見切り品3 「何漏らしてんのよこの豚(小間切れ肉)!」

 とある夜更けのアパートの一室。薄暗いリビングには年の離れた二人の男女。年端もゆかぬ少女はソファーに腰掛け、妖艶な笑みを浮かべながら目下で正座させられている成人男性に囁く。


「あはっ、すっごい♡こんなにビチャビチャ♡」

「いや、もういいだろ…」


 こんな子供に詰られて言い返せないとはなんと情けない大人だろうか、と思うことだろう。しかし男には黙らざるを得ない理由が、引け目があった。その弱みを知ってか、少女は子供特有の残酷さで男を更に責める。何かしらかの袋の底に溜まった液を指で掬い取り、男の鼻先に近付けた。


「ほら、すっごい臭い。おじさんも嗅いでごらん♡」

「だーかーら!このくだり前にもやっただろ!!」





「いやーごめんごめん☆前にやったのがクセになっちゃって、つい。」

「子供の時分から変な趣味を覚えようとするんじゃないよ、まったく。」

「でもさ、おじさんがまーたドリップまみれの半額品を買ってきたってのは事実だからね。」


 と言いながら美来里がエコバッグの中から取り出したのは、半額見切り品の国産豚小間切れ肉500g。ラッピングが甘かったのか、底のほうからドリップが漏れ出している。魚に比べれば臭みは少ないが、それでもエコバッグにはまた悪いことをしてしまったとなんか申し訳ない気分で一杯だった。


 しかしこう毎度ドリップがアホほど出てる品を買ってしまうのは、適当に選んだ俺が相当に運が無いのか、それともあのスーパーの解凍が余程ヘタクソなのか。後者だとすれば他に店を探すという選択肢も考慮せねばならん。まあそういう先の問題は後で考えるとして、目下の問題は今晩この豚小間をどう食べるかということだ。


「おじさん的にはこの豚コマをどう料理するつもりだったの?」

「んー、まあ、焼肉のタレでもかけて適当に炒めて終わり!みたいな…」

「いやそれマジヤバイって。ただでさえ水気が抜けて固くなってるのに、そんな雑に火を通したらいよいよカチカチになるって。おじさんの血管ぐらいカチカチになるって。」

「誰が動脈硬化だ誰が。言っとくがこの前の健康診断B判定だぞ。」


 姪っ子との漫才はいいとして、確かに俺の雑な独身調理では不味い肉を不味いまま「無いよりマシ」と思いながら食べることしかできないだろう。仕事に疲れ心やつれた俺ではあるが、どうせ食うなら美味いものを望む感情はまだある。そして目の前には、不味いものを美味く食わせる腕の持ち主がいる。それば手は一つだ。


「…美来里さんお願いなんですが、どうかこのどうしようもないクソザコ豚小間肉を貴女様の手で是非とも美味しく調理リメイクしていただけないでしょうか?」


「んもー、そこまでお願いされちゃあ仕方ないなぁ~♡」


 頭を深々と下げ豚肉を差し出す俺を見下しながら、美来里は満面のドヤ顔で応える。自尊心で飯は食えん、美味いものが食えるなら多少の恥や敗北感などドブに捨てるが上策だ。つか何だかんだでチョロいなコイツ!?






 そんなこんなで場面は台所に移る。キッチンペーパーでドリップを取り除いた豚小間をボウルに開け、醤油・おろしショウガ・塩コショウ、そして本来使う予定だった焼肉のタレを少々加えよく揉み込む。例によって小学生離れした手際の良さだ。


「大体このまま5分くらい待ってよーかねー」

「なんか随分と短いな。前みたいに一時間くらい味を染み込ませんでもいいのか?」

「だーかーらー元から水分が抜けてるって言ってんジャン!それなのにそんなにも漬け置きしたらそれこそ残った水分も抜けていよいよカチカチになっちゃうんだって!おじさんの腰みたいに!」

「前屈で床に手が付くくらいには柔軟だよ俺は!」


 まあ俺の身体の柔らかさはどうでもいいとして、あくまで抜けた旨味を補う程度の漬け置きで充分なんだと美来里は言う。そして程なくして用意したのは片栗粉。ボウルの中にかなり多めに加え、再び揉み込む。


「未だ何を作るつもりかの見当はつかんが、随分といっぱい入れるんだな。」

「まあね☆だいたい小間肉の一片一片いっぺんいっぺんに満遍なくまぶせるくらいの量は要るねー。」


 揉み込んでいるうちに片栗粉は調味液を吸い、サラサラの粉から天ぷらの衣じみた糊状へと変化していく。そしてその糊でひとつの塊となったボウルの中身は、もはや小間切れ肉というよりはハンバーグのタネ、もしくはうどん生地のような状態だ。


 美来里はその塊から一握りぶんを手に取り丸め、ぎゅっと強く握り固めた。コンロにはいつの間にか多めの油を熱したフライパン。まさかと思った俺の予想通り、小学生一握りぶんの小さな肉塊は油の中へ放り込まれた。




