REI ― レイ ―
UMI(うみ)
第1話
これは運命なんかじゃない、宿命だ
いつもの朝。いつものようにテレビをつける。いつものように珈琲を淹れる。面倒臭いから珈琲はいつもインスタントだ。いつものようにニュースを垂れ流しながら砂糖とミルクをたっぷり入れたインスタント珈琲を飲む。朝は珈琲だけだ。食べられないのではなく、なんとなくこれまた面倒臭いからだ。糖分は珈琲に砂糖を山ほど入れているから問題ないだろう。
嫌になるほどいつもの朝。何も変わらない。ほら、ニュースキャスターもいつものように賞金首ランキングを事務的に読み上げている。
『本日の賞金首ランキングです、三位は……、二位は……』
オレはずずずっと甘ったるい珈琲を啜りながらスマホを弄りながら聞いている。
『トップは変わらず、「アンノウン」です』
これもいつも通りだ。だからオレもいつものように呟いた。
「アンノウン、いつか必ず殺す」
アンノウンを殺すこと、それが今のオレの存在意義だ。ニュースは天気予報に移っている。用がなくなったテレビを消して、マグカップに入った珈琲を飲み干す。それからテーブルに置かれた一セント硬貨でコイントスをする。これもいつものこと。表が出たら今日はラッキーデー、裏が出たらアンラッキーデーと決めている。まあ、児戯みたいな運勢占いだが意外と当たるから不思議だ。
「ちっ、裏か」
オレは右手をずらして左手の上の硬貨を見る。硬貨は裏だった。テーブルに硬貨を放り投げると、部屋に向かい着替えを始める。制服は今時珍しいセーラー服だ。最早絶滅危惧種なんじゃないだろうかというほど見かけない時代遅れの制服。
数多高等学校二年生、いわゆるJK。それがオレだ。といっても高校生をやっているのはあくまでも副業みたいなもんだ。本業は別にある。あの中年オヤジがオレくらいの歳なら学生を経験するのも大事だってうるさかったから仕方なく高校生をやっているだけなのだ。
制服を着終わったところで、取り込んだままの洗濯物の上に置いていたスマホが着信を告げた。オレは思わず舌打ちする。オレにかけてくる相手は二人しかいないし、こんな時間にかけてくるのは一人しかいない。無視したいがそういうわけにもいかない事情がオレにはある。着信画面を見れば案の定思った通りの『局長』の名前に再びオレは舌打ちする。
「……何の用だ」
朝の挨拶などこいつには不要だ。こいつだってそう考えているに違いない。実際単刀直入に用件を切り出してきた。
『喜べレイ、仕事だ。既に学校に休みの連絡を入れてある』
予想通りの内容。そもそもこいつがかけてくる用事なんて「仕事」しかない。オレは盛大に舌を鳴らしてやった。仕事は嫌いじゃない。むしろ好きだ。だが今日は金曜日だ。放課後にスタバで新作を買ってゲーセンでUFOキャッチャーをする予定だったのだ。今日こそあのくまちゃんを取ってやろうと思っていたのに。ああ、やっぱり今日はアンラッキーデーだ。
『詳細は局長室で話す』
オレの舌打ちなんか聞いていなかったように一方的にそう言って通話は切れた。
「局長、死ね!」
スマホに向かって盛大に叫ばざるを得なかった。激怒のあまりオレの茶色の癖の強い髪が肩でぶわっと膨らんだ。
行く先は学校とは逆方向のオフィスビル街となった。聳えるように建ち並ぶビル群。気持ちのいい金曜の青空を容赦なく継ぎ接ぎだらけにしている。そんな無粋極まりないビルの一つにオレは足を踏み入れた。
受付を当然の如くスルーしてエレベーターに乗り込む。受付嬢はちらりとオレを見ただけで何も言わない。オレのことをここの職員は見慣れているからだ。着替えるのが面倒臭かったので制服のまま来ているが見咎める奴はここにはいない。
二十四階のボタンを押してしばし待つ。このエレベーターは二十四階直通なので直ぐに到着する。エレベーターを降りると目の前に自動ドアがある。このドアの向こうが目的地だ。
