半額メシガキ みきりちゃん

薬師丸

プロローグ 「ざぁ~こ ざぁ~こ ざこ晩飯♡」

 陶山とうやま健二けんじ 28歳 独身 ごく一般的な商社勤務

 特筆するようなこともないありふれた人間、自分を端的に言い表すならそんなところだろうか。

 これは、そんな無色透明な俺の生活に彩りを添えたある少女の物語―――






 勤め先がブラックだと思ったことはない。しかしこのご時世、定時で帰ることができる会社のほうが稀だろう。給料の足しにならない程度の残業をこなせばもう夜の8時前だ。


 俺はその足でこの時間まで開いてるスーパーへと向かう。狙いは安酒と半額値引きの惣菜。配偶者どころか彼女もいない独り暮らしの身、家に帰れば愛する人の温かいご飯が待ってるなど夢のまた夢。さりとて自炊する腕も気力も無い現状ではこうもなる。


 トンカツ・唐揚げ・コロッケ・かき揚げ天ぷら…こんな時間まで売れ残った総菜たちはみな衣がしなび油が浮き出て、とてもじゃないが食欲をそそる見た目とは言えない。俺だって食べるなら美味いに越したことは無いとは思ってはいるのだが、時間的にも経済的にもこのへんが精一杯だ。それでもできるだけ良さげなものを物色する。


 ふと、ある総菜が目に留まった。「まるまる一本穴子天」。名前の通りアナゴの半身をまるまる揚げたであろう、全長30cmほどのどデカイ天ぷらだ。それこそ衣は湿気っているが、TVのデカ盛りグルメ特集とかで紹介されそうな見た目のものが半額240円というのは魅力的だ。今夜はこれで一杯やろう。俺は買い物かごにコイツと安酒を突っ込み、足早にレジへと向かった。


 まだまだ宵の口だろ、と言わんばかりに煌々と輝く街の灯りに後ろ髪惹かれながら帰り道を歩く俺。いいさ、この侘しさもまた酒の肴だ。そう自分に言い聞かせるように自宅アパートへと戻る。さあ、今夜も寂しい一人酒だ―――そう思っていた。






「うっわーなにこの天ぷらぁ~。おじさんの頭皮みたいにギットギトじゃん!」

「いや俺の頭そこまで脂ギッシュじゃないから。頭皮ケア毎日気を遣ってるから。」


 俺の買ってきた総菜と俺の頭をなじる甲高い少女の声。本来この1DKにあり得る筈の無いこの声の主は『陶山とうやま美来里みきり』御年11歳。名字で察してもらえると思うが、いわゆる姪っ子という存在。今夜はコイツが家にいるということをすっかり忘れていたのだ。


「てかめっちゃ半額シール貼ってあんじゃん。ウケる。」

「うるせえよ。俺だって好きで半額漁りしてるわけじゃねえよ。」

「折角パパからみきりの世話代貰ってるんだからさぁ、もっといいモン買って食べようよ。」

「いやまあ確かに兄貴から幾らか貰ってるけど…でも見てみろよこの穴子天!こんなデッケエのそうそう見たこと無いだろ!いい買い物したと思わねえか?」

「ん~…ちょっと審美眼ヤバない?ってみきりは思うな…」


 言葉こそ濁したものの「そもそもスーパーの半額総菜の地点で論外」と言わんばかりの視線を浴びせる姪っ子。まあお前のところの生活水準からしたらそうも写ろうな…


 コイツの父、つまりは俺の兄貴・優一ゆういちは大手広告代理店勤務。そしてその嫁さんは有名学習塾講師だ。俺とは比べ物にならないランクの仕事に就いているがその分忙しさも桁違いで、共働きということもあって揃って二日三日家を空けることもザラだそうだ。


 となればそのしわ寄せが行くのは一人娘の美来里。立派な住まいに住んでても小学生にひとり鍵っ子暮らしをさせるのも心苦しい。そんなわけで弟の俺に白羽の矢が立てられた。どうしてもという時だけ、この娘を預かってもらえないか、と頼まれたわけだ。


 思えば確かに正月実家に帰るとやたらとコイツに懐かれていたっけか。兄貴もその様子は重々承知だったようで、見知らぬ家政婦に預けるより大好きな叔父さんのところに行かせたほうがこの娘にとっても有難いだろうと、どうしてもという時だけ俺に美来里を預かるよう提案してきたのだ。ふざけんな、俺がひとりモンだからって好き勝手言ってくれるなと反論はしたものの、いくぶんかの生活費のフォローで首を縦に振ってしまった自分が今になって恨めしい。


 てか、コイツ前に会ったときこんなキャラだったけか?


 やたら肌の露出した薄着に身を包み、手や首の周りにアクセサリーをじゃらじゃらとたなびかせた派手な恰好。髪こそ変な色に染めてはいないが、よく見れば子供のくせに生意気なことに薄く化粧も施している。こういう喩えはおっさん臭いのでしたくはないのだが、いわゆる『ギャル』といった風体である。


 そしてこの見た目の通りに、大人を大人とも思わない小生意気な態度だ。ある意味刺さる人には刺さる造形なんだろうなとは思うが、幸か不幸か俺にはそういった趣味は無い。というか、塾講師のくせに娘にどういう教育しとるんじゃと小一時間兄嫁を問い詰めたい気分だ。


 まあ姪っ子の変貌はともかくとして、献立は変更せねばなるまい。当初はそのまま酒のツマミにするつもりだったが、育ち盛りの小学生の晩飯もとなれば主食も必要か。とりあえず無洗米を三合炊飯器にぶち込みスイッチを入れる。あとはこの穴子天に温めたでもぶっかけて天丼にでもすればいいか。念のため2尾買っておいて正解だった。その前に、丸のままだと大きすぎて丼に収まらないので包丁で半分に切るか…


 すとん


 二つに切られた穴子天の断面を見て、俺は絶望した。その表面積のじつに8割強は衣。そのやたらに分厚い衣の中に、紙のようにひょろっとした薄っすい穴子が申しなさげに姿を見せていたのだ。


 そりゃあまあ、スーパーの総菜に過度の期待を寄せていたわけでもない。だからといって今日びこの驚きのかさ増しっぷりはどうか。外身だけは立派に見えるのがまたたちが悪い。


 更に最悪なことに、俺がその断面を見て放心したその隙に、美来里にもそれを見られてしまったのだ。お前が見下すスーパーの半額品と言えど立派なものだろう、と大見得を切った上でこの有様である。そこんところをこの口の減らないクソガキが弄ってくるのは火を見るよりも明らかだ。


 そんな俺の心の内を知ってか知らずか、美来里はこちらをニヤニヤ見つめながらまた減らず口を叩いた。


「あっ、でもみきりね、こないだガッコーで『えすでぃーじーず』っての教えてもらってぇ…」

「ああ、なんか最近よく聞く言葉だな。内容まではよく知らんが。」

「なんかー、捨てられる食べ物を無くすのがイケてるみたいな話なんだって。」

「ふーん。」

「ってことわぁ…あのままだったら100%ひゃくぱー捨てられてたこのざこ天ぷら買ってったおじさんって超イケてるってことじゃん!」

「は?」


 えらいえらい、とばかりに大人の頭を撫でてこようとする姪っ子。そしてそれを真顔で押しのける俺。ほんまこのガキャどんだけ俺を小馬鹿にすりゃ気が済むのか…兄貴の縁者じゃなかったら温厚な俺でも今頃部屋から叩き出してるところだ。




「じゃあそんなえらいおじさんのために、みきりがこのざこ天ぷら、美味しく調理リメイクしてあげよっかな♡」




 露骨に邪険にしたところでコイツの口は止まらない。しかしそこで発せられた言葉は、俺にとってあまりにも予想外なものだった―――

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