天使の下

硝水

第1話

「今日は何の日?」

「スケートの日」

 美野はつまらなさそうな顔で僕の期待したのとは全然違う返答をした。取り出そうとしていた小箱を慌ててしまい直す。

「そうなんだ、知らなかった」

「でしょうね」

「スケートしに行こうか?」

 デパートに入る前に、屋外催事場にエコリンクが来ているのを見た。中で遊んでいるのは親子連ればかりだったけど。

「手袋あるの?」

 美野はひらひらと手を振る。黒の革手袋が似合うなんて、本当にかっこいい人間だなぁと思いながら自分のポケットからちらりと覗くのはかじかんだ素手。スマホを操作しづらいから、手袋は持たないことにしているのだった。

「……ない」

「残念でした」

 今から買えないこともないが、デパート価格の高級品か、外のリンクで売っているカラー軍手(五百円也)かの二択だ。デパートの手袋を買うような柄ではないし、軍手に五百円は払いたくない。

「帰ったらフィギュアの録画を見よう」

「昨日も見たじゃん」

 エスカレーターに縦並びになりながら、美野は特段こちらを振り返ることもなく話す。

「グランプリファイナルは何度見たっていいだろ」

「はいはい」

 ぐるぐる回る階段は僕らを最上階の書店へ運ぶ。昨日発売の新刊が入荷しているはずだから買いに行こうと誘ったのだ。買うものが決まってるならネットで買え、と合理的反論をされたが駄々をこねると面倒がってついてきてくれるのが美野だ。

 店内はキラキラしたガーランドや綿で飾り付けられている。季節感のあるソングが流れている、レジ脇には立派なツリーも。

「あのさ、もっかい訊くけど、今日は何の日?」

「スケートの日」

「美野ぉ……」

「あんたは」

「はい」

「物事にはひとつの側面しかないと思ってるでしょ」

「いやそんなことは」

「あるっつの」

「ハイ」

「あんたにとっては今日がクリスマスだとしても、私にとってはスケートの日で、他の誰かにとってはただの給料日で、そのまた他の誰かにとっては誕生日や結婚記念日のこともあるでしょ」

 結婚記念日、という言葉に心臓が跳ねる。ポケットの中の小箱を指で転がす。

「そうですね……」

「だから、クリスマスだと思って欲しいなら『今日はクリスマスだね』と話しかけるべきなの」

「今日はクリスマスだね」

「素早い実践」

「クリスマスなので、プレゼントがあるんですけど……」

「ここで渡す気?」

 ちょうどレジに呼ばれた。急いで支払いを済ませて本を受け取る。そういえば、今日渡そうと思っていただけでどこで渡すかは全然考えていなかった。

「どこで受け取りたいですか」

「家」

「ムードがないなぁ」

「じゃあ天使の下」

 天使の下、と数秒考える。ああ、あそこか。

「手袋を買わなきゃ」

「クリスマスなので、プレゼントしてあげます。好きなのをお選び」

「きゃっきゃ」

 本当に? ありがとう、君がそんなことを言うなんて思わなかった。

 美野が怪訝そうにこちらを見る。吹き出しとウニフラッシュが逆になっていたようだ。咳払いで誤魔化す。美野が一歩後ずさった。誤魔化せていない。一階までのんびり運ばれて、セール中と書かれたワゴンに歩み寄る。ご婦人ものばかりだったが、僕は手が小さいので案外はめられた。なるべくシンプルで分厚いものをセレクトする。

「それでいいの?」

「うん」

「本当に?」

「君のと似ててお揃いみたいでしょ」

「ファイナルアンサー?」

「ファイナルアンサー」

 レジでタグを切ってもらって、着けながら外へ出る。昼時だからかリンクは少し空いていた。入り口でひとりずつ料金を払い、靴を借りる。リンクに降り立って小鹿のようになっている僕の横を、美野は颯爽とすり抜けていった。スケートを習っていたらしい、昔。

「はやく来なよ」

 天使の下に立つ美野はそれこそ天使のように美しい。という表現を用意していたのだが凛としていて騎士のようだった。

「もう少し君のこと、遠くで眺めていてもいいかな」

「なにそれ」

 屋根から吊るされた(こう言うと物騒な感じがするが)天使のイルミネーションがピンクから白へ変わっていく。

「別にいいよ」

 いいんだ。にしてもいつまでも入り口付近に留まっていては邪魔なので震える足をなんとか前に進める。ポケットから小箱を取り出して、そのまま転んだ。

「大丈夫?」

「いいから君はそこにいてください……」

 駆け寄ろうとする美野を手で制し、やっとの思いで立ち上がる。ずず、とじりじり滑りながら天使の下へ向かう。片膝をつこうとしてまた転けた。リンクに座り込んだまま箱を開けて指輪を取り出す。

「この指輪を受け取ることによって、婚姻の強要や金銭の要求など、受取人に不利になるようなことは一切発生しません」

「もっといい表現はなかったのか」

「また、お気に召さないなどの受取人都合による返品も、受取から七日以内であれば可能です」

「そうかい」

「メリークリスマス!」

「メリークリスマス」

 美野は手袋を外して指輪を受け取る。しばらくしげしげと眺めて、指に通し、そのまま抜き取り、また通し、指先を上に向けてぱたぱたと揺らす。すっごいゆるゆるだった。

「ご、ごめん……」

「サプライズするにしてもサイズくらいは調べておくべきだったよね」

「仰る通りです」

「かわいいけどね」

「それは素直にうれしい」

「リンク内におられるお客様は、危険ですので手袋をしてください」

 メガホンで飛んできた注意に目を見合わせる。美野はそそくさと手袋をつけ直した。

「見えなくなっちゃった」

「落として帰らずに済むじゃん」

 美野に助け起こしてもらい、そのまま手を引かれてリンクを三周する。今日はスケートの日だった。

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