自動ドアを通り抜けて、部屋の中に入ると馬鹿でかいデスクの上のノートパソコンを弄っている男と目が合った。電話の相手の局長だ。名前は烏間二郎。彼は特別特殊捕獲課、通称「特獲」の東京支部の局長をやっている。ついでに言えばオレの本職は特別特殊捕獲捜査官だ。シャスールと世間ではよく呼ばれている。フランス語なのはフランスで始まった制度だから、らしい。英語でハンターの意だ。まあそんなことはどうでもいい。重要なのは胸糞悪いことにこの男がオレの上司だっていうことだ。
「入って来る時は受付に一言告げろと言っただろう」
低音の相変わらず抑揚のない声でそう言う。
「まだるっこしい、どうせここに来るんだ。二度手間だろ」
オレがそう言うと局長は大げさにため息をついて、手を顔の前で組んだ。
「そういった社会的常識を学ぶためにも学校に入れたんだがな」
「意味がないなら退学させくれ」
オレは手をぺらぺらと振りながら言った。
「基礎学力くらいは必要だろう。馬鹿のままでいたいのか」
「へいへい」
オレは大あくびしながら生返事をした。
「全く、少しも成長しないな。お前は」
「うるせえ、前置きはいい。仕事の話をしろ」
放課後のハッピーな予定を台無しにされてオレは大層機嫌が悪いんだ。
「とある過激派組織の幹部が会合を開くという情報を得た。そこに強行突入しろ。賞金首もいる」
「はん、アンノウンに繋がるヤツはないのかよ」
「焦るな、いずれ必ず尻尾を出す。今は特獲としてやるべきことに集中しろ」
「ふん」
つまらなくてオレは鼻を鳴らした。予想通り退屈な仕事のようだ。けれど一応訊いておかなければならないことがある。
「殺しても?」
「幹部以外は」
簡潔に訊くと簡潔な答えが返ってきた。
「了解」
片手を上げて了承の意を示す。
「イチには連絡してある。直ぐに来るだろう」
「ちっ。イチなんかいなくても私一人で十分だっつーの」
「そうもいかない。脳筋の君にはブレーキ役が必要だ」
「けっ」
そうオレは吐き捨てるように言うと、局長に背を向けた。
「おい。どこへ行く気だ」
「喫茶室で珈琲を飲んでくるだけだ。イチが来たらそう言ってくれ」
オレはちらりと振り向いてそう言うと、案の定局長は苦虫を嚙み潰したような顔をしていて少しばかり気が晴れた。
このビルは嫌いだが、ここの喫茶室の珈琲は好きだ。値段の割に美味い。窓の傍のいつも座るこの席からは外の光景がよく見える。勤め先に向かっているのだろう。足早に歩くサラリーマンやOLの人たち。そんな姿を見ているとふと「異邦人」という単語が頭を過る。同じ朝の光の中にいるのが不思議なくらい彼らとオレはあまりにも違う存在だ。
オレの名前は遙レイ。やっている仕事は特別特殊捕獲官、通称シャスール。賞金首を捕らえることを生業としている。そして場合によっては殺害する。むしろ後者の方が多い。相手はプロの殺し屋だったりテロリストだったり捕獲するのが難しい場合がほとんどだからだ。捕獲ってのは、まあ建前みたいなもんだな。
賞金首と言うのは文字通り賞金のかかった指名手配犯たちだ。治安の悪くなった昨今、世界中で凶悪犯に馬鹿高い賞金をかけ民間人の協力を募った。言ってみれば民間人であっても相手が賞金首なら殺害してもOKってことだ。無論個人でそんな奴らを相手にするのは難しい。当然のように賞金目的の人間たちが集まって徒党を組むようになった。こうやって民間のシャスールは出来上がってきた。
当たり前と言えば当たり前だが、その徒党を組んだ奴らがぶつかったり、木乃伊取りが木乃伊になるように悪党になったりしたわけだ。だから今では誰もなれるわけじゃない。今は国の許可がなければシャスールとして活動はできないし、定期的に活動を報告する必要がある。言わば国の監視下でしか活動はできない。これもまあ、表向きだけどな。
