第8話
伯爵家一行は王都を行き、まずは伯爵家御用達の宿へと向かった。そこで荷物を降ろして着替える。服装は普段よりも豪華な装飾の正装で、共連れは護衛として数名の騎士とラインのみだ。王宮には大勢の来賓が集まり、その者たちも護衛を連れてくるため、一家がぞろぞろと引き連れても致し方ないのだ。
王宮に着くと受付を済ませ式場となる謁見の間へと向かった。ここでハイドラ達とライン達護衛は分かれることとなる。護衛は別室に通され、更に魔法使いであるラインは魔法使い専用の控室へと通された。
ラインが鉛のような金属で出来た分厚い扉を通ると、そこには数名の魔法使いが居た。一応はハイドラを真似た正装を着ているラインに対し、他の魔法使いたちはそんなこと気にも留めていないような奇抜な格好をしている。
大きく胸元の開いたギラギラとした白服を着ている長髪の男性や青と黒の入り交ざった袴装束を着た女性、室内だというのに牛を模した黒の全身鎧を纏った騎士風の人物、全身を包帯のような布で覆った女性など、皆、多種多様な姿をしていた。
他にも、味などしないだろうにテーブルに置かれた茶菓子を貪り食う矮躯の男性や天井からぶら下がるようにして腕を組みながら瞑想をしている作務衣姿の女性など、恰好だけでなく行動も多種多様であった。
ラインはそれらの人物を横目に誰も座っていないソファに直行した。周囲の魔法使いたちと出来るだけ関わりたくない彼は、ソファに深く腰掛けると、腕を組んで目を瞑り、ただ時間が過ぎ去るのを待とうとした。
しかし、それを許さない者が居た。
「なぁ!その服チョーゥイケてるじゃあないか!どこで買ったんだぁい?」
瞼の裏を眺めるラインの鼓膜を、まるで歌っているかのような伸びのある響く声が勢いよく叩いた。
きっと自分に語り掛けているのではない。ラインはそう信じて目を開けるのを拒んだ。目を開けたら最後、絶対に面倒なことになる。彼はそう確信した。
が、ラインの沈黙もまた許されないのであった。
両肩が何者かに掴まれたと思うと、彼の身体は大きく揺さぶられる。
「なぁ、アンタだよぉ、アンタ!なぁ⁉聞いているんだろぉ?」
致し方なくラインが薄目を開けると、そこには掘りの深い男の顔面が間近にあった。胸元の開いた白服の男の顔だ。
彼はラインが部屋に入ってきた際に、その服装に目を引かれ、それまで自分の服を自慢していた全身鎧の人物を放ってラインの下へ駆けつけたのだった。そもそも、鎧の人物はうんともすんとも言わずに置物のように佇んでいただけなので、彼は一人で喋っていただけだったが。
「お!今、目を開いたな、
ラインはこの厄介な騒音から逃れることは出来ないのだと悟った。それで致し方なく、心の底から億劫だが、彼に答えてやることにした。
「………自分で作った」
彼の衣服は基本的に自らの魔法を編み込んで作ったものなので、どこかに売っているということはない。しいて言うならば、参考にしたハイドラの服の仕立て屋がそうなるが、ラインはそれを知らなかった。
「じ、自分でぇぇぇぇ⁉なんと、なんと素晴らしいぃことだろぉか!是非私にも一着、一着でいいから仕立ててくれないだろうか!」
ラインの言葉が余程衝撃だったのだろう。男は二重の両眼を大げさに見開き、自分にも服を作ってくれとせがんできた。男は膝を付き、ソファに深く腰掛けたラインの足に縋りついて、おねだりを続ける。
「ヤダよ、めんどくせぇ。てか、誰だよ、お前」
ラインは、自分の足に縋りつく大男に顔を顰めながら言った。
彼は他人に服を恵んでやるほど心優しくはなかった。そもそも、ラインと男は初対面で、名前も知らないのだ。そんな状況でいきなりおねだりしてくる大男に対して優しくなれる人の方が珍しいだろう。
