第10話
絶えず迫りくる人々にアミシアはすっかりと辟易としていた。
いつになったら終わるのだろう。もうおなかすいた。式典自体はあんなにも呆気なく終わったのに。甘いものが食べたい。
そんなことを考えながらも、笑顔を絶やさなかったのは、優秀な教育係の手腕によるものだろう。
式典が終わり、大宴会場に移動してから既に二時間と半分は過ぎた。その間、アミシアたちは挨拶に押し寄せる貴族の対応に追われていたのだ。対応中に口にしたのはグラス一杯の果実水だけ。大人であっても精神的にキツイものがあるはず。六歳の少女にとっては殊更疲労の積る時間だった。
とは言うものの、挨拶に来る小貴族と会話をしていたのは、殆どがハイドラと夫人だ。彼らは一組につき1~2分、相手の家のことや子供の話などをして、巧みに小貴族の心を掴むことに成功していた。
伯爵家の当主が自分達小貴族のことを覚えていてくれている。それだけでも、彼らにとっては何処か嬉しいものがあるのだ。ハイドラは直接的に関わりのない家のこともしっかりと把握していたため、そういった手合いからの心証は猶更良かった。
当然、アミシアにも挨拶はされるのだが、彼女はその度に定型文的な返事をすることで場を凌いでいた。
寧ろ、彼女が大変だったのは、相手の顔を覚えることだった。事前に優先的に覚えるべき家の名前は教えられていたが、立ち代わり入れ替わりで挨拶に来るため、最初の方に挨拶に来た相手の顔は既に忘却の彼方だった。
彼女の両親も、まさか全員の顔を覚えられるはずもないということは分かっているため、徐々に覚えていけば良い、と自分たちの子供を励ました。
そうして二時間半が過ぎ、漸くと人の列にも終わりが見えてきた。すると、今度は自分たちが挨拶に赴く番だ。
勿論、真っ先に向かうのは王族の下。宴会場の最奥に設けられた主賓席。
そちらへ向かうと、ハイドラがにこやかに声を掛ける。
「陛下、お久しぶりです。それと王子、お誕生日おめでとうございます」
「お誕生日おめでとうございます」
「おめでとうございます」
ハイドラに次いで、夫人とアミシアも祝いの言葉を掛ける。
それに対し、王は能面のような無表情をウッデンゲート家の三人に向けると、その表情に見合った平坦な声で答える。
「ハイドラか。久しいな。父の葬儀以来だろうか」
「えぇ、五年ほどになりますね。御変わりありませんでしたか?」
「うむ。息災ない。そちらは魔獣被害が頻繫しているのだろう?領地の方は大丈夫なのか?」
「正直に申し上げると、芳しくはないですね。魔獣自体の対処は間に合っているのですが、どうにも事後処理の方が」
「他の者も同じことを言っていた。やはり、本格的に魔獣研究の方を進めさせるべきか」
「そうですね。成果が出るかどうか分かりませんが、やらないよりましでしょう。ウッデンゲート家も支援させていただきますよ」
「そうか。そう言ってくれるのなら、議会に上げさせよう」
無表情な王と朗らかなハイドラ。ともすれば険悪な関係に見える二人だが、寧ろこの二人の仲は良好である。二人の年齢は一つ違いでハイドラの方が上。中央学園に通っている頃からの友人で、成人後、顔を合わせない間も文通でのやり取りは続いている。
この会話の内容も既に手紙で打ち合わせ済みで、こうして言葉でやり取りをしているのは、再確認と周りに聞かせるという意味があった。
「あぁ、そう言えば、今年もうちの果実酒を贈らせて頂きました。後でご確認いただけると」
「む、そうか。いつも済まないな」
「いえいえ」
ハイドラの口から果実酒という単語が出ると、王の眉がピクリと動いた。そんな父の様子を見て、王子は驚いたような顔をした。
ウッデンゲート領は林業の他にも果樹園も主要な産業として営んでいる。ウッデンゲート領の果物は美味として有名で、それらから作られる果実酒もブラストテレス王国内では人気を博している。
国王もまたウッデンゲート領の果実酒は好物で、彼に贈り物をするなら、とりあえずウッデンゲートの果実酒を贈っておけば問題ないと言われるほどだった。
「他の者の邪魔になっても迷惑でしょうし、そろそろお暇させて頂きます。後ほどまた」
「あぁ、また後で」
ほんの数分の会話であったが、また、会食が始まれば話す時間は山ほどある。それに他の家にも挨拶に行かなければならないため、ハイドラは一礼して退散した。
彼に倣って、夫人とアミシアも礼をすると、ハイドラに付いていく。
次に挨拶に向かうのは公爵家の面々だ。彼らとも二、三言世間話をして回っていき、その次は侯爵家。その次は辺境伯家だ。
「辺境伯、お久しぶりです」
「おぉ、ハイドラ。久しいな」
ランドブリッジ辺境伯はハイドラを見ると、その巌のような顔を崩し、満面の笑みで答えた。
彼は他の貴族たちとは一線を画す肉体を有している。とても六〇歳を超えているとは思えないほどの巨木を思わせる身体。手足は長く太く、筋肉は岩のよう隆起し、身を包む衣服を内側からはち切れんばかりに押し上げていた。以前ラインと相対した多脚装甲熊と比較しても見劣りしない肉体だ。
ランドブリッジ辺境伯家はブラストテレス王国唯一の辺境伯として、他国から王国を守る重役を担っている。