オレが属している特別特殊捕獲課は一応政府、つまり警察に属しているが半官半民の一風変わった組織だ。国際的な凶悪犯を追うために完全に民間で活動しているシャスール達と協力するようになって徐々に今の形になったらしい。名よりも実を取ったということだ。
賞金首にかけられている賞金は税金から出ているだけでなく、民間の寄付金から出ていることも多い。純粋に奉仕の心から出す富豪もいれば賞金首に個人的な私怨を持つ者もいる。その理由は人それぞれだ。とんでもない馬鹿高い賞金がかけられているわけはここにもあるってわけ。さもなきゃ、ここまで高額の賞金を出すのは不可能だ。
そんなわけで最早政府組織の特獲も民間の協力がなければやっていられないというわけだ。
窓の外の変わらぬ朝の風景を見ながらオレは珈琲を飲み干した。窓の向こう側の人間はきっとこちら側のオレが何者かも知らないし、興味もないに違いない。それでいいとオレは思う。オレだって向こう側の人間が何者なのか知らないし、興味もないのだから。そんなことをつらつらと考えていると声がかけられた。
「レイ様」
オレはその声をしばらく聞こえない振りをして頬杖をついていた。さっきから彼が傍にいたのは気づいていたが気づかない素振りをしていたのだ。業を煮やして声をかけてきたのだろう。こんなバレバレの真似をしたのは一人の世界を少しでも引き伸ばしたかっただけだ。
「レイ様」
また名を呼ばれてオレは内心舌打ちする。オレとの付き合いが長い癖にこいつはいつまでたっても空気を読むということができない。最ももうとっくに彼にそういう気遣いを求めることをオレは諦めている。
オレはしぶしぶ声の方に顔を上げた。グレーのスーツに身を包んだすらりとした長身で黒髪黒目の青年がそこに立っていた。容姿は整っていて、イケメンと言われる部類に入るのだろうが、高慢ちきそうな表情がその全てをぶち壊している。
「んだよ?二度も呼ぶな、聞こえてるよ」
こいつの顔を見るとどうにもイライラが募ってしまう。
「それは失礼。てっきり耳垢が溜まって聞こえないのかと思いまして」
「失礼なのはその口だ!」
思わず苛立ちが声になって表れた。イチからはいつも口を開けば失礼極まりない慇懃無礼な言葉が飛び出してくる。こればっかりはいつまでたっても慣れない。
「失礼なのは聞こえているのに聞こえない振りをしているレイ様でしょう」
イチはまるで蛆虫でも見るかのようにオレを見下ろしている。このイチがさっき局長が言及していた男だ。名前は遙イチ。苗字は同じだが兄弟、親戚とかではない。どんな関係かというと腐れ縁というヤツだ。それ以上でもそれ以下でもないとオレは思っている。
「まだ早いだろ」
オレがそう言うといかにもわざとらしく大げさにイチはため息をついた。
「時計も読めないのですか?そこまで脳が退化しているとは。嘆かわしさを通り越して哀れですらありますね。イルカの方が遥かに脳みその皺は多いですよ」
「いちいち腹の立つ奴だな!」
オレは思わず立ち上がってしまった。それでも身長差から見下ろされるのは変わらない。
「ようやく立ち上がりましたね。足の動かし方を脳が忘れてしまったかと思いました。皺が少ないのはどうしようもありませんが。さあ、車を回してあります」
オレの怒りなど完全にスルーして自分のペースでイチはことを進める。スタスタとオレに背を向けて喫茶室の外へと去っていく。
「ちっ」
オレは舌打ちして、しぶしぶイチの後を付いて行くように喫茶室を出た。全くムカつくったらありゃしない。
そのままビルを出ると、出入り口の前にはありふれたミニバンが止まっていた。見た目はどこにでもあるミニバンだが、強固な装甲に重武装を施した特注車だ。イチは迷いなく運転席に乗り込む。仕事だけはくそ真面目な奴だと心の中で吐き捨てた。かといって自分が乗らないという選択肢はない。オレは後部座席に乗り込み億劫気にシートに座った。
「少し移動してそこで今回の作戦の内容をお話します。それまで軽く目を通しておいて下さい」
そう言って数枚の書類と写真を渡されかけたが、直ぐにイチは引っ込めた。
「おい」
オレがそのことを咎めるとイチはいけしゃあしゃあと返した。
「レイ様に渡すだけ無駄だということを忘れていました」
いや、全く私としたことがとこめかみに指を当てて頭を振った。
オレはぎろりとイチを睨みつけるがどこ吹く風だ。くそっ、馬鹿にしやがって。
「さっさと車を出せよ」
オレは金曜日を台無しにされたことも相まって最高に気分が悪かった。
「……かしこまりました、レイ様」
イチはそう言うと、ミニバンはするっと滑るように走り出した。
二時間ほど走った先で到着したのはどこにでもありそうなビジネスホテルだった。
「今回の現場はここから一時間ほどです。ここで休憩を兼ねて作戦の詳細を話します。まあ、レイ様がどこまでご理解できるかは神のみぞ知るですが」
「一言余計なんだよ」
オレはそう言って車を降りる。全く長い付き合いだからってなんでこいつが任務の相棒なんだ。本当にむかむかする。
「ふう、窮屈だったぜ」
オレはミニバンから降りて駐車場で腕を伸ばした。ほんの少し、それこそ髪の毛一筋程度だが多少は気分が落ちついた。狭い車内にイチと二人だけっていうのはマジで精神衛生上全くもってよろしくない。
「レイ様、いつものことながら制服のまま現場に行くのですか?」
イチが咎めるような顔でオレを見た。
「学校に行く前だったんだよ、着替えるのが面倒だったからな……それに」
オレは顎を少し上げてにやりと笑って言った。
「この格好でもなんの問題もないって知っているだろ」
「高校の制服姿で任務に赴くのはレイ様くらいのものでしょうね」
諦め半分呆れ半分でイチは言った。
「いーじゃん、高校生で特獲官をやってんのはオレだけだし。制服はチャームポイントみたいなもんだ」
オレはくるりと回転してプリーツスカートをふわりと翻させた。だがイチは馬鹿にしたそのものの白い目でオレを見るばかりだった。
「チャームポイント言ったら平均を大幅に下回る偏差値くらいなものでしょう。レイ様、あなたは口を開くよりも閉ざしていた方が建設的です」
「どういう意味だよ」
「そのままの意味ですよ、レイ様。中身のない頭で言葉を発しても時間の無駄ですから。さあ、部屋に行きましょう。三割くらいは聞いて下さいね」
イチはさっさとホテルへと向かってしまう。オレはだんと右足でコンクリを踏み鳴らした。
「レイ様、聞いてますか?」
ホテルの部屋に入り、軽食を取ると作戦の打ち合わせが始まった。始まって早々イチの叱責が飛んできた。
「聞いてなーい」
オレは大あくびをしながらそう答えた。昨夜は深夜までスマホゲームをしていて眠いんだ。車の中で眠れたら良かったのだが、あいにくオレは走っている車の中では寝られない。
「レイ様」
鋭いイチの声が飛ぶ。
「だってイチが何もかも知っているんならオレは聞く必要ないだろ。オレは眠いんだ」
オレはベッドに横になって目を瞑った。作戦内容は後で移動中にイチに聞けばいい。オレはひらひらと掌を振った。
頭から毛布をすっぽり被ってオレは本格的に寝る体勢に入った。どうせオレがまともに打ち合わせをするなんてイチも思っていないし、オレも小難しい話は苦手だ。イチが把握しているのだから別にいいのだ。
「レイ様にこういったことを期待するのは猫がショパンを弾けるのを待つようなものでしたね。レイ様がいない方がスムーズに作戦を練ることができますので。聞率のために無視させていただきます」
失礼というより辛辣極まりないことをイチが言っているが、眠気が凄まじく言い返す気力もない。横になった途端どっと睡魔が襲ってきた。鉛のようにずっしりと身体が重く、ベッドに沈み込んでいく感覚に抗うなんて無理だった。
