第67話 追及


「――ところで先生。今この部屋に展開されている魔術にはどういう意図がお有りで?」


 そのままの流れでごく自然に言うものだから、危うく聞き流すところだった。


「ん?どれだい?今は何も起動させていないはずだけど」


 ハトア先生の返事も、何も淀みなく変わりない口調で。まるでここまでの雑談の続きのようなやりとりに、反応が一拍遅れてしまう。アトナリア先生の顔から笑顔が消えていなければ、気持ちを切り替えられなかったかもしれない。



「――またまたぁ。しっかり動いてるじゃないですか。意識を混濁させる魔術が」



 と、にこにこと笑みを浮かべたままのアリサさんの言葉で今度こそ間違いなく、部屋の中に緊張が走った。だというのに、口にした本人はお気楽な声音のまま。


「先生が仰ったコトですよ。『どこに何があるかは把握している』と」


 座ったままでできる最大限の大仰さで、アリサさんが部屋中を見渡す。わたしの目には、色々な資料が乱雑におかれた狭苦しい空間にしか映らないけど。

 一周回ったその視線が、こちらに向けられた。


「そこかしこにある資料の山。これらの配置によって形成された魔術式が、ただ今絶賛起動中でございまして」


 そのまま淀みなく、さっぱり分からないわたしとアーシャに丁寧に説明してくれる。

 ハトア先生は、机の向こうで黙りこくったまま。


「先ほど、ハトア先生が机の裏でごそごそやってたでしょう?恐らくアレで起動しましたね。ワタシもすぐには気が付けませんでしたが」


 いやぁ流石ですねー……なんて、白々しいくらいに呑気な声音で言うけれど。あちらがわたしたちを陥れようとしていたことがほぼ確定したわけだし、アーシャなんかは既に殺気立った目でハトア先生を睨んでいる。


 わたしもまあ、もうこれは黒かなって感じ。そして同時に、わたしたちが彼女を怪しんでいることが漏れていた、という部分に一瞬意識が向きかけるけど。とにかく今は、この場をどうにかすることが最優先だ。


「――その昏倒の魔術?ってやつ、効いてる感じがしないってことは……」


 わたしもアーシャも、さっきから喋り倒しなアリサさんも意識ははっきりしてる。何かしら手は打ってあるんだろう。そう思っての問いに返ってきたのは――



「ええ、中和してます。アトナリア先生が」



 あ、そっち?って感じの言葉だった。

 さっきから静かだったのは、ショックを受けてるからだと思っていたけど。


「……分かっています。言わなければならなかった……分かっているんです……!」


 視線を向けてみれば、返ってきたのは小さく辛そうな声。

 いよいよ耐え切れないというように、両手は膝の上で固く握りしめられていた。なんだ先生。隠しごと、けっこう上手じゃん。


 ……まあでも、それもそうか。アリサさんが気付かなかった痕跡に気付けた人なんだから。今回も彼女に分かってアトナリア先生に分からないはずがない。

 明らかにこちらを害する意思を持ったハトア先生の行動を、それでも即座に咎められなかったのは。言ってはなんだけど、この人の弱いところなのだろう。一番左の席は今、もの凄く沈痛な雰囲気に包まれている。


「ハトア先生。何か申し開きは?」


 対して右端の、まあ余裕綽々なこと。

 表面上浮かぶいつもの胡散臭い笑みが、台詞と状況のせいで一層底知れない感じになっていた。この間の女子会の時も思ったけど、この人いきなり刺す・・癖があるのかもしれない。


「…………はぁ」


 で、たった今刺されたハトア先生……は、珍しく少し弱ったように溜め息をついた。


「いやはやまさか、見破られるとはね」


「存外あっさり、認めましたね」


 言質を取った、という認識で良いんだろうか。

 わたしも、もう少しとぼけるなりするかもと思ってたけど。あれかな、この辺りはアトナリア先生に似て~って感じかな。


「ああ。君の言う通り、この部屋には僕以外の者の意識を奪う魔術が仕掛けられている」


 完全に所業を認める発言、それと同時にアトナリア先生が立ち上がった。


「――何故そんな事をっ!ハトア、貴女――」


「面倒臭いからですよ。ここに赴任してからというもの、程度も知れているのに僕と議論したがる輩が多くて」


「――は?」


 悪びれもせず、眉根を寄せて椅子にもたれ掛かるハトア先生。詰め寄ろうとしていたアトナリア先生も、気勢を削がれたのか半端に踏み込んだ姿勢で固まっちゃってる。


「この程度の魔術にも気付けない連中とは話すだけ時間の無駄。振るい・・・のようなものですよ。自衛も兼ねた、ね。折角なので、アトナリア先生にも通用するか試してみようかと」


 ……何を言ってるのか、よく分からない。これはわたしが、魔術や魔術師に対して理解がなさ過ぎるから?と思って右を見てみれば、アリサさんもしっかり苦笑いしてた。


「言い訳にしては少し苦しいですね」


「あ、アリサさんっ……!」


「――アトナリア先生は信じたいのかもしれませんが。相手をするのが面倒だからなどと言う理由で、対象の意識を奪う魔術を常時待機させるなど効率が悪過ぎる。倫理的にも、あまり褒められた行為ではないでしょう?」


「そ、それは……」


 アトナリア先生は、ハトア先生の言い分を信じたいようだけど。たぶん、魔術に詳しい先生だからこそおかしいって良く分かってるはずだ。膝の上の手は、真っ白く握られたままだし。


「……僕に一般的な倫理観がやや欠如している……らしいのは、先生も良くご存じでしょう?」


「では面倒な客が来た際には、門前払いするよりも招き入れて回りくどい魔術で眠らせてから部屋の外に放った方が効率が良いと?」


「ああ、僕はそう思うね」


 そんなことないと思うんだけどなぁ――と、机越しの目を覗き込んでみてようやく勘付いた。この人、本気で弁明するつもりなんてないんだ。


「兎に角コレ・・は、鬱陶しい有象無象共を追い払う為のものであって。決して、君達をピンポイントで狙った罠などでは無い。という話だ」


 高慢に、椅子に踏ん反り返りながら言ってくる。

 要するに、言質さえ取られなければ何とでも言い逃れできると考えているらしい。みみっちいね。でも困ったことに、ちょっと効いてる。


「魔術に気付いたにも拘らず、僕を無力化なり捕縛なりしなかった。つまり証拠が必要なんだろう?明確で、ケチの付けられない確証が」


 ――随分と上品なやり口じゃないか。


 嫌らしく口角を上げてそう言うハトア先生――ハトア・アイスバーンはもう、ほぼ確実に何らかの形で関与してると見て良いだろう。カミだの騒動だのの言葉を出さずとも、こちらが彼女をどうするつもりなのか分かっているような態度だ。



「……どうして……?」


 ただ一人立ち上がったままのアトナリア先生が、悲しそうに呟いた。

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