ブラストテレス王国は大陸から突出した半島全土を支配する国だ。この国における辺境というのは大陸と半島の接合部に位置する一帯の地域を言う。ランドブリッジ辺境領はそれらの地域を守護する謂わば半島の城門であるのだ。
そういった地域を守護する家であるから、辺境伯家は古来からの騎士家系で、現辺境伯はそれを見事に体現していた。
とは言え、辺境伯家は当然指揮官であるから前線に出ることなど殆どなく、辺境伯の
「ワーテルはどうです?役に立ってますか?」
「おお、なかなか気概のあるやつだ。直ぐにうちにも馴染んだよ」
「それは良かった」
ワーテルというのはハイドラの従弟で、昨年辺境伯の次女に婿入りした青年だ。
辺境伯家とウッデンゲート家はブレストテレス王国の成り立ちから親身な関係にあり、何世代か毎に婚姻関係を結び友好を維持している。
そういった関係であるから、現当主の二人の仲も良好で、ウッデンゲート夫人も混ざっての会話は他の家に対するものよりも明確に弾んでいた。近況の報告だったり、子供のことだったり、大陸の隣国である帝国の文句だったり。
そうした当主たちの会話を聞きながら、しかし、アミシアの興味は辺境伯の後ろに隠れるようにして立っている少年にあった。さらさらとした色素の薄い茶色の髪を短く切りそろえた小柄でなよっとした少年だ。
彼は辺境伯家次期当主の次男であり、ハイドラと話ている当主の孫にあたる人物である。威厳の溢れる辺境伯とは真逆の、少々頼りなさげな体つきをしているものの、容姿は薄幸の美少年と言っても過言ではない程整っていた。
だが、アミシアが興味を持ったのは彼の容姿ではなく、彼の顔に見覚えがあったからだ。彼は先ほどの式場でアミシアと目のあった少年だった。
アミシアはじっと少年を見つめるが、少年は居心地悪そうに目を伏せ、辺境伯のズボンの裾をぎゅっと握りしめている。
「おや、うちのが気になるか?」
なんとも言えない空気が二人の間に流れていると、アミシアが孫を見ていることに気が付いた辺境伯が、彼女に声を掛けた。
「あ、えと、すみません」
急に声を掛けられたアミシアは言葉が出ずに狼狽えてしまう。もしかしたら失礼なことをしてしまったかもしれない、と考え、咄嗟に謝ってしまった。
「いや、謝ることはない。ほら、クレス、挨拶しなさい」
ぺこりと頭を下げるアミシアを手で制すると、辺境伯はそれまでずっと自分の後ろにいた少年を、ぐっと前に押し出して、挨拶を促した。
「あ、えっと………。クレッシェンド=ランドブリッジです………」
辺境伯の力に抵抗できるわけもなく、押し出された少年は、消え入るような声で名乗った。
クレスは名乗ると、直ぐに祖父の背に隠れようとしたが、それは辺境伯が許さない。両肩をがっしりと掴まれ、どこにも逃げることが出来なくなったのであった。顔色は青く、今にも泣きだしそうだった。
「はぁ、この子はどうにも臆病でな。長男の方はあんなにやんちゃだったのに。少しは度胸も付くかと思って連れて来たんだがな、失敗だったか?」
「ふふ、子供の頃だけですよ。私も子供のころは人前に出るのは嫌いでしたから」
「えぇ、そうですよ。今だけです。これから色々な人に関わるようになるでしょうから。大人になるにつれて、心も強くなります」
ため息を吐く辺境伯に、ウッデンゲート夫人がフォローを入れた。
それを聞いて、ハイドラは、君の場合は人嫌いだっただけでは、と内心思ったが、大人になれば分別付くようになる、という点においては同意するところだ。
「そうだといいのだが………」
ウッデンゲート夫妻の言葉を聞き、辺境伯は強くそうなることを祈った。
「まぁ、良い。アミシアだったか」
辺境伯は頭を振って不安を振り払うと、クレスから手を離さないまま膝を曲げ、アミシアと目線を合わせた。
「はい。アミシア=ウッデンゲートです」
「うむ。エイギス=ランドブリッジだ。もしよかったら、この子と仲良くしてくれると助かる。この後、子供同士の懇親会もあるだろう?この様子だと心配なのだ」
彼の言葉を聞いて、アミシアは辺境伯とクレスの顔を交互に見やった。クレスの泣きそうな顔と、辺境伯の心から孫を思っている目を見て、彼女の良心は存分に奮った。
「はい。私に任せてください!」
アミシアは力強く頷くと、クレスに向かって陽だまりのような笑みを向けた。
その笑顔を受け、クレスの青白かった顔は途端に紅潮し、今度もまた気恥ずかしそうに目をそらした。
「よし、任せた。頼んだぞ」
「はい!」
辺境伯の言葉に、より一層力強く返事をするアミシア。途轍もなく自信なさげなクレスを任され、彼女は自分がお姉さんになったような気分だった。自分がちゃんとクレスを引っ張っていくんだ、と気合を入れた。
「皆さま、お時間も良い頃合いでしょう。お料理を運び入れますので、どうぞ、ご自由にお召し上がりください」
そんなやり取りをしていると、会場に司会の声が響き渡る。長かった挨拶回りの時間も漸くと終わりを迎えたのだった。
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