第43話 補習一日目
失礼します、って。
小さな声と一緒に入ってきた女性は、なんていうか……すごく眠そうだった。わたしとアーシャみたいに気怠そうな感じじゃなくって、単純に睡眠時間が足りてないような。目の下にははっきり見える隈。肩口辺りまでの緑色の髪も、多分適当に切ったんだろうなって分かるくらいぼさぼさのじゃぎじゃぎで、どこか暗くくすんでる。全身を覆うローブだって、汚くはないけど使い古しているのが端々から伝わってきた。
「……ハトア、また睡眠時間を削ったのですか?」
「睡眠なんて人生において最も無駄な時間。削れる限り削るのは当然の事ですよ」
アトナリア先生の苦言に、女性は当然とばかりに肩をすくめる。うぅむ、この時点でこの人とは価値観が合わないような気がしてるけど……まあ、補習の間だけの交流だし良いか。
「で、君が件の問題児君か」
「はい、イノリです。よろしくお願いします」
一応、席を立って頭を下げる。ハトア……先生、身長はわたしより高いと思うんだけど、すんごい猫背なせいで目線はわたしとあんまり変わらない。手をひらひら振りながら、一緒に立ち上がったアトナリア先生と入れ替わるように対面に座った。
「イノリ君、ね。僕はハトア・アイスバーン。まあ何でも好きに呼んでくれ」
「はい、ハトア先生」
「外にいたのは君の友人かい?」
「嫁とメイドです」
「成程ね」
聞いたわりには話題を広げることもなく、ハトア先生は机に頬杖を突いた。
嫁って単語にアトナリア先生の耳がぴくっと動いたけど……まあ今は、これ以上言うこともないかなぁ。
「じゃあ始めようか。言っておくが僕はアトナリア先生ほど教育熱心じゃない。今回だって頼まれたからやってるだけ。適当にやるよ、適当に」
「よろしくお願いします」
適当なら得意分野だ。
奥の書斎机に戻ったアトナリア先生の視線を感じつつ、一日目の補習が始まった。
◆ ◆ ◆
「――今日は動作型について話そう。文字通り身体を動かす動作に魔術の発動を紐づけるやり方。流派だのなんだの色々あるけど、要はこういう事」
緑のような茶のような、枯葉色の瞳を眠たげに細めながら、ハトア先生が左手人差し指で円を描く。右手は頬杖を突いたまま、だけどその単純な動作で机の上に、ほんの小さな火花が散った。何かに燃え移ることもなく、机に焦げ目一つ付けられないほどの、ごく一瞬の輝き。
それは確かに魔術、なんだと思う。
「今の指の動きにだって色々とルールがある。それはまあ後で説明するとして、つまり決められた身体の動きが対応した魔術を発動させるって事。それだけ」
「はい」
そこまでは、流石のわたしも何となく理解してる。だって「動作型」って言っちゃってるんだし。動いて魔術を使うんだろうなって、それくらいは分かる。それくらいしか分かんないけど。
「刻印型」は物体に何やら刻んで、「詠唱型」は呪文みたいなのを唱えて。それぞれ魔術を発動させる。わたしがこの前のテストで書けたのは、これだけ。
「君のテスト結果を見るに、理解していないのはまず魔術発動までのプロセスだろう。身体動作が、刻印が、詠唱が、どうやって魔力に働きかけ、魔術の発動に至るのか。面倒だからなるべく簡潔に説明するが――」
眠そうなハトア先生の声に、耳を傾ける。
受けていて何となくの感触だけど、ハトア先生の講義は正直アトナリア先生よりも分かりやすく感じる。でもこれは、アトナリア先生が教えるの下手っていうわけじゃなくって……ハトア先生の話は、とにかく情報量が少ないんだと思う。
本当に最低限の、基礎の基礎の補習を受けるような生徒に必要な一握りの知識だけを口に出している。だからわたしでも頭に入れられる。座学の講義って大体、先生たちが小難しい話を延々としてて、気付いたら声が耳から耳を通り抜けちゃってるんだよねぇ……
「――君、今の聞いていたかい?」
「――あ、はい、大丈夫です」
ほらもう。
