第35話 お昼寝


 お昼と夕方の間くらいには、寮に戻ってきた。


 食事は確かに美味しかったし、個室って言うのも良かった。お散歩もまあ、楽しかったと思う。でもそれはそれとして、やっぱり自分たちの部屋いえっていうのが一番だ。借家だとしても、ね。


「……何か賑やかだね」


 部屋の近くまで戻ってきた時点で、隣の――アリサさんの部屋に四人分の気配があることに気が付く。本人、マニさん、レヴィアさんときて四人目は……まさか忍者の里のお仲間さん、なんてこともあるまいし。流石に露骨過ぎるというか、あの人そんな簡単に敵だと断定できるようなことはしなそう。


「これ」


 首を傾げるわたしに、アーシャが小さな紙きれを差し出してくる。わたしたちの部屋の扉に挟まってたらしいそれには、アリサさんの字で何やら綴られていた。


――アトナリア先生が課題提出の催促に来ていました……が!このワタシが!優秀な部下たるこのワタシが!自室に誘い込み気を逸らしておきましたので!どうぞお二人はシエスタをお楽しみください!この!優秀な!メイド忍者に!お任せを!――


 文面ですらうるさい。

 忍者って普通はもっとこう、寡黙なものなんじゃないのかなぁ。


 素直に感謝したいところなんだけど、あんまりにも恩着せがましい物言いなせいで、呆れが先に来てしまう。

 少なくとも表面上は、あんまり当りが強すぎるのも良くないかなって、思ってはいるんだけどねぇ……


「……どうする?昼寝?それとも課題?」


「おひるね」


 存在そのものを忘れていた『魔術座学基礎』の課題は、まあ、次の講義までにやっておくとして。今はお昼寝。もう完全にそんな気分。


 大丈夫だとは思うけど、隣のアトナリア先生にばれないようになるべく静かに部屋に入る。ささっと着替えて、お口も濯いで、ベッドに飛び込――まずに、そっと腰かけた。


「はい、アーシャ。おいでー」


 お昼寝とは言ってもこれは、このあいだ頑張ってくれたアーシャへの労いも兼ねてるわけだから、主導権はアーシャにある。

 両手を広げて誘ってみれば、アーシャは躊躇いもなく、無言のままわたしの膝に跨ってきた。ぎしって二人分の重さに軋んだベッドの上で、アーシャはそのまま、八の字に折った両ひざで脇腹の辺りをぎゅっと締めてくる。


「んむー」


 身長差というか体格差というか、この姿勢だと――わたしの顔がアーシャの胸に埋もれちゃう。つむじの近くに鼻先が埋められてるのも、両腕でがっちり背中と頭を抱えられてるのも、良く分かる姿勢。

 わたしだって負けじとアーシャの腰に手を回す。揺り籠気分で身体をゆっくり左右に揺らしたら、それに合わせてサクラ色の髪もさらさら流れて。ほとんど胸で埋まっちゃってる視界の端にそれが見えるのが、何だかすごく綺麗だった。


「よーし、よぉし……」


 だから気分良く、わたしは何度も左右に振れる。ゆっくりゆっくり、倒れ込まない程度に、かるーく。ほんの僅かに遅れて動く一つ玉の長い後ろ髪が、手の甲をさらさら撫でて気持ち良い。


「イノリ……」


「んー?」


 呼ばれたから返事をしてみたけど、それに対する返事はなかった。

 ただアーシャは、わたしのつむじに乗せてた鼻先を、耳の辺りにまでもっていく。耳たぶのふちを、鼻の頭でなぞるみたいに。すりすり、すりすりって。


 いつの間にか、身体を支えるためにべったりくっ付いていた手のひらが、少し浮いていた。指を曲げて、その先っぽでわたしを撫でる。右手で背骨を上から下に、左手でうなじを振れるか触れないかで。

 アーシャの指は細くて長くて、触られたところから痺れて気持ち良い。


「よい……っしょ、と」


 アーシャが自分で身体を支えなくなった分、わたしは腕にもっと力を籠める。ひっくり返っちゃわないように、もっとくっ付くように。そうしたら、アーシャの膝と太ももが突っ張って、腰がくいって押し付けられた。


 その間にも、わたしは身体を揺らすのを止めない。ゆっくりゆっくり、右に左に少しずつ。その度にアーシャの唇が、耳の下からあごの付け根辺りを掠めていった。

 触れて、離れて、触れて、離れてって。段々と、唇が熱と湿り気を帯びていく。


「イノリ……」


「んー」


 唇だけじゃなくて、身体中。特にお腹の芯の辺りから、アーシャの体温がどんどん上がっていってるのを肌身に感じる。

 名前を呼ばれて、返事をして、その時にはもう、アーシャの唇はわたしの首筋にまで下りてきていた。背中を少し猫背気味に丸めて、さっきまでわたしの顔を包み込んでいた胸は、わたしの、アーシャのより小さめな胸の上に乗っかるような形になってる。

 汗ばんでる、って程じゃないけど。服越しにも、ちょっとしっとりした肌触り。


 触れるっていうか……何だろう、やっぱり埋めるって感じで、アーシャの唇はわたしの首筋の右側にくっついたまま。さっきの触れたり離れたりとは違って、左右に揺れることなんかお構いなしに、くっついたまま。


「……、……」


「んー」


 三回目は、声にも出さずに呼んできた。

 やっぱり返事の返事はなくって、そのかわり、左に傾いたわたしたちの身体を、アーシャはそのままベッドに倒れ込ませた。斜め後ろに、落とされる感覚。マットが少し跳ねて、ぎしって結構大きめに、もう一度ベッドの軋む音。


「……、……」


 わたしが下でアーシャが上で。両手を付いて身体を離したアーシャの顔が、視界いっぱいに広がってる。その縁を彩るような、サクラ色。


 胸元は、くっ付くかくっ付かないかくらいの距離。わたしの両腕はまだアーシャの腰に巻き付いたまま、アーシャの太ももはまだわたしの腰を挟み込んだまま。のしかかられて、その重みが気持ち良い。


 少し指先を揺らしたら、触れていた一つ玉のサクラ色が、さらりとアーシャの背中を滑り落ちていった。引っ張られるみたいに、碧色の瞳が震える。


「……お昼寝、やめる?」


 聞いてみる。首筋を差し出しながら。


「……………………いえ、夕食には起こすわ」


「んー」


 ふっと肩の力を抜いて、アーシャがもたれ掛かってきた。上から抱きしめるみたいに、差し出した首筋に、今度は鼻先を埋めて。ゆっくりゆっくり、深呼吸。


 まあ、まだお昼過ぎだからね。


「おやすみ、アーシャ」


「おやすみ、イノリ」


 日が暮れるまでずーっと、一緒に寝て過ごした。

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