第12話
「な、なんだぁ⁉」
会場中に硝子が割れるような甲高い音が鳴り響いた。
参列者が皆騒然とする中、空間が揺れる。
「い、一体なにが―――」
誰かがそう呟いた。その瞬間、会場の中心の空間が黒ずみ、紫黒が広がる。ぼとり、ぼとり、と粘性のヘドロが染み出し、形を成す。それは段々と樹木のように積み重なり、会場に根を下ろした。
魔獣の顕世だ。
「うわぁ―――、え?」
「きゃ―――、あれ?」
しかし、顕れた魔獣は参列者が悲鳴を上げる間もなく、忽ちに消滅した。
魔獣の胴体である幹はバラバラに切り刻まれ、枝葉は落ちる。微塵に分解された魔獣の身体は床に落ちる途中でぐちゃぐちゃに押しつぶされ、焔に包まれ、光の粉となってこの世から消え去ったのだった。
「おや、私の出る間もなかったか」
騒然と困惑。その間隙に生まれた静寂に明朗な歌うような声が響く。
その言葉を発した張本人、魔法使いシバーフブルは肩を竦め、会場内の同胞たちを見渡した。自分が目立てなかったことへの不満と、魔獣を対処した彼らに対する嫉妬を込めて。
そうだ。この場には魔法使いが八名もいるのだ。魔獣が一体現れたからと言って何が出来ようか。
「助かった………」
参列者は安堵の声を漏らす。一瞬の内に入れ替わる緊張と弛緩。それはため息を漏らすのに十分すぎるものだった。
自身の身の安全を認識した者は、次に親しいものに目を向けた。隣に立つ家族、友人、上司、あるいは好敵手に。
「あれ、子供たち、子供たちが、いない?」
そうして、誰かが気付いた。この会場から子供の姿が消えていることに。
会場に訪れる再びの騒然。皆が各々自分の子の名を呼び叫ぶ。しかし、それ等に声を返すものはいない。
会場内は正に阿鼻叫喚であった。いなくなった子の母は泣き叫び、他の者は怒声を上げる。そこには貴族然とした余裕など存在しなかった。今まで大事に守ってきた子が居なくなったのだ。当然であろう。
然し、そんな中、冷静な者も確かに存在した。
「—――
それは決して大きな声ではなかった。ともすれば、この阿鼻叫喚の嵐に消し飛ばされてしまうような、そんな極普通の声量だった。
けれども、ハイドラ=ウッデンゲートの声は会場の混乱を鎮めるのに十二分な覇気を纏っていた。彼の一言によって、会場内は凪ぎ、シンと静まり返る。今この時、会場内の誰もが彼に注目していた。
「ん」
ハイドラのポケットから飛び出したラインは身体を人型に戻すと、一言にも満たない返事を返す。それは普段通りの気の抜けた声だ。
「子供たちを探せ。宮殿内を、王都を、半島を、この世界の隅から隅まで調べて探し出せ。救い出せ。そして、下手人を王の御前に連れて来い。巫山戯たことをやらかした罪人をこの場に連れて来い。王国法の裁きを受けさせろ」
普段のハイドラを知っている者は皆、驚愕に目を開く。
彼の声色そのものは普段通りだった。しかし、それは確固たる怒りを孕んでいた。静けさの中に潜む荒々し怒り。嵐の前の微かに揺れる水面。噴火寸前の大地の脈動。
そこには全てを包み込む穏やかな深緑は存在しなかった。人々が恐れ、そして畏れる尊大な脅威が姿を見せたのだ。
今此処にハイドラ=ウッデンゲート侯爵の怒りが王国貴族の魂に刻まれた。
「もうやってる」
魔法使い『
彼の糸は既に宮殿内を網羅し、王都中に張り巡らされ始めていた。人々の間隙を縫い、僅かな戸の合間を擦り抜け、隈なく伸びて行く糸は目となり耳となり、ありとあらゆる情報をラインに届ける。
「成らば良し」
魔法使いの返事を聞いたハイドラは一つ頷くと、ラインから目を離し、国王に向き直る。
そこ居るはずの王子の姿はなく、彼もまた消え失せた子供の中の一人であった。
「陛下」
「っ、あ、あぁ。なんだ」
国王は先ほどのハイドラの怒りを目の当たりにしたせいか、一瞬、肩をびくりと震わせるが、直ちに平静を取り戻して応対する。
「これは恐らく魔法使いの仕業でしょう。何処のかは知りませんが、この場にいる彼らではない」
「それで?」
「実行犯は此処には居ないでしょう。ですが、それを命じた者が此処に交じっているはずです」
「この中に謀反を企てた者が居ると」
「えぇ。恐らくは」
国王はハイドラの言に一理あると納得する。順当に考えれば、ハイドラの言っていることは一番妥当な考えだ。
なぜならば、この世界において幾人もの人間を瞬く間に消し去ることなど、魔法使いにしか出来ないことだからだ。そして、魔法使いに命令することの出来る立場にある者は殆どがこの場に集まっている。
それ故にハイドラはこの中に魔法使いに命じて子供を連れ去った者が居ると考えた。
そして、ブレストテレス王国の貴族にとっては、子供というのは自分たちの
加えて、この場にいる魔法使いを含め、この国の魔法使いに大勢の人間を瞬時に連れ去る魔法を使う者は確認されていない。ならば、他所から招き入れたということに他ならない。
ブレストテレス王国では他国からの人間の受け入れというのを厳しく制限している。取り分け他国の魔法使いを国内に受け入れるのは、他国の王族の来訪時のみであり、その際も厳しい監視を必要としている。
その制限を無視して他国の魔法使いを招き入れるというのは、この王国法では殺人よりも重い罪とされているのだ。