「……今回の作戦名だけでも伝えておきましょう」
イチの声が聞こえてくる。もう既に土星よりも声は遠い。
「リリー・シャ……」
眠りの水底に落ちる寸前そう聞こえた。ああ、そういえばリリーって百合の花のことだっけ?いつもいつも思うんだけど、オレが女だからだってやたらと作戦名に花の名を使うのは止めて欲しいぜ……。それが薄れゆくというよりも睡魔に溺れゆくオレの最後の思考だった。オレの頭と身体は来るべき死の舞踏に備えて休息を欲していたのだった。
「到着しました」
イチがそう言ってミニバンを止めた。時間は深夜十二時を回ろうとしていた。外は暗く、月が良く見えた。限りなく満月に近いが満月ではないどこか物足りない月だった。まるで今のオレの心のようだ。それもことが始まれば少しでも満月に近づけるのだろうか。
あまり期待はできないなと思いながら、オレはゆっくりと窓をほんの少し開けた。最初に気づいたのは鼻の奥を鈍く犯す潮の匂い、それに波の音。前もって任務の現場は埠頭の倉庫だとは聞かされていたが、これで海の直ぐ傍だということが実感できた。それを確認するとオレはばたんとドアを開けて外に出た。潮風特有のねっとりとした空気が身を包む。
「勝手に外に出ないでください。不用心過ぎます」
運転席からイチが小声でオレを制した。
「まだ結構距離はあるんだろう、バレやしないさ。それよりも冷たい潮風で少し目を覚ましたいね」
「レイ様、今回の作戦は理解していますか?」
イチも下りて来てオレにイヤホンとゴーグルを渡した。
「ああ。写真二人の幹部を捕らえること、他の雑魚の掃除をするかどうかはオレの采配でいい。賞金首がいるからそいつには注意しろ。誰も逃がすな、だろ」
オレは唇の端を僅かに上げてみせた。
「随分と端折っておられますが、レイ様に理解力を期待するだけ無駄ですから、良しとする他はないですね」
イチは諦め切ったようにそう言った。もう何度目かわからないほどムカついているが、どうせ「仕事」が始まってしまえばオレのソロステージなのだ。
「じゃあ、ぼちぼち行くか」
「また正面から行く気ですか?」
ふうっとため息をついて言う。
「聞率的だろ」
くくくっとオレは喉で笑った。
「相も変わらずレイ様の聞率の基準は非常に個性的ですね」
くそ馬鹿にしたように、いや実際そうなのだろう、イチは鼻で笑うように言った。
「どうとでも言え、じゃあな」
オレはイチに片手を上げ、背を向けた。
そのまま真っすぐにオレは目的の倉庫に向かった。月明かりだけでオレには十分過ぎるくらい明るかったが特殊ゴーグルのせいで昼間よりもはっきり見えるくらいだった。
『オペレーション「リリー・シャドウ」発動します』
イヤホンから淡々としたイチの声が舞踏会の開始を告げた。このゴーグルにはカメラも内臓されておりオレの視界はそのままイチの視界となる。
「わーったよ」
オレは左手を腰に回してククリのような形状の大ぶりのナイフを取り出した。同時に右手でスカートを捲り太腿のホルダーからタクティカルナイフを掌に滑り込ませる。見てくれだけで言うなら登山ナイフと言った方近いかもしれない。この二本のナイフと太腿に巻きつけた十本程度の投擲用小型ナイフがオレの武器の全てだ。オレにはこれで十分なんだ。それ以上は邪魔なだけ。
秘密裏に会合が行われているであろう倉庫の前にオレは立った。シャッターの隙間から光が漏れている。
『言っても無駄だと思いますが念のために言います。くれぐれも油断はしないように。私の指示に従って下さい。無駄でしょうが』
「はっ、分かっているなら黙っていろ。それにオレが油断しようがしまいが結果は同じさ」
