第41話 提案
「――イノリさん。補習を受けませんか」
え、聞いてない。アトナリア先生、聞いてないよ。
「言ってないですからね」
言ってないらしい。なんてこった。
わざわざわたしたちの部屋まで訪ねてきたアトナリア先生の言葉に、何と返せばいいのやら首を傾げる。立ち話もなんだからって部屋に上がって貰って、いまはアーシャと三人で卓を囲んでるけど……ベッドを交互に見て一瞬顔を赤らめてた先生。あー、アリサさんがわたしたちのこと話したみたいだしね。
や、まあ今はそんなことより補習の話。因みに普通にいやだよ。面倒臭いし。
「……今回のテストは、成績には大きく影響しないのでは?」
「ええ。ですからこれは強制ではありません。あくまで提案です」
アーシャの問いかけは最もで、だからこそ先生はあくまで「受けませんか?」と聞いてきたみたい。
数日前に受けた『魔術座学基礎』の中間試験、わたし一人だけあまりにも点数が悪かったらしい。まあほぼ白紙だったし当たり前なんだけど。
普段の受講態度とか、試験中の様子からそのことを半ば確信してたアトナリア先生の頭の中には、テストの最中からもうこの案が浮かんでいたらしく、終了直後のあの意味深な言葉はどうやら前振りだったようだ。
「補習、かぁ……」
やりたくないという気持ちを隠しもしないわたしに、アトナリア先生はいつもより少しだけ柔らかい、諭すような口調で言う。
「イノリさんは魔法や戦闘技能系の実技成績は良いようですが……流石に基礎座学を落第するのは、方々からの印象が非常に悪くなってしまいます」
……まあ、それはそっか。基礎だもんね。それの最低基準すら満たせないってなると、端的に言ってもの凄い馬鹿に見えちゃうよね。見えちゃうっていうか実際、学は無いんだけどさ、わたし。
卒業生は良い働き口が見つけられる、っていうのも『学院』の大きな売りだけど。その学院卒なのに頭が悪そうってなってくると、欲しがらない雇い主もいるだろう。わたしには関係ないけれども、そんなことアトナリア先生には知る由もない。
ごく普通の一般学院生イノリを心配しての申し出……って感じかな?
「強制は出来ませんが、私としては強く勧めたい所ですね」
先生的にはもうこのままいけばわたしの落第は確実で、だからこそ現段階でどうにかすべきだと。
「アーシャさんも、主人……あ、いえあの、変な意味ではなく、雇い主、が、その、魔術の基礎理論すら知らないというのは、ほら、どうでしょうかね?」
急に挙動不審になりだした。どうでしょうかねって、アーシャからしたらほんとにどうでも良いことだと思うけどね。わたしの頭の良し悪しなんて。
「……足りない部分は私が補う事もできます。先生の申し出は有り難いですが、任意というのであれば、決めるのは本人です」
判断はわたしに任せる、と。
うーむ、どうしたものかな。
正直、心配して貰って、わざわざ向こうからお膳立てまでしてくれて……というかそもそも、いつもちゃんと講義を聞いていなくて、これで全く罪悪感がないかと聞かれれば嘘になってしまう。
寮室まで訪ねに来てくれるなんて、アリサさんの言葉を借りるなら「駄目な子ほど可愛い」ってやつなんだろうか。眼鏡の奥の紅い瞳には、厳しさと一緒にどこか心配するような色も見え隠れしている。
うーん、でもなぁ……
面倒臭いっていうのは大前提として……補習の期間がどれくらいか分からないけど、その間わたし一人が捜査から離脱することになってしまう。カミの出現を即座に感知できる、唯一の人員が。
本分を考えると断るべき。でも学生の本分を全うさせようとするアトナリア先生の言い分はもっともで、一応学生として潜入している以上は受けて然るべき苦言だ。こんなことならもう少し真面目に講義を聞いておくべきだったかな。
悪目立ちしない、変に負担を増やさない、っていう点では失敗しちゃってる気がする。これは反省ぽいんと。
「――ばぁんっ!話は聞かせてもらいました!受けるべきですよご主人様!!」
うわ出た。
口で言うほど大きな音も出さずに扉を開けたアリサさんが、ずけずけと部屋に入り込んで来る。そのまま、空いてたテーブルの残り一片に座り込んで。
「折角の厚意を無下にするなど勿体ない!ここは是非とも、お世話になりましょう!」
わたしたちが皆呆気に取られているうちに、何かそういう風に話を持っていこうとする。えぇ……凄い目配せしてくるんだけど。どうしよう全く意図が分からない。
何このメイド忍者怖い。
「……あ、甘やかしてばかりの貴女にしては、真っ当な意見ですね」
立ち直ったアトナリア先生が、ちょっと引きながらも頷く。アリサさんの奇行自体には突っ込まない辺り、たぶん前回の
「ええ、最近はアトナリア先生の言葉にも一理あるかと思い初めまして!」
凄い露骨に媚び売ってる。この人がそんな簡単にころころ宗旨替えするような……いやどうなんだろう、気付いたら立ち位置があっちこっちに移ってそうでもあるような……
「奥方様もほら、ご主人様と話題を共有できるのは、決して悪い話ではないかとっ」
「……そうかしら?」
アーシャにも振ってきたけど、返すのはやっぱりどうでも良さそうな返事。
「ご主人ー」
「奥方ー」
あ、なんか妖精さんたちも出てきた。
いやこれは、わたしとアーシャにしか見えてないだろうけど。
まあ妖精さんたちは気まぐれに出てきて、適当にわちゃわちゃしてるだけだろうから放置。なんて考える間に、テーブルの下からアリサさんが紙切れを渡してきた。
「うーん……」
考え込むふりをしながら、背中を丸めて目を通す。
『アトナリア先生は勤続歴も長いですし、以前の反応から騒動について少なからず思うところがあるようです。現場教員から直接聴取するのもアリかと』
ふむむぅ。一理ある、とは思う。
アトナリア先生がわたしを
分からないでもない。でも、アリサさんが露骨に押してくるにはちょっと弱いような気もする。なにかまた裏があるのか……案外なにもないのか。わっかんない。
「……その補習って、どれくらいの期間やるんですか?」
なので、判断材料を増やす。
「そう時間は取りません。三日間、通常講義と同じ長さで行おうかと」
あ、そうなの?そのくらいなら、拘束されるって程でもないか。だったら、受けてみるのもありかもしれない。受ける利点はアリサさんの言う通りだと思うし。
「……分かりました。よろしくお願いします」
まあ、口に出してみるとどうしても、渋々って感じになっちゃったけど。
根っこのところでは結局、「面倒臭い」があるからねぇ。
それでもアトナリア先生は、顔を小さく綻ばせて頷いてくれた。笑ったところ初めて見たかも。どうだったかな。
「ええ、任せてください。内容はテスト同様、魔術の基本三型について……私の元教え子に現在客員として来ている子がいまして。彼女も学生時代は基礎の部分で躓いていましたから、きっとイノリさんに寄り添った指導ができるはずです」
……え、先生はアトナリア先生じゃないの?
「勿論、私も出来る限りのサポートをしますので」
アリサさんが噓でしょって顔してる。
ちょっとにんじゃー、詰めが甘いんじゃないのー?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます