見切り品1 「見掛け倒しのヒョロガリざこ穴子天」
言うが早いか、美来里はキッチンのほうへと駆け出した。勝手知ったる他人の家とばかりに冷蔵庫や戸棚を探り、使えそうなものを物色している。取りい出したのは砂糖・醤油・麺つゆ、そして焼き海苔とネギ、チューブのねりわさびであった。
「ん~賞味期限☆ギリって感じだな~。でもまあ要るモン揃ってて良かった~。」
…というか、本当に料理をする気なのかコイツ。年齢は勿論として、ルックスからして家庭的なモノから縁遠い存在としか思えないというのに。そんな俺の心配をよそに、美来里は小鍋に砂糖を布き、そのままコンロにかける。
下から直に熱を受けた砂糖はやがて融解し、液状へと変化。さらに透明な液が炭化を始め黄金色、そして茶色へと転じていく。てかコレヤバイのではないか?焦げ付いて火事とかになったりするヤツではないのか?予想外の展開に呆けて見ていたが、これは止めるべきだろう。そう思い手を出そうとした瞬間、美来里はカップ一杯の水を鍋の中に加えた。
どじゃああああああああ
案の定というかなんというか、鍋の中がヤバイことになる。高熱の砂糖液と冷水が反応、轟音と共に湯気と飛沫をあげた。大人の俺も思わず身じろぐほどの有様ではあるが、鍋の前に立つ小学生は何ら驚くような様子も見せず、さもいつものことのように鍋を揺すっている。そして出来上がった茶色い液体に醤油と少量の麺つゆを加え、ひと煮立ちさせてから火を止めた。
「何?おじさんビビっちゃった?大人なのにかわいーね♡」
いや色んな意味でビビるわこんなん。しかし驚きすぎてツッコミの言葉も出せない俺をよそに、美来里はネギと焼き海苔を細かく刻んでいく。更にメインの穴子天を一口大にカット、電子レンジで温めたのち、予熱したオーブントースターに並べた。
「まあしないよりはマシ程度だけど、少しでもサクッとしたほうがいいからね☆」
正味一分足らずのオーブン加熱。確かに湿気っていた衣がそこはかとなくハリを取り戻している。そのまま先程の焦がし砂糖のタレに沈めると、小さく「ジュッ」と心地よい音を立てた。
程なくして炊飯器から炊き上がりのアラームが鳴る。蓋を開ければ炊き立てご飯が湯気と共に香り立つ。しかし美来里はそんな日本人のDNAに訴えかける芳香に浸ることなく、軽くしゃもじで切るようにかき混ぜた後タレ漬けにした穴子天を汁ごと上にかけ、再び蓋をした。
「ホントは
大きなお世話だこの野郎と思いつつも、炊飯器ごとデンっと食卓の上に置かれた時は流石にもう少しそれっぽい物を家に用意しておくべきだと思わされた。ともあれ美来里はこれを5分ほど蒸らしあげた後に蓋を開ける。
「というわけで名付けて『ヒョロガリざこ穴子天のひつまぶし風』かんせーい☆」
炊飯釜から現れたのは醤油ベースのタレで色付いたご飯と、タレと湯気を帯びいい意味で衣がしっとりとなった穴子天。なるほど見た目は名古屋名物・ひつまぶしっぽい。そして穴子も鰻も似たようなもの、ならば鰻に合う調理方なら穴子にも合うというのは確かに理屈かもしれない。しかし肝心の穴子があの有様ではどうだろうか?
そんな俺の疑問をよそに、美来里はしゃもじで軽くかき混ぜてから、茶碗に盛り俺に差し出した。
「どーぞ召し上がれ。独身ひとり飯のおじさんには勿体ない女の子の手料理なんだから、その有難みをよーく嚙み締めて味わってね♡」
「言ってくれるなオイ。これで不味かったら兄貴のところに叩き返してやるからな。」
あくまでも大人を大人とも思わない、俺を小馬鹿にした美来里の態度。こうなってくるとたとえどれだけ美味かったとしてもそれを口に出したら負けだと思う。とはいえ待ちに待った晩飯で空腹も限界だ。俺は目の前の飯を一口頬張った。
「うおっ…これは………!?」
思わず「美味い」と声が出そうになるのをなんとか堪える。その味は当初の予想のはるか上を越えてきたのだ。
確かに穴子の存在感はほとんど無く、鰻のひつまぶしの代用となるかどうかと問われればNOと言わざるを得ない。衣が含んだ油と丼タレの味で食わせるこの料理は、どちらかと言えば一時期前に流行った「天カスとめんつゆの混ぜご飯」―――某コンビニで売られていたところの「悪〇のお〇ぎり」に近いだろう。
しかしわずかとはいえ見え隠れする穴子の風味や特製タレのコク深さは、この料理をお手軽貧乏レシピから大きく逸脱させるのに役立っている。砂糖に火を入れ軽く焦がすだけで、専門店のよく寝かせた丼タレのような複雑な味わいに近付けられるというのは目から鱗だ。
そして何より嬉しかったのは、これが「ひつまぶし」風だということ。
「…おかわり、する?」
俺が無言で差し出した
油と濃いめのタレを纏ったご飯は思いの外コッテリ味。そのまま食べ続ければ腹にもたれるのは必至。
再び差し出される空の茶碗。美来里は飯をよそい、薬味を添え、さらに顆粒だしの素をお湯で溶かした即席スープを注ぐ。三杯目はダシ茶漬け、ひつまぶしの常識だ。多分なタレや油が湯に溶け出て、さらにあっさりいただけてしまう。ダシを吸った天ぷら衣の食感も面白い。
既定の三段階のルートを終えれば、あとは自由だ。再び薬味を添えてかっこみ、コッテリ味が恋しくなればそのまま碗によそい、再び薬味入りでさっぱり。そしてシメはやっぱりダシ茶漬けでフィニッシュだ。
「ふう…美味かった…」
気が付けば三合炊いた飯はあっという間に無くなっていた。姪っ子と二人で食べていたとはいえ、うち三分の二強は俺の腹に収まっている。普段は小食な方だと思っていたのだが、我ながらなんとまあがっついたものだと感じる。独り暮らしを始めてこのかた、外食以外でここまで夢中にものを食べたのは初めてだ。
ここまで没入したのはただ美味いからではない。「ひつまぶし」という形式にはカスタマイズ要素が強い。自在な味変は食べることの楽しみを思い出させる。そう、元来食事というものはただ腹を満たし養分をぶち込むだけのものでは―――
「ん?今おじさん『美味しい』って言ったよね?」
食後の余韻にひとりごちているところを、美来里の一言が現実に引き戻す。そうだった、確かに俺は「美味い」と思いがけず呟いてしまっていた。そう言ったら負けだと心に決めていたにもかかわらず、だ。
そしてタチの悪いことに、どうやら美来里もまた「美味い」と言わせたら勝ち、という認識のようであった。
「ふぅ~ん、そっかぁ~、美味しかったんだぁ~。」
「ま、まあな…最近まともな自炊とかしてなかったし…」
「そっかそっかー、そんなんだから小学生の作った料理を美味しいとか言っちゃうんだぁ~。こんなチビッ子の作った料理でねぇ~。」
「………」
「じゃあこれからもちょくちょく、食生活くそざこおじさんのために晩ご飯作ってあげちゃおっかな~、なーんて♡」
「………」
「嬉しい?ねえ嬉しい?」
「………そこそこ有難いです。」
返す言葉は無かった。「美味しい」と言ってしまった以上俺の負けは明白。その結果についてみっともなくゴネるほど俺も分別の無い大人ではない。コイツの料理の腕と共に、甘んじて敗北を受け入れよう。そう素直に思える程度には美味かったのだから。
しかし自分でも気味が悪い話なのだが、今の俺の心の中で悔しさよりも心地よさが勝っているということだ。
いや、これはコイツがまた晩飯を作ってくれるという役得に対する感情だと思いたい。間違っても最近流行りの「メスガキ完全敗北」というシュチュエーションに快感を見出しているわけではない―――そう自分に言い聞かせながら、夜はとっぷりと更けていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます