第26話 限界


 その日の『魔法実技』の講義は、いつにも増して難しい課題を科されていて。

 そんなことは関係ないくらい、レヴィアさんがぼろぼろだった。


 出された課題のほんの一片すら満足にこなせない。魔法の出力さえ不安定。

 いつもは、達成できないながらもほとんどの生徒さんよりはマシな結果を残せていたのに、今日はクラスの誰よりも酷い有様で。


 何かひどく動揺しているような、葛藤を抱えているような表情が、わたしたちにも見て取れるほどだった。


 先日のマニさんとの一件かとも思ったけど、にしては少し日が開いてる。

 この時点で原因は分からなくて、でも、やっぱりそんなこととは関係なく。


 ウルヌス教授の言葉が。


「今のバーナート嬢は、講義を受けられる状態ではないのかもしれぬの」


 怒りもせず失望もせず、ただ憐れむような視線が。

 レヴィアさんの心を、完全に折ったような気がした。


「――ふむ。ここは仕切り直しに、アーシャ嬢の手番と行こうかの。期待しておるぞ」


「はい」


 教授とそんなやり取りをするアーシャのことを、ただただ昏い瞳で追っていたレヴィアさんは。


 そのまま講義が終わりみんな解散する中で、ふらふらとアーシャこちらへ近づいてきた。

 あんな一幕を見せられて、自分から近づこうなんて生徒さんはいるわけもなく。

 訓練場の一角で、ぽつんと三人、佇む。


「……一度で良い」


 傍に立つわたしには目もくれず――いつものことだけど――アーシャだけに向けた言葉。


「わたしと戦ってくれないか」


 簡潔で、突飛で、でも何となく、しっくりくる一言。

 当然、アーシャがそんなものに頷くはずもない。


「断る。此方に何のメリットもないわ」


「……そうか」


 すげなく断られたっていうのに、レヴィアさんはやっぱり静かなままで。小さく頷きながら、ポケットに手を入れた。


 きっと何かを掴んだんだろうその瞬間に、気配が揺らめく。

 いや、これは幻視。直感。わたしの血が見せた警告。まだ、影は立ち登ってはいない。


だから。


「……ならば、頷かせるまで――」


「――まって」


 割って入る。

 アーシャの前に一歩踏み込んで、言葉で一度、止める。


「邪魔だ」


それ・・、できれば使わないで欲しいな」


「……なぜ知っている」


 質問には答えず、ただ、止める。

 実際それ・・がどういうモノで、どんな形をしているのかは分からない。

 だってそれ・・は、千差万別だから。


 でも、それ・・が引き起こす事象は嫌ってほど分かってるつもりだ。


「使うとどうなるか、レヴィアさんも見たでしょ?良くないよ」


「ああ見たさ。見たからこそ、手放せないんだ」


「……そっか」


 溜息がこぼれる。

 言葉と表情から、もう止められないことが分かってしまったから。


 何てことはない。今日の彼女がぼろぼろだったのは、これ・・を手にしてしまったからだろう。手を出すか踏みとどまるか。逡巡して、でもそのせいで招いた結果が、彼女に決断させてしまった。


 友達だとかは思ってないけど、まあ、やっぱり残念ではあるなぁ。


「じゃあせめて、ここでは止さない?あんまり、人の目は集めたくない」


「……何故そんな事を、お前に決められねばならん」


「わたしはアーシャの雇い主。わたしが戦えって言ったら、アーシャは従わざるを得ないよ」


「どのみち力尽くでやるんだ。お前の言葉なんて関係ない」


「今始めたら、邪魔が入るかもしれない。先生たちに止められるかも。いやでしょ?」


「…………」


 人を説得するのは、あんまり得意じゃないんだけど。でも、こんな当たり前のことに気付けない今のレヴィアさんなら、何とかなりそうだ。


「……チッ……良いだろう」


 少しの逡巡の後、渋々と言った顔で、レヴィアさんは頷いてくれた。

 良かった……ていうか、わたしのお抱えの魔女――なんていうアーシャの設定が、ようやく活かされた気がする。


「ありがと。じゃあ今日の夜、この場所で」


 暗く静かで、最初から誰もいない場所なら、アーシャの人除けの魔法で隠蔽できるだろうから。確実とは、言えないけどね。


「逃げるなよ。もしも来なかったら――」


「分かってる。必ず連れてくるから」


 ほとんど喋っていないアーシャの身のふりを、勝手に決めたりなんかしちゃいつつ。もちろん、後ろから文句が出たりなんてするわけもなく、何とかその場は収められた。




 ◆ ◆ ◆




「――何だか、妙な事になりましたね」


 アリサさんの言葉に適当な相槌を返しながら、真っ暗な校舎の外を歩いていく。消灯時間はとっくに過ぎていて、見つかったら怒られちゃうだろうけど……流石にこの状況で、そんなヘマをするはずはない。


「まさかバーナートの息女が、アレに手を出そうとは」


「頑固過ぎるのも考えものだねぇ」


 理由は課題をこなせない焦燥感か、もしくはアーシャへの過剰な対抗心か。両方か。

 何にせよ止まらないって言うんなら、わたしの中ではもう、レヴィア・バーナートは愚者に分類される。


「……アーシャ」


「ええ」


 場合によっては、わたしが相手をする。その再確認の為の、短いやりとり。

 ていうかその為に、人目に付かない時と場所を選んだわけだし。

 いやぁ、レヴィア・バーナートが言うことを聞いてくれて良かった。


 あとは口数も少なく、すぐに訓練場へと到着した。

 暗くだだっ広い地面を月と星の明かりが照らしていて、その中に一人、ぽつんと佇む彼女の姿。昼間と同じ制服姿のまま、貫頭衣へやぎのわたしたちと対峙する。アリサさんは言わずもがな、いつものメイド服。


「……ようやく来たか」


「時間ぴったりだよ」


 そんなやり取りをする間にも、すでにアーシャの魔法は発動していて。既にこの場にいる人以外、常人にはここでの出来事を感知できなくなっている。


「もう限界だ。始めよう」


 一人増えてるとかわたしたちの恰好とか、そんなものは一切気にも留めず。前置き不要とばかりに、レヴィア・バーナートはポケットからそれ・・を取り出した。


「それが……」


 手のひらに置かれたそれ・・は、黒い鳥の羽根のようだった。夜の帳よりなお暗い、空間そのものがぽっかりと欠落したような、抜け落ちた一枚の羽根。


 誰かが次いで何かを言う前に、レヴィア・バーナートがその羽根を握りつぶして。



「――――ッ!!」



 気配が膨れ上がる。

 影が立ち昇る。

 羽根と同じ、夜闇よりなお深い黒の揺らめきが、彼女を覆い、憑りついていく。


「グッ……くゥッ……!!」


 自分でしたことなのに。自分で選んだことなのに。

 悔いるような呻きを上げながら、レヴィア・バーナートが戻れぬ底へと落ちていく。


 蠢く影の隙間から、彼女の表情が見え隠れする。

 苦悶、激情、後悔、そして――畏れ。


 真意を探るべく目を凝らしてみれば、その背後にもう一つ、見知った影が見えた。



「――レヴィアっ!!!」



 聞こえた叫びが。

 その顔を、さらにくしゃくしゃに歪ませる。

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