オレはイチの台詞をせせら笑った。こっそり忍び込むなんてオレの性に合ってない。軽く首を振り、顔にかかった髪の毛を振り払うとシャッターの開閉ボタンを押した。さっと横に飛び去り影と同化して、完全にシャッターが開くのを待つ。倉庫内が一瞬、驚き息を呑むのが分かった。人間驚き過ぎるとどうしていいのかわからず動けなくなるものだ。
影からゆっくりと出るとオレは倉庫の入り口に立った。ぽかんとした二十人ばかりの間抜け面の視線がオレの顔に注がれた。
「特別特殊捕獲官、遙レイだ!大人しくしろ」
オレが誰なのかわからないようだったので親切にもオレは説明してやった。それなのになんだ、その態度は。ある奴はぽかんと口を開け、ある奴は肩を震わせて噴き出している。
「お嬢ちゃん、悪いこたぁ言わないからおうちに帰んな。それともオレらと遊ぶかい?」
にやにや下卑た笑いを浮かべながら一人のチンピラが近づいてきた。ふらふらと寄って来るそいつの顔を見てオレはただ鼻を鳴らす。その時だった。
「下がれ!そいつは本物の特獲官、シャスールだ!」
揺れていたチンピラの身体の動きが止まる。
「本当か!」
チンピラが目を見開いた瞬間、オレは右手のナイフでそいつの喉を掻っ捌いてやった。オレにとっては羊羹を切るより容易い。オレの采配でいいということは殺すか殺さないかはオレ次第、つまりそういうことだ
倉庫内は騒然となり、誰かが舌打ちしたのが聞こえた。おそらくさっき叫んだ奴だろう。オレを知っていたことや反応の速さを見るにつけおそらく賞金首だ。ボディーガードに雇われているんだろう。
ぐらりと目の前でチンピラが崩れ落ちると、無数の銃弾がオレに向かって放たれてきた。
「そんななまくら弾当たるかよ!」
オレは天井まで跳躍してそれを軽く躱す、眼下の奴らはオレの姿を一瞬見失い狼狽している。
(ばーか!)
オレは心の中で舌を出した。だがそんな時オレに的確に銃弾を撃ち込んでくる奴がいた。オレは咄嗟に空中で身体を捻り天井を蹴り、壁の方向へと飛んだ。ゴーグル越しにオレを狙う奴の顔を確認する。間違いない。薄々気づいていたが、賞金首だ。それを確信づけるようにイヤホンからイチの声が響いてきた。
『賞金首ですね。ランクは百二位。ありがちではありますが、元傭兵の殺し屋です。ノック・田中・ティモシー』
「はっ、ランク外か!小物もいいところだな」
オレは苦笑した。百二位か、遠いあまりにも遠い。あいつには果てしなく遠い。それでも一ミリでも、その百万分の一でもあいつに、アンノウンに近づけるならばオレは戦う。オレが戦う理由はそれだけ。それだけで十二分過ぎる。にやりと笑ったオレの頬の横を弾丸が掠めていく。
「GO!GO!ヘヴン!」
オレは両手のナイフを構え直し、そう小さく叫んだ。最早口癖みたいなものだ。こう口ずさめば不思議と血が沸騰するかのように体温が上がり、それに半比例するかのように頭の中がクリアになり全身の感覚が研ぎ澄まされていく。この倉庫の中のどこに誰がいるか誰がオレを狙っているかまで三百六十度手に取るように分かる。
さすがというか腐っても賞金首というか、ノックは姿を消していた。他の奴らがめくらめっぽうに発砲してくる。オレは壁を走りながらそれらを避けていく。背後で銃弾が跳ね返る音が響く。
「ちくしょう!なんで当たらないんだ!」
「くそっ!この距離だぞ!」
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる?そりゃ同じ素人同士の話だろ。オレのようなプロには下手な鉄砲は幾ら撃っても当たらないのさ。といってものオレの常人離れした身体能力があってこそできる離れ業だがな。
このまま避け続けてノックに向かっても良かったが、パラパラと振って来る火の粉が鬱陶しい。オレはチンピラ共のど真ん中に降り立った。挨拶する時間が勿体なくて、腕で弧を描きながら四つの喉を立て続けに切り割いた。四つの喉からぶしゅっと血がシャワーように噴き出す。
