第10話 末路
騒動から少し時間をおいて処置室――まあ、要するに隔離部屋だ――へわたしたちが向かった時には、拘束された男子生徒と理事長さんだけがそこにいた。
「ああ、イノリさん。丁度連絡を入れようとしていたところですよ」
「偶然、その場を見ていたもので」
わたしたちも合流して調査するっていうのは、事前に取り決めていたことだ。
「成程。不幸中の幸い……と、言って良いものでしょうか」
一息吐く理事長さんを尻目に、寝台に縛り付けられた男子生徒へ近寄る。
瞳は虚ろ。その口はさっきと変わらず、一言も聞き取れない何かを溢していた。
「……えっと。今までは、精神干渉系の魔法だか魔術だかで対処しようとしてたんですよね?」
「ええ……例外なく、失敗に終わってしまいましたが……」
その後の顛末がどうだったかは、理事長さんの表情から推して知るべし、だろうね。
「……イノリさんであれば、彼を救う事が出来るのですか?」
「祓うこと自体は可能です。ですが、それが救いになるかは分かりません」
そもそも、どんな理由があろうとも。
彼がしたことはこの上なく愚かな行いなのだと、霊峰の血族としては断じざるを得ない。だからこの時点でもう、わたしから彼に差し伸べられる救いはない。
「……いえ、きっと。どうか、よろしくお願いします」
縋るような表情で、理事長さんが一礼した。
アーシャは少し離れたところから、静かにこっちを見守っていて。アリサさんはその隣で、興味深そうな顔を向けてくる。
「では――」
綺麗なサクラ色から視線を外して、今一度男子生徒を見下ろした。
おそらく何か、魔術的な拘束も組み込まれているんだろう皮の帯が、彼の動きを完全に封じている。
物理的(って言って良いのかは分かんないけど)にとはいえ、血族の力でなくとも抑え込まれている時点で、あまり適合はできてないみたい。
これなら、剥がすこと自体は簡単だ。
「――驕阪¥闍ア遏・縺ョ蜉ゥ縺代※縺励m縺励a縺呎怙譫懊※――」
漏れる声は小さいけど、皆が黙り込んだ静かな部屋にはよく響く。
「誰だか分かんないけど、愚かだね」
一言だけ添えて、後は声無く祈り、剥がして、祓う。
「蜉ゥ縺代※縺溘――、――」
呼吸を忘れたかのような言の葉は止んで、瞼が閉じる。
ずっと纏わりついていた黒い影、靄、気配が剥離し、空気に溶けるように消えていく。
やがて静かな寝息と共に、彼の者は彼の中から完全に失われて。
「――――…………」
ことは一分と経たないうちに、あっさりと幕を引いた
「――はい。終わりです」
振り向いて理事長さんに伝えれば、彼女は魅入ったようにこちらを見つめていた。
「あぁ……!」
さっきと同じように頭を下げて、眠る男子生徒のそばに寄る理事長さん。
魔術で心身の様子を確認し、大きく一息。
「……良かった。安定しています」
「それは良かった」
頷いて、寝台から離れる。
アーシャの隣に戻って、もう一度理事長さんと向き合った。
「彼はもう大丈夫。と言うことで、よろしいのでしょうか」
うーん……ごめんだけどその言葉には、首を斜めに降らざるを得ないなぁ。
「今までの経験上、このくらいの人なら精神に影響は残らないと思います……記憶は、多分無くなってると思いますけど」
憑かれていた間だけか、その前もか、あるいは全てか。それは、起きてみないと分からないけど。
とにかく、全く元通り、とはいかないだろう。
「そう、ですか…………いえ、我々の無為な処置と比べれば、天と地ほどの差があります」
それでも返答の通り、今までの末路よりかはだいぶまし、ってことで。
もう一度、理事長さんは深く頭を下げてきた。
「――ありがとうございます、イノリさん。貴方に頼って正解でした」
「……礼は結構。仕事ですから」
何となしに言ってみたら、何故かアリサさんがうんうん頷いていた。
◆ ◆ ◆
騒動はすぐに学院中に広まった。
初めて見ることとして。噂に知れ渡ってる出来事として。
もう30余年も前から、この学院でたびたび起こっているらしい事件。
学生さんが、あんな風におかしくなってしまう。
正気とか理性とか、その辺りのものを失って、代わりに大きな力を得る。
複数人出る年もあれば、一人も出ないことが数年続くこともあって。でも確実に、同じような出来事が起こり続けている。
被害者……って言うべきかは分かんないけど、今までにおかしくなった生徒さんのほとんどが、魔術師か魔法使い。
何か精神に干渉する外法か、薬物か。その類のものが、学院内で密かに流通している可能性がある。
幾年にもわたる調査で学院側が掴めた情報はそのくらいで、学生間で囁かれる噂と同程度のものでしかなかった。それでどうにも手に負えず王都に、王都から王立政府に調査の依頼がいって。
で、その結果。どうも
入学してからこっち、確かに気配は漂ってるなぁとは思ってたけど、実際に目の当たりにしてわたしも確信した。
確かにこれは、わたしたちが出張る案件だ。
「――ほーんと、びっくりだよ」
だからこそ、今になってもう一度驚いてるんだけどね。
「本当に、こんな都会にいるだなんてね」
人に干渉できる程に大きくなった彼の者が、霊峰に惹かれずこんなところに居憑いてるだなんて。アーシャと二人で、びっくりを共有。
「いや、ワタシとしても実際に目の当たりにして吃驚ですよ」
アリサさんはアリサさんで、その実在そのものに驚いている。
「でもアリサさん、
「そりゃもちろん。ですが、実在するんでしょう?」
「まあね」
物分かりが良いなぁ。忍者ってもっとこう、疑り深い人たちかと思ってたけど。
立ち昇る黒い影を素で視認できるのはわたしたち血族しかいない、はず。あとはアーシャが、結構深い層まで潜ったら視えるようになる、くらい。これだって、ただの魔法使いにできることじゃない、はず。
理事長さんにもアリサさんにも、傍目にはそれこそ、危ないお薬きめちゃったーって感じにしか見えないだろうに。
「……まあ取り合えず、実例が一件。だね」
「ええ」
これで調査が進展するとも、限らないけどねぇ。
ああ、面倒臭い。
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