに気を緩めようとしてくれているのだと分かったのは最近の事で、しかしだからと言って、わたしは大口を開けて笑うような性分でもない。気の利いた返しもできず、ただ無愛想に、言われた通りの魔法を思い浮かべる。それと同時に、アーシャから貰ったアドバイスも意識する。


「では……」

 

 イノリとアーシャは今日、先日の『騒動』の発生場所の様子を見てくると言っていた。成果は望み薄だろうけど、とも。

 口では「進捗がない」「無為」「徒労」などと言っておきながら、二人はめげずに淡々と、地道な調査を続けていた。気怠げで面倒くさがりのように見えて、職務に──神様カミに対しては、イノリはどこまでも直向きに向き合っている。最近になってそれが分かり、かつて彼女を怠惰だと見下していた自身の浅はかさを恥じもした。いや、怠惰であることは間違いないのだが。


 兎角、わたしがこうやってもう一度鍛錬に身を窶す上でも、彼女達の姿は良い発破剤になっている。

 アーシャの助言を心に留め、ウルヌス教授の下で、地道にコツコツと。


「妖精よ──」


 妖精を敬うのをやめろ、とは随分な難題だった。

 何せバーナート家は妖精を、我々を導く存在と認識しているのだから。妖精への敬意は骨身に刻み付けられている。それを捨てろというのは中々に受け入れ難く、しかしそれを捨ててでもわたしは、もう一度強くなりたいと思ってしまったから。無論、すぐに切り替えられるものでもないが……ひとまずは助言そのままに、“様”を外すところから始めている。

 最近は心なしか妖精さ──妖精の機嫌も良さそうで、魔法を発現させる傍らにふと、アーシャの妖精達はいつも楽しそうにしていたのが思い出された。


「……ふむ……」


 わたしの魔法を観察するウルヌス教授が、何を考えているのかは伺い知れない。個別の指導とは言ってもやる事はいつもの講義と然程も変わらず、教授の出す課題に挑戦しては、数言アドバイスを頂くだけ。ただしそれを、数時間のうちに何度も何度も繰り返す。似たような課題を連続で言い渡される時もあれば、全く別の事を立て続けにさせられる場合もある。


「……間違いなく、魔法の出力自体は上がっておる」


「……ありがとう、ございます」


「五層の中でも、より深い方へと進んではおる」


「はい、ですが……」


「うむ、六層には至らない」


 確かに塵となった机上のそれを見て、教授と二人頷く。ウルヌス教授の言葉自体には、さしたるショックもない。言われるまでもなく、自分でよく分かっている事なのだから。悲嘆すべきは、分かっていてもなお成長しない現状そのもの。

  

 そう、わたしは未だに六層にすら到達できていない。

 カミの片鱗を使って一時的に触れた領域に、まだ。


 あの時の魔法行使の感覚はどこか曖昧で、自分でも何をどうして六層の魔法を出力していたのかまるで理解できていない。まあ、あんな異常な状況を参考にして良いはずもないのだが。


 何にせよ、アーシャのアドバイスを受けてからは多少進展しつつも、大きな壁を超えるには至らず。

 そも、あのような──マニの言うところの“ズル”をしてすら、わたしは七層より先の、深層と呼ばれる領域に踏み込めなかった。歴代バーナートの中にも深層に至った者は幾人かいるが、わたしはそうはなれなかった。


 やはりどうしても、才能の限界と言った言葉が、脳裏をチラついて離れない。

 

 才覚を然りと開花させた者達、例えばマニやアーシャへの嫉妬心はもう無い。燃え尽きた、と言った方が良いだろうか。けれども、自分が先へ進めない事への、言わば寂しさのようなものは心に燻っている。再燃した“強くなりたい”という意思と共に。


「成長しているのは間違いない。アーシャ嬢のアドバイスは糧となっておる。それ自体は喜ばしい事じゃ」


「……全てを理解できている訳では、ありませんが」


「うむ。そこが難しい所じゃの」


 アーシャにしろ、ウルヌス教授にしろ。若干の程度の違いはあれど、そのアドバイスはどれも具体性に欠けるものばかりだ。それが悪いという話ではなく、そうならざるを得ないという事実がまず先にあり、その曖昧模糊な言葉に対するわたしなりの解を、わたし自身が見付けなければならない。


「…………」 


 ふよふよと漂う妖精を、何となしに目で追う。

 時に“光の影”などと称される存在。その言葉通りに淡く輝く小さなシルエットは、物心付いた頃から見慣れていて、けれども何も分からない。アーシャが言っていた魔法に狂った哀れな奴らという言葉も、間違いではないのだろうが。


「……わしはの、バーナート嬢」


「っ、はい」


 いけない。

 ぼーっとしていたわたしを慮ってか、ウルヌス教授が穏やかな口調で語りかけてくる。今は教導を受ける時間、全ての言葉を糧とする気概で望まなくては。


「君の事をいち学徒……いやさ探求者として好ましく思っておる。今は足踏みしているかも知れぬが、その直向きな姿勢は、最大限の助力を受けるに値するものじゃ」


「あ、ありがとうございます……!」


 慰めや世辞だとしても、光栄な言葉だ。一度道を踏み外したわたしには、勿体無いくらいに。なおの事気を引き締め、背筋を正して続く言葉を待つ。


「──なればこそ一つ、提案をしたい」


「提案?」


「うむ。これはリスクがあり、また確実な結果を得られるとも限らず、そして少なからず苦しみも伴う」


 故に今まで提示できなかった。故に今までのわたしの姿勢を見て、選択肢として示す事とした。そう語るウルヌス教授の声に、心が高鳴るのを感じる。打開策が、この停滞を打ち破る可能性が、有るというのだろうか。


「荒療治じゃ。言うなれば、無理矢理に一時だけ夢を見せるようなもの」


「夢……?」


「うむ。一つならず先の層の世界を、見る事が出来るようになる」


「……!」


「しかしそれは殆どの場合、一時的なものじゃ。或いは、一時的にすら得られない者も多い」


 けれども。もしも六層や……できるのなら七層の世界を、一時でも感じることができるのなら。それはどんな言葉よりも得難い経験になる。荒療治でも良い、リスクも苦痛も厭わない。どうかそのすべをわたしに──


「っ」

 

 ──そう言いかけて、しかし一瞬前に、先ほど自分で思い浮かべていた言葉が脳裏をよぎった。まるで警告のように、かつての自分の姿が蘇る。焦りに焦り、なりふり構わなくなっていた頃の、自分が。


 

 “わたしは未だに六層にすら到達できていない。カミの片鱗を使って一時的に触れた領域に、まだ”


 

 何かぞくりと、背筋を伝うような感覚。

 ますます早鐘を打ち始めた心臓が、感応しているかのように。ウルヌス教授がローブのポケットに入れた右手から目が離せなくなる。


はバーナート嬢のように才気と勤勉さを兼ね備え、それでも思い悩む者にしか示さない道。言わばこのわし、オウガスト・ウルヌスの秘伝のようなものじゃ」


 穏やかな、慈愛すら感じる声音のままに、教授がポケットから取り出したのは。


「それ、は……」


 過去にも一度見た事のある、一枚の黒い羽根だった。

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