第84話 ……恐れ入ったわね


 甲爬獣の処分も終わって、生物研究棟内を二人で歩いていた時に。

 それは聞こえてきた。


「────」


「っ!」


 本当に、本当に微かに。

 幻聴かと疑うほどにか細く。


「……イノリ?」

 

 けれども、確かに。


「──聞こえた」


 カミの呼び声が。


「……誰かが片鱗を……という訳では、なさそうね」


「うん」


 さすがアーシャは察しが良い。

 そういう、分かりやすく気配が立ち昇るような感じじゃなく、もっと微かなもの。だけども、近く。まるで耳元で囁きかけられたかのように、すぐそばで。


「……この辺りかもしれない。もしかしたら」


「この棟内にカミが?」


「可能性は、ある」


 意識を集中する。

 今しがたのような囁きを聞き逃さないように。気配を探るように。『学院』全体にうっすら漂うその中から、今この場所だけを切り取るように。


「…………」


 妨げにならないようにと静かにしてくれているアーシャを隣に感じながら、意識だけでなく物理的な視界にも気を配る。今はわたしたち以外誰もいない、細く長く、静かな通路。無機質な光が天井に。突き当りを左に曲がって、しばらく進めば広い玄関口……えんとらんすに出る。私達を囲む左右の壁には等間隔に、各研究室へと続く扉が。


「──」


 或いは、それらの部屋のどこかに。

 そう思い端から順に意識を向けていくけれど、特に引っかるものはない。部屋のいくつかに、人の気配があるだけ。その内の誰かが片鱗を所有している……いや、それなら恐らく、そもそも気付けない。レヴィアさんの時もそうだったけど、解き放たれる前の片鱗──羽根のような形状のそれ──は、今までも感知できなかったから。


「…………」


 アーシャの息遣いが、ほんの僅かに感じられる。先ほどの呼び声よりよほど小さなそれすらも拾えるのに、カミの声は聞こえない。来た道のどこかに……そんな考えから振り向けば、白く不思議な質感の床が、靴裏に擦れてきゅっと鳴った。通路に一度だけ、高く響く。


 いやに綺麗な床。継ぎ目すらも見当たらないような、のっぺりとした白。その中にある黒は、わたしたちの薄い影だけ。


「────そこに居られるのですか?」


 半ば無意識の内に零れた言葉が、響くことはなかった。


「……地下?」


「可能性は、ある」


 先ほどよりも大きな、可能性が。

 

 アーシャが周囲を警戒する魔法を使ったのを感じながら、わたしはしゃがみ込んで床に手をついた。指の先に伝わるのはやっぱり不思議な、硬い感触。触って、撫でて、それでようやく。ちょうど私が立っていた直下に、本当に小さなひび割れがあるのが分かった。視認すら困難な、僅かな綻びが。


「アーシャ、この床」


「ええ」

 

「仮に壊したとして、元に戻せる?」


「バレないように?」


「バレないように」


 隣にしゃがみ込んで、わたしと同じように指先で床に触れるアーシャ。少しだけ考え込む素振りを見せてから、やがて右手のてのひらを、べったりと床に付けた。


「……このくらいの大きさなら」


「お願い」


「任せて」


 この床が何で出来てるかは分からないけど、アーシャが任せてと言ったのなら問題はない。壊すのも、直すのも。


「──妖精共フェアリーズ


 わたしたちの周りに、ごく小さな遮音の魔法が展開される。それと同時に、呼びかけられた妖精たちが十と言わず、二十近くも姿を現した。今のアーシャが魔法の使用そのものを隠蔽しながら出せる、恐らく最大の出力だ。


────きりとれ────くりぬけ


 こんな時でも妖精たちはわちゃわちゃと騒がしく、だけどもアーシャの声の通りに、魔法は発現する。付いた右手を囲うようにして、床に真円の線が入った。まさしく、切り取ってくり抜くための。


「っ」


 一息ののち、アーシャがゆっくりと右手を持ち上げれば。その手のひらにくっついて、歪みもなく切り抜かれた円柱が床から引き抜かれた。


「──それなりに厚かったけれど。まあ、問題は無いわ」


 ……それなりどころかこの円柱、わたしの腕ぐらいの長さがあるんだけどね。

 ごとりと小さな音を立てて──遮音の魔法で周りには漏れずに──、床に転がされる円柱。目当てはそれではなくって、いやこの素材もものすごく気になるけど、今は一旦おいておいて。わたしの意識は急激に、ぽっかりと空いた穴の向こうへと向かっていく。


「下は空洞……いえ、小部屋と言った方が良いかしら」


「うん」


 穴を覗き込んでも見えはしないけど、それでも確実に分かる。立ち昇るカミの気配が。これまでの『騒動』で感じたものとは段違いな、大きな大きな存在感が。

 これは思し召しだったのだろうか。誰もいないこの瞬間、わたしが綻びを踏むこの瞬間を、彼の者はずっと待っていたのかもしれない。


 とにかく、下に部屋があるのなら、やることは一つ。


「アーシャ」


「ええ、入れるわ」


 中から人の気配は感じられず、侵入そのものを妨害する仕掛けもない。

 空間的に繋がっていて距離も測れているなら、アーシャなら問題なく“跳べる”。


「ただし、恐らく探知の魔法、魔術が施されているわ。誤魔化せるのは一分程度だと思っていて」


「うん、ありがとう。お願い」


 ここまでとここからの働きにお礼を言ってから、アーシャの左腕に掴ま……ろうとしたら、それより先に腰をぐっと引き寄せられた。勢いそのまま、横から抱きつく姿勢に。


────むかえ────みちびけ────かくせ


 声と同時に、半分くらいの妖精たちが姿を消して。残った半分のきゃいきゃい笑う声が揺れ、頭に響き。次の瞬間には、わたしとアーシャは穴のにいた。


「っ」


 無言のまま小さな灯りの魔法を使うアーシャ。暖かな光を受けて、この──地下深くに作られた小部屋の様子が明らかになる。

 この部屋自体もまた、生物研究棟の床と同じ材質の壁、床、天井に囲われていて。妖精たちの数は再び、さっきと同じ二十に近く。


 その中にあって目を引くのは、“それ”一つだけ。


「…………ふぅん……」


 わたしの身の丈を優に超える、透明な円柱。

 中には、昏い影を纏った黒く大きな“翼”が。まるで、片翼を無理やりもぎ取ってそのまま放り込んだように、ただ翼だけが、その円柱の中に閉じ込められていた。


「ち────。はや──、わ────して──」


 こんなにも近くにいるのに、言葉を聞き取ることすらままならない。


「……恐れ入ったわね」


 吐き捨てるアーシャの目線の先。よく分からない管が大量に伸びていてる円柱の根元には、例えば──そう。標本に付ける名札のような金板が貼り付けられていた。


 

 “相違次元生命一号 中型サンプル Ⅱ”


 

 不敬者たちは、カミの片翼をそう呼んでいるらしい。

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