そういった背景から、他国から魔法使いを招き入れ、子供に手を出すということは謀反と断じられても致し方のない事柄であった。
「然し、あの魔獣はどう考える?魔獣の出現など予測できるものではないだろう?都合よく魔獣が現れ、それに合わせて子供を連れ去るなど、計画としては杜撰が過ぎると思うが。どうやって魔法使いにタイミングを知らせる?それに、此処に居る者以外が主犯の可能性もあるだろう?」
国王は少し思案し、ハイドラの推測の穴を指摘した。
魔法使いを使って子供を誘拐するのであれば、事前に実行タイミングを決めておくべきである。ブレストテレス王国では離れた人物と連絡を取り合う手段は未だ開発されていない。魔獣の出現に合わせて魔法で子供を攫うことは、大変難しいと言わざるを得ない。遠隔で連絡を取り合うことの出来る魔法使いでもいれば別だが。
それに、この謀反を計画したのが此処に居ない人物である可能性も多大に存在する。この場に来ていない者が他国の者と秘密裏に結託して、この国を混乱に陥れるというのは十分に考えられる話である。
そのことはハイドラも想定の内だ。然しながら、ハイドラは国王の指摘に首を横に振って応えた。
「えぇ、勿論その可能性もあります。ですが、その場合であっても、今、我々がすべきことは変わりません」
「と、言うと?」
「この場に居る者を全員拘束すべきです。この場に謀反の主犯が居るならば、それで良し。居なくとも警護の必要はありますので」
「そうか。そうだな。ではそのように」
国王はハイドラの提言が妥当なものであると判断し、了承の意を示す。
「皆の者、今の話は聞いていただろう。これから皆には宮殿内で待機してもらうことになった。これから騎士を呼ぶ故、彼らに付いて控室へ移動するように」
国王は参列者に向かって宣言すると、傍に控えている執事に騎士を呼んでくるよう命じた。
ハイドラはそれを見て、一先ず息を吐く。
取りあえずの処置はこれで十分。後はラインが子供たちを見つけるのを待つだけだ。それにしても、誰がこんなことを。ハイドラが煮えたぎる腸を何とか押さえつけ、次に思考を回そうとした所、それに水を差すものが居た。
「ウッデンゲート卿が主犯という可能性はないのですかな?」
そんなことを宣うのはボールド=ドットツリーだ。
彼は鼻に付く物言いをすると、目を細めてハイドラを見やると、一つ鼻を鳴らした。
そんな彼の態度は会場内の顰蹙を買うが、彼は気にもしていないのか態度を改める素振りすら見せない。
「………そうであっても、この対応に可笑しな所はないだろう。何か不満か?」
国王もまた、意味のない水差しを行ったボールドに気分を害した。彼は目頭を押さえながら、ボールドの言葉に返す。
「いいえ。飽くまでもその可能性はある、という話です。彼はこんな状況で随分と落ち着いているご様子でしたので。それにこうも速やかに対策を打ち出したのを見ると、既に子供が連れ去られることを知っていた、と思われても仕方のないことでは?」
「それで、何が言いたい」
「ウッデンゲートの魔法使いだけに捜索を任せるのは危険だと提言させて頂きます。彼が主犯だった場合、寧ろ子供たちを危険に晒すことになります」
「ふむ。………では、そうだな」
自作自演。国王はボールドの言葉を聞いて、確かに彼の言う通りにハイドラが主犯である可能性も少なからずあることは否定できないと考えた。限りなく少ない可能性ではあるが、万が一ハイドラが主犯だった場合、彼一人に対応を任せるのは危険であることも認める。
そのような考えに至った王は、チラリと無表情で佇むハイドラを見た後、会場内の魔法使いに視線を回した。
この場に居る八人の魔法使いの中で誰が子供たちの捜索ないし救出に適しているのか。国王は思考を巡らせる。
「
国王は自分を選べと必死にアピールする演者・シバーフブルを無視して、青と黒の袴装束の女と天井からぶら下がっている作務衣の女を指名した。
袴装束の方が司祭・コミットで作務衣の方が黒星・ナイーブだ。二人はそれぞれテトラハーバー侯爵家、ランドブリッジ辺境伯家の魔法使いである。
国王に許可を求められた両者は特に異論はないため、頷くだけで了承の意を示した。
がっくりと肩を下げるシバーフブルと露骨に嫌そうな顔をするナイーブのことを気にする者はこの場には居なかった。皆、魔法使いに対する心構えは養われているようだ。
「では、決定だ。まだ何かあるか?ドットツリー殿」
「それで結構です」
ボールドは不躾な態度を改めようともせず、それでいいのだ、と言わんばかりに引き下がった。
「騎士も到着したようだ。皆、控室で待機するように」
会場入り口に待機する騎士たちの姿を認めた国王は、参列者に指示を出す。これ以上、この場に居る者に出来ることはない。身の潔白を示すために大人しくする他ないのだ。
そのような考えを胸に参列者が控室に移動していった直ぐ後で、ラインは全神経を感知索糸に集中させるために閉じていた目をぱっと開いて、呟いた。
「—――見つけた」
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