第44話 補習二日目


 ばーん、補習二日目。


 昨日と同じく少し早めに研究室に行くと、昨日と違ってハトア先生がもう机に座っていた。


「やあ、早かったね」


 まるで自室に招いたような物言いで、今日も眠そうに瞼を細めている。

 奥の方からアトナリア先生が立ち上がったのを見て、二人に向かって一礼。


「今日もよろしくお願いします」


「ええ、頑張りましょう」


 声に出して応えたのはアトナリア先生で、ハトア先生は小さく頷くだけ。そんなことより、とばかりに、対面に座ったわたしの方へ身を乗り出して。


「今日もエルフの彼女は来ているのかい?」


「はい」


「……メイドも?」


「はい」


「…………そうか……」


 アリサさんの所在を聞くやがっくりと肩を落として、椅子に深ーくもたれ掛かった。ただでさえ眠そうなのに、残念そうな顔をされるとなおのこと不健康に見えてしまう。


 あ、アーシャは今日も盗聴の魔法の調整。昨日は綺麗にはっきり聞き取れるほどじゃなかったからって、改良に勤しんでるみたい。この手のは大前提として「相手に感知されないように」っていうのがあるから、気取られず、だけど効果は最大限に……っていうのが難しいらしい。

 人除けの魔法とか、口が軽くなるやつとか、遮音とかもそう。バレないことが最優先。だってさ、折角声が外に漏れないようにしても、魔法使ってるってバレてたら何やってるか言ってるようなものだし。あの狭い集落で流石にそれは恥ずかしいって。


 ……んでアリサさんは――何だろうね、『アトナリア先生と仲良し計画』(名:アリサさん)がいきなり躓きかけたことの埋め合わせ?みたいな雰囲気を感じる。昨日の威圧とかね。


 一応、こうしてアトナリア先生の研究室にお邪魔することはできてるわけだし、補習前のちょっとしたお喋りなんかも、仲良くなるうえでは大事だと思う。そう考えればあながち失敗でもないんだけど。アリサさん的には挽回したいんだろう。たぶん。


「……ハトア。昨日ので懲りていなかったのですか?」


 で、その標的であるアトナリア先生は、今まさにハトア先生にジトっとした目を向けてる。アーシャが時々――いやそれなりに、かな――アリサさんとかマニさんとかレヴィアさんとかに向けてるようなやつ。言葉は悪いけど、えっと、馬鹿を見る目。


「勿論、懲りましたよ。だからメイドの有無を聞いたんでしょう」


「そうではなくて……本人が拒否しているのだから、執拗に話を持ちかけるのは――」


「いやいやいや。先生、分かっているんですか?事の重要性を?本来魔法に全くの適性を持たないはずの種族が、それを高いレベルで使いこなしているという事実を。昨日も言いましたが、人類種の常識が覆ったっておかしくないんですよ?」


「だとしても、です。それとも貴女には『研究倫理』の補習が必要なのですか?」


「……ぐぅ……」


 研究倫理。春先からこっちアーシャに声をかけてきた教授先生たちはみんなそれを遵守していて、度を超すほどしつこく食い下がってくる人はいなかった。誰も彼もすんごい残念そうな顔してたけどね。あのウルヌス教授ですら。


 んで、それをお世話になったっぽい先生から言われたハトア先生も、苦虫ふぇいすってやつになってる。でも、それでもまだ諦めきれないみたいで、その視線はもう一度わたしの方に向いてきた。


「……イノリ君、彼女はアレだろう?君の伴侶なんだろう?」


「ええ、まあ」


「ならばこう、どうにか上手い事説得して――」


「わたしはアーシャの主人なので。彼女の意にそぐわない事をさせようとする相手から、彼女を守る立場にあります」


 アーシャが頷かない限り、わたしは断固としてその意思を尊重する。

 そう籠めて、隈に囲まれた瞳を正面から受け止める。


「…………」


「…………」


「…………はぁ。何とも嘆かわしい事だが、致し方無いか」


 やがて根負けしたように、ハトア先生は言った。

 よし、勝った。や、補習してくれる先生に勝っちゃ駄目なんだけど。


「すみません」


「いや。……もしも彼女の気が変わったら、すぐに僕に知らせてくれ。他の誰でも無い、この僕に」


「はい」


 多分ないだろうなぁと思いつつ、一応頷いておく。

 万が一そんなことがあったら伝えはするけど、ハトア先生に任せるかどうかはアーシャ次第。


「全く……ハトア、そろそろ時間ですよ。今日もよろしくお願いします」


「…………ああ、そうですね。ではイノリ君、始めようか」


「よろしくお願いします」


 頃合いを見てか、それとも話を打ち切りたくてか。何にせよアトナリア先生の一声でこの集まりの本題が始まった。


「今日は基本三型の二つ目、『刻印型』について――」

 



 ◆ ◆ ◆




「――なに?補習の講師はハトア・アイスバーンなのか?」


 んで、その日のお夕飯。

 今日は「偶の食堂の日」だったから、えーっと――……いつメン?――そうそう、五人いつめんってやつでテーブルを囲む。みんな毎回ほとんどおんなじものを食べてるのは、一貫性があるというべきか変わり映えがないというべきか。

 わたしは好きだけどね。変わり映えのない毎日。


 ……何の話だっけ?

 あ、そうそう。何かの流れで補習の話になって、ハトア先生の名前を出した辺りで、レヴィアさんがちょっとびっくりしたってところ。


「レヴィアさん、知り合い?」


「いや面識はないが、王都じゃ有名な人物だぞ。まだ年若いヒューマンでありながら、エルフに匹敵するほどの魔術の知識と技術を持つ気鋭の才女……ちょっと待て誰も知らなかったのか?」


「ワタシはまあ、知ってはいましたが」


 昨日の一件で完全に要警戒人物認定しちゃってるアリサさんとしては、レヴィアさんが口にしたような経歴はどうだって良いんだろう。

 ちなみに今日のわたしとハトア先生のやり取りはばっちりアーシャの耳に届いていたらしく、補習が終わってからずっと上機嫌だ。三人は全然分からないって言ってるけど。


「……まあ諜報員にんじゃだからな。まかり間違っても、著名人の情報が頭に入っていないなんて事は無いだろうが…………で、お前らは?」


「…………」


「…………」


「…………」


「少なくとも、王都じゃ誰だって知ってる事だぞ」


「…………」


「…………」


「…………」


「……お前ら、普段何を考えて生活してるんだ?」


「アーシャ…………と、不本意ながらお仕事」


「イノリ」


「里抜け」


「レヴィア」


「……あぁ、そうだったな……」


 いかにも呆れたって風に肩をすくめるレヴィアさんだけど、わたしたちに恥じるべきところなんて何もないのだー。がはは。


「……でも、そんな高名な方が……よく基礎座学の補習なんて、引き受けてくれましたね……」


「ですよねぇ。お陰様でワタシのパーペキな計画が……」


 まあ世間の評判を聞く限りだと確かにそうで、私も少し首を傾げてしまう。

 アーシャはどうでも良さそうに、わたしが差し出したうどんに口を付けていた。


「……そういえば、「頼まれたからやってるだけ」って言ってたよ」


「頼まれた?」


「……アトナリア先生、に……?」


「それで一個人に基礎の基礎を教えてくれるとは。アトナリア先生、よほど慕われているんでしょうかね」


「厳しいけど、良い先生だと思うしねぇ」


「まあ、そうね」


 だからハトア先生も、眠たそうにしながらも手伝ってくれてるのかなぁって。

 二人がどんな関係なのか分からないわたしたちには、そう類推するくらいしかできることもなかった。

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