明日は額にケチャップを塗って行こう

硝水

第1話

「そのくらいの理性はありました」

 でもそれだけでした。

「他には何もありませんでした」

 ちゃんちゃん。つまらない日記を書くのをそこでやめて、スマホをポケットに戻す。まだ太陽の片鱗を残す空は高架橋に二分されて、カラスの鳴き声は電車が通過する度に掻き消される。私だってカラスと一緒に帰りたかった。そろそろ職場に戻らないと。煙草休憩にしても長すぎる。

「……怪しい」

 重い腰を上げてすぐ目に飛び込んできたのは『無料アフタヌーンティー相談! 時間無制限』の文字。入れ替わりが激しいこのあたりの店の中でも特に新参らしい。設置されたばかりといった風の看板は過度な電飾でギラギラしている。アフタヌーンティーの優雅な雰囲気は微塵もない。

「メニューは普通だな」

 店先に出ているスタンドには裏表一枚のメニュー表が立てかけてあった。店の外壁はよく見たらどぎついオレンジだし、その割にメニューは至って一般的でバランスが悪い。ロシアンたこ焼きとか置いてそうなのに。メニューに見入っていると店の扉が開く。と、そのまま腕を掴んで店内に引きずり込まれる。

「いらっしゃいませ」

「誘拐ですよ」

「別に誘ってないので略取です」

「タチの悪さが増したが……」

「それよりウチの店に興味がおありでしょ。何が気になった? 無料? アフタヌーンティー? 相談?」

「何も気になりません。こんなとこで油を売ってる暇はないんです」

「あら油を売ってくださるの? 灯油とかある?」

「油は売ってねーっつの」

 着せ替え人形のような、ギシギシしてそうなくらい艶のある金髪を三つ編みにした店主は呑気にテーブルを拭いてお冷を用意していた。溜息を吐いて入口のドアノブをひねる。ひねる。ひねる……。

「オートロックなんですの」

「通常内側からは開きますけど……」

「さ、そちらへどうぞ。サンドイッチのどれかにカードキーが挟まってますから」

「ガレット・デ・ロワじゃないんだから」

「食べ終わるまでずっとここにいていいんですのよ」

「そこは『食べきれない分はお包みします』でしょう……」

「時間無制限ですから」

 気がつくとテーブルには三段スタンドとポットに入った紅茶、大量の紙ナプキンが並んでいる。プティガトーにスコーン、クラッカー、ボンボンショコラ、そして大振りのサンドイッチが山盛り。私を何名様だと思っているのか。

「宝探しゲームをしている時間はないんです」

「ゲームじゃないわ。真剣な探し物です」

「どこが真剣なんですか」

「私自身、どのサンドイッチにカードキーが挟まってるのかわからなくなったんですの」

「深刻の間違いですね」

 それから私はひたすらサンドイッチを食べた。色とりどりのスイーツには目もくれず、ひたすらにサンドイッチだけを食べ続けた。店主は紅茶の他にもコーラや緑茶、味噌汁やホットチョコレートなどを出してくれて、しかしカードキー探しを手伝ってはくれなかった。

 三分の二ほど消化したところで、手に取ったサンドイッチにかぶりつくと歯に当たるプラスチックを感じる。パンをめくるとバターでベタベタになったカードキーが顔を出した。

「おあ……げぷ」

 カードキーを掲げて入り口に駆ける。と、店主が先回りして私の手からそれを奪い取った。

「洗ってきます」

 正論だった。

「それより、まともに食事とってなかったんでしょ。全部食べるまでここにいていいんですのよ」

 うるせーうるせーうるせー! 誰のせいで! サンドイッチだけでなくスタンドに乗ったお菓子までくまなく平らげて私はようやっと店を出た。伝票も会計もなかった。

 空はすっかり明るくなっていて、ポケットに入れっぱなしだったスマホの画面には昨日からすれば明日の日付と、午前七時半の文字が並んでいた。ロックを解除して電話帳を開く。上司の名前をタップする。

「おはようございます。営業部の白井ですが、熱が出たので今日は休みます」

 返事も聞かずに通話を終了して、コンビニで煙草を買って家に帰った。

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明日は額にケチャップを塗って行こう 硝水 @yata3desu

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