第45話 補習三日目


 最終日ー。


 「――さてと。最終日に残るは『詠唱型』について」


 三日目ともなればもう特に言うこともないのか、ハトア先生はアーシャがどうとかには触れずに時間通り講義を開始した。


「『詠唱型』の利点は言わずもがな、事前準備が必要ない・身体が空くということだ。ちょっとしたながら作業、咄嗟の事態、戦闘中など、様々なシーンで広く用いることが出来る。魔術具――『刻印型』等とは違った方向で人類社会に広く浸透していると言えるだろう」


 眠たそうな先生の声は、多分アーシャの耳にもしっかりはっきり聞こえていると思う。昨日で大体良い感じに仕上がったから今日は最後の微調整、って言ってたし。

 わたしが魔術の基礎の基礎をどうにか頭に入れている間に、アーシャは盗聴の魔法を完成させちゃったというわけだ。アーシャすごい。えらい。


「一方で裏を返せば、事前準備が十全に出来ているならば『刻印型』の方が、使う魔術を極力悟られにくくしつつ戦闘技能に組み込むならば『動作型』の方が有効という事でもある」


 アリサさんは、露骨に何か企んでいそうな顔をしてた。

 わたしたちに伝わるように、「何かやりますからねー」みたいな澄まし顔。たぶん何かやるんだろう。


「『詠唱型』も流派だの種類だのはいくつもあるが……緊迫した戦闘時に使用できる程実践的なものは限られている。この場では各種詳しくは語らないが、例えば『文節式』『数分配式』『歌唱式』――」


 『数分配式』ってどこかで聞いたことあるような……や、全部聞いたことないと駄目なんだろうけど、まあ、それはそれ。


 わたしもこの三日間で随分と真面目に――わたし基準でね――講義を聞くことにも慣れてきた。ハトア先生の淡々とした説明を頭に詰め詰め、どうにか耳とか鼻とかから零れ落ちて行かないように集中する。


 アトナリア先生も奥の机で自分の作業をしながら、時折こちらに視線を向けているのが感じられて。気にかけてくれてるんだなぁっていうのが良く良く分かった。三日とも、ね。




 ◆ ◆ ◆




 わたしが気持ち真面目になったから……っていうのが関係あるかは分からないけど。最後の補習はいつもより少し早く終わった。


「――さて、これで僕からの補習講義は全て終了となる」


「はい、三日間お世話になりました。ありがとうございます」


 自分で言うのもなんだけど、結構礼儀正しくなってきたんじゃないだろうか。少なくとも集落に籠っていた頃よりは。


 だけど、座ったまま頭を下げるわたしを、ハトア先生はだらりと手を伸ばして制した。


「まあ待ちたまえ。僕からはとは言ったが、まだ――」


 その姿勢のまま、目線をちらりと後ろへやって。


「――イノリさん、まずは三日間お疲れさまでした。よく頑張っていたと思います」


「ありがとうごさいます」


 立ち上がって近づいてくるアトナリア先生。労ってくれるのは嬉しいけど、「まずは」って言ったよねぇ。


「もしよろしければ、この補習の成果を確かめる為にもう一度テストの問題を解いてみませんか?できる限りで構いませんから」


 ほらきた。なんならちょっと楽しそう。


「……補習の直後、ましてや『詠唱型』なんてつい五分前までやっていた範囲なのだから、頭に残っていて当然だとは思うが」


 そう、ハトア先生の言う通りだ。

 言う通りだからこそ、再テストまで結果が悪かったらもう本当に怒られそうな気がしている。や、さすがに何も書けないってことはないけどね。

 そして、アトナリア先生もそう思ってくれてることが伝わってくるからこそ、嫌ですとも言い辛い。


「どうでしょう。これも強制ではありませんし、受けなかったからどう、という話でもないのですが」


「……分かりました、やってみます」


「ええ、頑張りましょう」


 やっぱりアトナリア先生、嬉しそうだ。


「その前に、アーシャたちに一言伝えておいて良いですか?」


「勿論」


「――うむ、話も纏まった辺りで僕は失礼するよ。イノリ君、エルフの彼女によろしく」


「あ、はい。ありがとうございました」


「ん」


 わたしが立ち上がるのと同時に席を立ったハトア先生は、そのままふらふら~っと研究室を出て行った。あっさりした最後だったけど、まあこんなものなんだろう。今日も隈すごかったし。


