第9話

ようやく放課後となった。やはり混乱が収まることはなく、今日の授業内容は全く頭に入ってこなかった。


「明莉…大丈夫? 何か疲れているみたいだけど…」

「大丈夫、大丈夫よ」


英梨が心配そうに声を掛けてくる。隠し通していたつもりだったのだけどどうやら友人たちにはバレバレだったようだ。どうにか笑顔を作って否定する。こんな悩みは親友たる彼女たちにだって相談できるものじゃない。いや彼女たちだからこそ出来ないともいえる。簡単に冷やかされて追及される未来が想像できるのだ。


「もしかして朝に私が話した噂を気にしてるの? 可愛いなぁ明莉は!」

「ちょっと由香!」

 

 由香が突然私に抱き着いてくる。どうやら私の悩みを例の事件の事だと勘違いしたみたいだ。まあ確かにそれも不安の一つでもあることだし勘違いしてくれる分にはありがたい。


「大丈夫!一緒に帰ろうよ! みんなで帰れば怖くないって! たとえ殺人鬼が出てきても退治してあげるよっ英梨が!」

「ちょっと!何勝手な事言ってるのよ!」

「えーだって英梨って強いじゃん! 剣道の大会でインターハイに出場したくらいの腕前じゃん。今日部活はどこも休みになったんでしょ? 一緒に帰ろうっそれで私たちの事守ってよ~」

「いや一緒に帰るのは構わないけど―――」


 由香の言葉に英梨が抗議の声をあげる。由香の言うとおり英梨は剣道部に所属していてインターハイ出場の経験もある猛者だ。でもだからといって殺人犯の相手をさせるのは無理があるだろう。もっとも由香も本気で言っているわけではないだろうけど。


「そうね、退治云々は別として一緒に帰るのは私も賛成よ」

「よしっ決定!」


 友達の気遣いは嬉しい。学校に例の殺人犯が近くに潜伏しているかもしれないという情報が入ってきてらしく、非常事態ということで急きょ全ての部活が休みになった。断る理由もなくこちらとしてもありがたい。


 三人でたわいない話をしながら帰路に着く。途中危険な事態に陥ることもなく彼女たちと別れる交差点までやってきた。


「えっといつもならここでお別れだけど、家まで送っていこうか? 私たちはどうせ二人近所だし…」

「いえ大丈夫よ。ここから飯坂橋を通ればすぐ近くだし」

「―――そう? やっぱり心配だな」

「本当に大丈夫だから」


 分かれ道こちらを気遣ってくれる英梨に大丈夫だからと断る。口には出せないけど私にはレイが着いているのだから大丈夫だろう。レイへと視線を向ければ任せておけとばかりに胸をたたいている。


―――全く誰のせいで私が今日一日思い悩んだと思っているのか。ついジト目を送りたくなる。


「そういえば、あの噂ってどうなったのかなあ?」


 ふと思い出したように由香が疑問を口にする。


「あの噂って何よ?」

「ほらっ飯坂橋の幽霊さんだよ! いつの間にか話を聞かなくなったじゃん」

「ああ、あったわねそんな噂、聞かなくなったってことは成仏でもしたんじゃない?」

「ええーっ! そんなあ―――美形の幽霊さん私も一度あいたかったのになあ」


 二人の会話を冷や汗を流しながら聞く。『いやその幽霊は今すぐそばにいます』そんな言葉がのど元にまでせりあがってくるが…今日の今日まで彼女らがレイに気づくことはなかった。今更いうだけ無駄だろうと思い直す。


「本当にいいのね?」

「うん、大丈夫だから心配しないで」

「それじゃあまた明日~」

「うんまた明日」

「また明日、気を付けてね何かあったら叫ぶのよ、絶対駆けつけるから」

「ありがとう、またね」


 念押ししながら最後まで心配してくる英梨に苦笑しながらも分かれる。さあ早く家に帰りましょう。


『いい友達を持ったな』

「ええそれは間違いなくね」


 すこし歩いたところでレイが呟くように言葉を漏らす。それに関しては間違いない。二人とも疲れた様子を見せていた私を気遣ってくれていた。理由が理由だけに申し訳なくも思ってしまう。


―――と奇しくもそこは飯坂橋の途中。はじめてレイと出逢った場所が正にそこだった。さきほどの由香たちの言葉を思い出す『飯坂橋の幽霊』『成仏』、それらをキーワードにしてとある疑問が頭に浮かぶ―――それは。


「ねえレイ?」

『ん?何だね?』

「今まで聞いたことはなかったけどふと気になったの。何故貴方は幽霊になってしまったの? 」


 私の前を歩いていたレイが動きを止める。


 疑問が浮かんだ、それをどうしても今確かめたくなった。少し前に調べた幽霊に関する本に書かれていた一文を思い出す。


 ―――――強い強い未練を抱いた者こそが幽霊となる。


 ということは彼もまた『強い未練』があるのだろう。これもまた感情の堂々巡り、聞きたいような聞きたくないような、そんな思いがこの場所に来たことで『聞きたい』という方に天秤が傾いていた。


「あなたはどんな思いを残して死んでしまったの?」


 押し黙った彼はしばらくの間のあとに静かに口を開く。


『もしかしたらその質問をされることを私は恐れていたのかもしれないな。その答え―――私の願い―――すまない。私もそれが何なのか覚えていないんだ』


ただその答えは意外なもので聞き返さずにはいられなかった。


「覚えていない?」


『そうだ。生前の記憶が霞がかって朧げにしか思い出せないんだ。私の核となっている強い思いがあるのは分かる。でもそれが具体的に何なのか思い出すことが出来ないんだ』


 彼の告白に言葉を無くす。記憶がない、いやないわけではなく思い出せない。それはどんなにつらいことだろう。自分の存在を確立しているのは過去から今までの記憶によるところも大きいと私は思う。それが不確かなんてどんなに不安を抱えているか。だというのにお調子者を演じる彼の事を思えば胸が苦しくなってくるのだ。


『ただ一つだけ、君とであったことで私の『心』が震えたんだ。君の魂の色が何故か懐かしいように感じてしまうそれは一体何でだろう』


「えっそれはどういう…」


 普段とは違う真剣なまなざし、独白にも似たその言葉に、私の胸は高鳴ってしまう。言葉の続きを待つ、何故かはわからないけどそれを聞かなければならないような気がしていた。

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