「おぉ!自己紹介を忘れていたな!オレの名はシバーフブル。ミュージアン侯爵家が魔法使い『
シバーフブルは勢いよく立ち上がると、自らをひけらかす様にして名を名乗った。
ミュージアン侯爵領はブラストテレス王国の南部の盆地に位置し、芸術都市が数多く存在することで知られる領だ。芸術を志す者ならば誰もが憧れ、一度は訪れたいと思う領である。
シバーフブルはそんなミュージアンの領都の劇場で役者をしている男だ。有事の際には出動することもあるが、一年の殆どを舞台稽古に費やして過ごしている。
そんな彼は、舞台俳優としては優秀なのだが、こうして他人の服装に敏感で真似したがる嫌いがあった。
「あぁ、そう」
「さぁ、名を名乗ったぞ!これでオレとアンタは知り合いだぁ!同じ魔法使いとしての誼で一着、是非!」
「いや、フツーにヤダけど」
ラインはきっぱりと要求を断った。同じ魔法使いだと言われても、そこになんの感慨も抱かない。それに、知り合いだからと言って服を作ってやる義理もない。そもそもラインは名を名乗ってないし、知り合いだとも思ってない。
「えぇ~なんでだよぉ~。お願いだよ~」
ラインの拒絶を受け、シバーフブルは再びラインの足に縋りついて、情けない声でおねだりを始めた。これが子供のやることならば可愛らしいものだったろうが、彼は身長180を優に超え190に届くかといった大男だ。まったく、みっともない限りである。
ラインはそんなシバーフブルを完全に無視しようと決め込み、懐から煙草を取り出して咥え、火を点けようとした。こういう時は煙草でも吸って心を無にするのが一番だ。
「待ってください!!」
しかし、彼の行動に対して再び邪魔が入った。
ラインが声のした方に視線をやると、それまでニコニコと笑みを浮かべて大人しく座っていた青と黒の袴装束の女性が声を荒げていた。
彼女はばっと立ち上がり、ずかずかとラインの方へと歩いてくると、びしっとラインの咥えた煙草を指さした。
「煙草は毒です!ご自身だけでなく、周りのも害があるのですよ!それなのにこんな室内で吸おうとするなんて、なんと常識はずれなことでしょう!あり得ません、あぁ、あり得ません………」
彼女は酷く痛ましい表情を浮かべ、ふるふると首を左右へ振った。そして、はっとしたような顔になると、言葉を続ける。
「きっと、普段から吸ってらっしゃるのでしょう。まさか!煙草の毒が頭にまで回って、おかしくなってしまったのではないですか⁉これはいけません、いけません。私が貴方の穢れを祓って差し上げましょう。あんみゃんにゅんちゃんちんちょんみょんみょんでんちょんりゃんしゃんきゅんきゅん………」
そう言うと彼女は袖から色とりどりの
足元には服をくれと喚く大男。目の前には突然、意味不明な儀式を始めた女。ラインは珍しくぽかんと間抜けな表情を晒した。彼の頭はこの奇妙な状況を受付なかったのだった。
数秒して、彼はぎこちなく周囲に視線を流した。
しかし、そこには、用意された菓子を食べ終え木製の机を齧り始めた矮躯の男やがぶがぶと水を飲み続ける包帯女、その他には相変わらず置物のように佇む鎧と黙想を続ける作務衣の女が居るばかり。誰も助けてはくれなそうだった。
ラインは絶望した。こんな理解不能な状況になるならば、こんなところに付いてくるべきではなかった。キーパーにでも役目を押し付けてしまえばよかった。魔法使いは頭のおかしい奴しかいないのか。彼は自分も魔法使いであるという事実を棚上げして、心の中で魔法使いを罵倒し始めた。
そんなラインに新たな刺客が現れた。
「此処に僕の運命が居ると聞いて!!」