オレはそいつらの横を走り抜け、コンクリの地面を蹴り天井に届くほどにうず高く積まれていた段ボールの上に着地するとそのまま駆け抜ける。音もなく弾丸がオレの額を狙ってきた。冷静な殺意の籠った弾丸だ。オレが殺した素人とは明らかに違う。だが残念だったな。繰り返しになるが一発で人の命を奪う弾丸でも当たらなければ意味がない。
「しっ!」
息を吐きだして、右手のナイフを一閃させる。スパッと豆腐を切るように弾丸は真っ二つになった。特殊な工程で作られた鋼のナイフだ。弾丸の勢いを利用すればこんなことはお茶の子さいさいだ。まあ誰でもできることじゃないことは念のため言っておくか。
「……!?」
動揺する気配が伝わってきた。気配を消すことを一瞬忘れるほど驚いたらしい。だがその一瞬が命取りだ。
「見つけたぜ!」
オレは荷物の上から飛び降りて、ノックと対峙した。ノックは体勢を立て直し、即座にオレに撃ち込んできた。百位に入っていないランク外とはいえ、そこはやはり賞金首だ。そんじゃそこらの奴とは違う。だが相手が悪過ぎたな。
オレは首をひょいと曲げてその弾丸を躱す。ノックの顔色がたちまち変わるのが分かったが、トロピカルジュースみたいな色になるまで待ってやれるほどオレの気は長くない。オレは太腿に巻きつけた投擲用のナイフを抜き去ると、そのまま横にスライドさせるようにナイフを放った。ナイフはノックの喉笛に見事深々と刺さり、ビクンと一度身体を震わせ眼球をぐるんと回すと背中からどうっと倒れた。
「ふん、やっぱりナイフの方がいいな」
ナイフはいい。銃よりもずっといい。なにせ殺したという感触がこの手に確かに感じられるからだ。それを味わう度にアンノウンに近づいている実感を得ることができるのだ。オレは右手のナイフを手の中でくるりと回して握り直し、頭を振ってまとわりついていた髪をばさりと払う。するとイヤホンから冷静なイチの声が飛んできた。
『幹部が二人逃走しようとしています、直ぐに捕獲して下さい』
「ああ?あの写真の二人か?」
そういえば、その二人を生け捕りにするのが任務だったなとオレは思い出す。
『やはり忘れていましたか。うっかり私も失念しておりましたよ。レイ様の記憶力はところてんでしたね』
「うるせえ!忘れてねえよ!お前はどこまでオレを馬鹿だと思っているんだ!」
『どこまでも、ですね。銀河の果てまで行っても足りないくらいです」
「いい加減黙……!」
『早くしないと逃げてしまいますよ』
「わーってるよ!」
オレは跳躍して荷物の上に乗るとそのまま一気に出口へと向かった。見れば黒のベンツが丁度走りだしたところだった。どうでもいいんだがどうしてこういった奴らはベンツに乗りたがるんだろうな。
オレはそのまま飛び降りて両手のナイフをトランクカバーに突き刺した。ベンツはオレを振りほどこうと急加速する。勿論そんな程度で振りほどかれるようなオレじゃない。オレは両足も車体に乗せて体勢を安定させると、力強く車体を蹴り上げジャンプして空中でくるりと一回転するとルーフへと飛び乗る。制服のスカートがぶわっと舞い上がり太腿が露わになるが、見る奴なんていやしないので気にはしない。
ルーフの上を駆け、ボンネットに飛び降りた。ぎょっとした顔でオレを見る六つの目と出会った。左手のククリでフロントガラスをぶち壊す。強化ガラスだろうがこのオレ専用の特別製の刃の前では無意味だ。
オレは問答無用で運転手の喉笛をお約束通り音もなく掻き切った。避ける場所もなかったのでオレの制服が赤く染まる。またイチが怒りやがるなとオレは眉を顰めた。たくっ、制服なんかをけちけちすんなよな。
さて、運転手を失い急停車したベンツは隣の倉庫の壁に激突して止まった。ぶつかる寸前にオレはボンネットから降りると、後部座席の鍵を力任せに壊しドアを開けた。真っ青を通り越してミルクかき氷みたいな色になってる二人をベンツから引きずり下ろす。臭い匂いがするのはどっちか、それとも両方が失禁でもしているらしい。この程度の人間がテロリストだなんて笑わせやがる。