 じゅわああああああああああ




 油が泡沫と共に大きな音を立てる。独り暮らしを始めたてでまだ自炊にやる気を持っていた頃、興味本位で揚げ物を試し痛い目を見たことのある俺は思わず身じろいだ。


「またビビッてんの?ホントかわいー三十路前だよね♡」


 確かにアラサー男が揚げ物を前にビビッてしまった、その格好悪さは認めよう。だがあえて言わせてもらおう。


 揚げ物を前にしてまるで怖がる様子の無い小学女児のほうがよっぽどおかしいと。


 音とかビジュアルとかえらいことになってるんだぞ。油はねとか肌に当たるとクソ痛いんだぞ。小学生なら小学生らしく、そういうものに恐れを感じて然るべきではないのかと。


 幼さからくる無知ゆえの反応かとも考えたが、今見ればいつの間にか長袖の上着を羽織り油はねの対策もバッチリだ。こうなるともう、経験則から来る慣れだと考えるしかない。人生経験薄かろう小学生なのに、だ。


 そんな俺の疑問をよそに、美来里は次々と小間肉の塊を投げこんでいく。時々フライパンを揺すったり、傾けて油を貯めたところで浸らせたりと、少な目の油で揚げ焼きするテクニックも完璧だ。しっかり握って空気を抜いたおかげか、強めに動かしても肉塊がはぜたりバラバラ剥がれたりもしない。


 こうして肉が濃い目のきつね色になったところでフライパンから取り出し、キッチンペーパーの上にあけて油を切る。



「とゆーわけで『こマ?なころっと豚小間唐揚げ』かんせーい!」


 しっかり油切りした肉塊は、山のような千切りキャベツを添えた皿に盛られた。ビジュアルは一般的な鶏の唐揚げと大差なく、確かに「ジで豚小間肉?」と言いたくなる。


「ささ、早くおあがりよ。いつも半額しなしなくそざこ揚げ物ばっかり食べてるおじさんには勿体ない揚げたてなんだから♡」


 言うと思ったよコノヤロー。しかし揚げ物は揚げたてが一番美味いのは揺るぎようのない事実。急いで箸を伸ばし、口へ運んだ。


 カリッ


 久方ぶりの揚げたて衣の心地よい歯ざわり。嚙み切られた断面から立ち上る湯気からは醤油ベースの芳香。そして思いの外しっかりとした肉の食感。まあ端的に言えば、美来里の三連勝を認めざるを得ない美味しさである。


 「肉を丸め固めて揚げるなら肉団子と変わらないジャン」と食べる前は思っていたが、繊維を完全に断ち切った挽き肉に比べ小間切れ肉ならいかにも「肉を食っている」感のある噛み応えが楽しめる。美来里が再三言っていた水分が抜けて固くなる問題も、片栗粉の保水性のおかげか固くなりすぎることもなかった。


 片栗粉の利点はこれだけではない。表面で油に晒された部分は衣としてカリッと食感を出し、内側でになっているところは漬けダレの味を抱き込んだ上でモチっとした食感を出す。この醤油味のモチと化した部分は小間肉の食感とも違和感が無く馴染み、ひいては「肉はやはり塊をかぶりついてこそ」という人間の根源欲求を満たすのに一役買っている。いやはや、薄く小さい小間肉でこの欲求に応えてくれるとは思いもしなかった。


 ショウガと醤油ベースの味付けもシンプルかつキリっとした味わいで、臭みの強い半額豚肉の欠点を補ってくれる。また少量加えた焼肉のタレの旨味甘味、そしてほのかなニンニクの香りもいい仕事している。仮にすりニンニクをそのまま加えていたら味が支配的になり過ぎてこれほどまでの味のまとまりにはならなかっただろう。


 そんな味だからこそ、キャベツとご飯も止まらない。肉・キャベツ・飯・肉・キャベツ・飯、そしてたまに味噌汁。黄金のローテーションに言葉を失う。どこぞの漫画で言っていた人間火力発電所状態だ。


 そして、それだけ食べることに夢中になっていては、美来里のこちらに向ける視線がいつもと違っていたことに気付ける筈もなかった。


「…おじさん、ほんっと美味しそうに食べるよね♡」

「ん?何か言ったか。どうせまた俺の事をかわいいだのクソザコだのと小馬鹿にしよったんだろうがな。」

「ま、そんなトコかな…」




 そんなこんなで晩飯も終わり適当にダラダラしていたらもう日付の変わる10分前であった。明日の義務のため、大人も子供も寝る時間。姪っ子に自室のベッドを使わせ、俺はリビングのソファーに横になる。


 眠る前ふと、何故美来里があんなに料理が上手なのかを考えた。思えば俺がこうやって預かる前は、アイツは兄貴の家で一人でいることが多かったのだ。食事も店屋物てんやものや冷凍食品や作り置き・買い置き品ばかり。あるいは俺と大差ない、そんな寂しい食事を少しでも美味しくしようとして自ずから料理をするようになったのではないか、と。


 今やネットで調べれば独学でも色々調理法は学べる時代だ。それでも揚げ物や砂糖のカラメリゼにすら慣れているのは異常とも思えるが、それだけ料理に没入するくらい、寂しい思いをしてたのかもしれない。小生意気でギャルギャルしい態度もその裏返しや親への反抗かと思えば納得もいく。となると、俺ももう少しアイツに優しくしてやるべきなのだろうか。そんなこんなに頭を巡らせていくうちに、やがて俺は眠りに包まれていく。



 そんな頭では、それ以外で美来里が料理上手となった理由など考え付く由もなかった。

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