分かりやすいって言ったハトア先生の説明ですら、気付いたら聞き流しそうになっちゃってた。自分でも分からないうちに、別のこと考え始めてしまう。
アーシャ、盗聴の魔法上手く使えてるかなぁー。とかね。
「ふむ。まあ正直、僕は聞いていなくたって別に良いのだけれども。頼まれた事を喋るだけだから。では続きだけど――」
視界の端に時たま入り込むアトナリア先生の呆れ顔はどっちに向けられたものなのか。わたしには分からないまま、講義は続いていった。
◆ ◆ ◆
「――ん。じゃあ今日はここまで。別に予習も復習も課さないから、忘れたければ忘れると良い」
「ありがとうございました」
最後まで眠そうだったハトア先生の言葉で、予定より少し早く補習が終わる。
それからほんのちょっとだけ静かな時間を置いて、戸を叩く音がした。
「失礼します」
入ってきたのはアーシャとアリサさん。
「本当にずっと、外で待っていたんですね……」
少し驚いたようなアトナリア先生に一礼してから、アーシャは座りっぱなしのわたしの両肩に手を置く。
「お疲れ様」
「ありがと」
もにゅもにゅ優しい力加減に、肩の力が抜けていく。アーシャも魔法の調整お疲れ様だねぇ。そう籠めて頭をお腹に預けたら、つむじの辺りに心地良い重みが。
「先程も見かけたけど……ピンクの髪の不愛想なハーフエルフ……君が噂の『魔法が使えるエルフ』だね?」
「……ええ」
講義中より、すこーしだけ元気な声音。
座ったまま気持ち身を乗り出しているハトア先生に、アーシャが短く答えた。うんうん、まさしく不愛想なハーフエルフって感じ。
「いや非常に興味深いね。エルフが、魔法を?基礎座学を受けているという事だが、魔術の方はやはり不得手なのかい?」
「ええ、全く」
「全く?それは全く扱えないという事?エルフが?一体何故?何故エルフでありながら、魔法と魔術の得手不得手が逆転している?」
「さあ、私にも分かりません」
もにゅもにゅ。
肩とつむじと後頭部にかかる力加減から、アーシャが会話に全く気を向けていないことが分かる。これはアーシャ風に言うところの「イノリ成分」を補給してるんだと思う。
アリサさんはメイドみたいな彫像になってる。
「…………どうだい君?僕に色々と調べさせてくれないかい?君だって気になるだろうその特異な体質のルーツが――」
「結構です。興味ありませんので」
「だが――」
「結構です」
「しかし――」
「結構」
少し苛立ったような声が、頭の上から降ってくる。
ウルヌス教授とか、その他学院内の色んな先生たちに同じようなことを言われてぜーんぶばっさり断ってるアーシャが、ハトア先生の提案に頷くはずもなかった。
本当に興味が無いんだと思う。だから検査とか調査とか面倒臭いって感じ。
「だがこれは、人類種の常識が根本から覆る可能性すらある――」
「――失礼、先生。奥方様は『結構だ』と仰られていますが?」
「……っ」
おお、彫像が動いた。
人当たりの良い微笑に、有無を言わせない口調。正直、ここでそこまでする必要ある?ってくらいの威圧感を滲ませたアリサさんに、ハトア先生の表情も引き攣ってる。
「…………あ、ああ、そうだね。済まない、不躾だった」
「いえいえ、奥方様は寛大で在らせられますので」
物言いはいつも以上に慇懃に。目を細めた笑みのままわたしの荷物を手早くまとめて、さっさと帰りましょうの合図を送ってくる。
「……えっと。じゃあ、今日はありがとうございました。明日もまたよろしくお願いします」
一歩下がったアーシャに合わせて立ち上がり、一礼。
「……ええ、はい、すみません。ハトアが失礼を……また明日も、頑張りましょう」
「はい、また明日。失礼します」
少しひりっとした空気になっちゃったけど、最後はアトナリア先生と視線を交わしながら終わることができた。
「…………」
退室した途端、アリサさんがすんごいどや顔で見てきたけど。
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