二人を地面に転がして、顔を見下ろしてみれば間違いなく写真の人間だ。ということはオレの任務はめでたく終了。めでたくってのは語弊があるかもしれないな。あまりにもちょろすぎて仕事をした気にすらならない。なんとなく終わった、そんな感じだ。本当にオレはこれでアンノウンに少しでも近づけたのだろうか。近づいているのだろうか。いつもいつも任務の終了時にはそう思う。
焦っても仕方のない相手だと心底分かっていても焦燥感は消えない。オレは両手のナイフをぐっと掌の甲が白くなるほど握り締めた。焦るな焦るなと自分に言い聞かせる。気づけば口の中で血の味がした。
「レイ様」
その声にオレははっと我に返る。いつの間にイチが横に立っていた。
「鬼の形相になっていますよ。私から見ればひょっとこ面ですが」
「うるせえ!」
オレがナイフを仕舞い込むと、イチはすっとスマホを渡してきた。相手が誰だか知っているオレはしぶしぶスマホを耳に当てた。聞こえてきた低音にうんざりする。
『ご苦労、レイ』
「どーも」
ちっとも労いの気持ちなんて毛頭感じられないいつもの棒読みの局長の声だった。
『後の始末は優秀な私の部下に任せたまえ』
見れば警官たちが目の前で腰を抜かしていた二人組に手錠をかけていたところだった。
『と、言いたいのだが』
「あんだよ?」
『まだ残党が残っている。もう少し働いてくれるかね』
倉庫の方を見れば警官たちがその周囲を取り囲んでいた。賞金首を仕留めたとはいえ、まだ半分以上残っている。ただの警官では時間がかかるだろう。オレならほんの数秒で済む。
「勿論生死は問わないよな」
『幹部は捕獲済みだ。後は好きにしたまえ』
「わーったよ。オレは働き者だからな」
『結構なことだ』
どうでもいい様に局長は言った。
「そんな働き者のオレにご褒美がいつか欲しいもんだ」
『……』
オレの言いたいことを察したのが分かった。局長は無言になったがオレは言わずにはいれなかった。
「こんなくだらない仕事じゃなくてアンノウンの情報を早く寄こして欲しいぜ」
『……私の耳に入り次第直ぐにお前に伝えよう』
「へいへい、期待しないで待っているぜ」
そう言ってオレは通話を切ろうとした。
『レイ』
局長がオレを呼び止めた。
『安心しろ、私も同じ気持ちだ』
そう言って局長は通話を切った。
「ふん」
オレはイチにスマホを投げて返すと、倉庫に足を向ける。オレが来るのを待っているのだろう。警察官たちはパトカーを盾にして奴らが逃げ出さないようにバリケードを作っている。
「さて、行くか。イチ、夜食の手配をしてくれ」
「何にしましょう」
「ピザがいい。コーラを忘れるなよ」
「太りますよ、勿論私は食べませんが、かしこまりました」
「運動してんだから、いーんだよ!」
くわっと吠えると鼻を鳴らしオレは倉庫へと身体を向けた。さて終われば熱々のピザと冷えたコーラが待っている。これくらいの楽しみがなければこんな退屈な仕事やってられないってもんだ。
「GO、GO、ヘヴン」
オレは小声で呟くと左手にククリ型のナイフ、右手にタクティカルナイフを構えた。アスファルトの地面を軽く蹴る。髪が背後でなびき、耳元でひゅっと風を切る音が聞こえた。スピードを上げ、警官たちの頭上を越えて倉庫内に飛び込む。倉庫内で残党共の悲鳴が上がる。最早オレにとっては聞き慣れ過ぎた悲鳴だ。殺し尽くした先にアンノウンが待っている。
「GO!GO!ヘブン!」
オレは胸の前で二刀のナイフを構えた。それは皮肉なほどに心地よく冷えた春の夜のことだった。
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