ズゴゴゴと控室の重たい扉が開く音がしたかと思うと、そこから赤髪の男性が何やら叫びながら入ってきたのだ。
彼は部屋に入ると手当たり次第に「あなたが僕の運命か?」と問いかけまわした。その返答の全てが無視であったが、彼は何も気にすることなく、遂にライン達の下へとやってきた。
「あなた達の中に僕の運命はいるかな?あなたはどうだ?そっちのあなたは?」
「いぃや、違うな。人違いだ。待て、アンタの服もいいなぁ!なぁ、どこで買ったんだい?教えてくれよぉ!」
「ちょんちーばんばんどんどこどんどんばんばんじー………」
彼は先ずシバーフブル、次に儀式を続ける女性へと問いかけた。
しかし、シバーフブルは否と答え、赤髪の男性の衣服に目を付けてしまった。一方で女性の方は呪文を唱えるのに夢中で話すら聞いていない。
どうやらこの人たちは自分の運命ではなさそうだ。赤髪の彼はそう判断し、最後にラインへと目を向けた。
「あなたは僕の運命ですか?」
にこり、と万人を魅了するような爽やかな笑顔を向けて、問う。
「うるせぇな。お前ら全員少し黙ってろ」
が、それがラインの溜まり溜まった苛立ちの堰を壊してしまった。彼はそう言うと、魔法糸で周囲三名の口を二度と開かぬよう縫い付けた。
突然口が閉ざされたことによって、魔法使い三名はむごむごとしか喋ることが出来なくなった。多少は静かになったことに満足したラインは胸いっぱいに吸った息を深く吐き出した。
そして、足元のシバーフブルを払い除けると、ソファに深く座りなおして目を瞑った。これで、静かに時間が過ぎ去るのを待つことが出来る。彼はそう期待した。
「これは糸かい?あなたの魔法だね」
だがしかし、彼の期待は直ぐに裏切られた。
赤髪の男は自分の唇を閉ざしたのが糸であり、それがラインの魔法であると理解すると、満面の笑みで語り掛けてきたのだ。
「あなたの魔法は糸。そして僕の髪は赤い。つまり、これは僕たちが運命の赤い糸で結ばれているってことだね。そうか、あなたが僕の運命か。よし、結婚しよう。一緒になろう。僕と共に人生を歩もうじゃないか」
「はぁ?」
彼は恥ずかしげもなく、堂々と胸を張ってラインに求婚した。彼は跪くとラインの手を取り、口づけをしようとした。
これにはラインも度肝を抜かれた。彼は自分の手と男の唇とが触れる前に急いで手を振り払った。
こんな気持ちは初めてだった。心臓がバクバクとなっている。身体の芯から震えあがる。勿論、恐怖によって。全身の毛が逆立つような感覚だった。
「イヤだけど。普通に。は?イヤです。はい」
「ははっ、照れなくてもいいさ。みんな僕たちを祝福してくれるよ、きっと」
男はラインの拒絶を恥じらいによるものだと解釈して、運命の相手を安心させようと優しく語り掛ける。それが、益々ラインの恐怖を掻き立てるとも知らずに。
「ばんじーじゃんじゃんじゃーじゃーめんめんてんしんはーん………」
いつの間にやら口の糸を解いたらしい袴の女は、相も変わらずに呪文を唱え続けている。シバーフブルは口を縫い付けられているままだが、むごむごと何かを言っている。周りの魔法使いは我関せず。そして目の前の赤髪の男は怖い。
ラインはこの場にいるのが嫌になった。すぐさまここから逃げ出したかった。
彼は最終手段に出た。自分の身体を糸状に解き、部屋の隅に移動すると、繭を作り上げてその中に引き籠った。今ならば同僚の引き籠り魔法使いの気持ちが分かる気がした。外の世界のなんと恐ろしいことか。
繭に引き籠った彼は自らを抱きしめてただ時の過ぎ去るのを待った。外から聞こえてくる魔法使いたちの声を出来る限り無視して………。
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