 わたしも続いて廊下に顔を出し、アーシャとアリサさんに伝える。

 案の定、どちらも終わるまで待ってるってことで、再度着席。用紙かもん。


「――では、時間制限は前回通りに。始め」


 先生の声と共に、この三日間で習ったことを順番に思い起こしていく。どうせ完璧には出来ないから、ゆっくり確実に、覚えているはずのことを掬い上げるみたいに。

 前回はわたしの手の中で回っていただけだったペンも、今回はしっかり本来の役割をこなせて嬉しそうだった。たぶんね。




 ◆ ◆ ◆



「――いやぁ、お疲れ様ですご主人様。アトナリア先生も」


 で、試験も無事終わって(アトナリア先生もにっこりの結果だった。やったね)入室してきたアリサさんの第一声がこれ。こっちは露骨に胡散臭いにこにこ顔で、今にも手もみしだしそうなくらい。


「……ええ、まあ」


 アトナリア先生もなんだこいつって目で見てるし、変な雰囲気を隠すつもりもないんだろう。


 アーシャは、座ったままのわたしの背中にゆるーく抱き着いてきてる。耳元で小さく「お疲れ様」って言ってくれたから、お返しにこっちも「おつかれさまー」って。


「……随分とその、明け透けですね」


 そんなことをしていたからか、先生の視線はわたしたちの方に。って言っても、どこかそわそわ、紅い瞳が左右に揺れてるけど。


「……失礼しました」


「……いえ、まあ、程ほどに」


 アーシャは無表情のまま謝って身体を離すけど……両手はやっぱり、肩に乗っかったまま。こんなに長い時間――わたしたち基準でね――お互いの姿が見えない状況って、何気にあんまりなかったからなぁ。アーシャ、寂しくなっちゃったのかもしれない。もちろんわたしも。


「お二人はそれはそれはもう仲睦まじく在らせられますのでねっ」


 でいつも通り、なぜかアリサさんがどや顔してる、と。

 しかもその得意満面な顔のまま、アトナリア先生へ近づいていく。


「ところでアトナリア先生。もしご迷惑でなければ一つ、お願いがあるのですが」


「私に出来る事であれば」


 ちょっと警戒しながら返事をするアトナリア先生に対して、アリサさんはそのお願いとやらが通るのが分かり切ってるみたいな笑み。わたしたちも知らないそれが何なのか、一旦静かに見守ってみる。


「先生のお陰で、ご主人様も勉学の大切さを肌身に感じておられるはず。しからば今後も、ちょっとしたスキマ時間にでも構いませんので講義の…………そうですね、予後補足のような指導を頂きたいのですが」


「……つまり。今回のような補習を継続的に、と?」


「はい、勿論お忙しい身であるとは思いますので、無理にとは言いませんが」


 ……それ。事前に一言、わたしに断っておいて欲しかったなぁ。


 アトナリア先生はわたしみたいな生徒の指導に熱心で、かつこの三日間を受け持ってくれたハトア先生に、急に延長を申し出るのも難しい……と、思う。ハトア先生、なんかすごい人みたいだし。

 わたしがやりたいって言ったら、アトナリア先生はきっと協力してくれるだろう。それを見越して、当初の『アトナリア先生と仲良し計画』へと軌道修正を図る案。まあ、納得はできる。正直面倒臭いって気持ちはまだあるけど、でも。


 ここは乗っかっておくべきだろう。

 事前に、一言、断っておいて欲しかったけどねっ。


「アトナリア先生。もしよろしければ、是非ともご指導お願いしたいです」


 座ったまま頭を下げる。

 さっきと同じ構図だけど、これは終わりじゃなくって続きを求めてのもの。


 再びこちらに視線を戻したアトナリア先生は、悩む様子すら見せずに。


「……それは勿論、協力させて頂きますよ。イノリさんがそこまで意欲を見せていたとは、嬉しい誤算ですね」


 本当に言葉通りの嬉しそうな微笑を浮かべながら、そう言ってくれた。

 改めて、この人は良い先生なんだなぁって思わずにはいられない。ちょっと……いやけっこう、厳しい先生でもあるけど。

 そんな人柄につけ込む行為に、罪悪感が全く湧かないかといえば嘘になる。でもまあ、これも仕事の内だから。仕方ない、仕方ない。


「――で、ですね。もしお邪魔でなければ今後の補習、ワタシと奥方様もご一緒させて頂きたいのですが」


「それは構いませんが……お二人には補習など必要ないのでは?」


「いえいえ、何事も予習復習反復練習は大事ですからねっ」


 とか考えてる間に、アリサさんが何やらうまいことやっていた。

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