第6話

「あ~、嫌な夢を見た」


 朝日はとっくに昇り、後数時間もすれば頂点に達するという頃、ラインは漸く目覚めた。

 木製の机と椅子、それからベッドだけが置かれた質素な部屋。ウッデンゲート邸内にある魔法使いのために建てられた別館、その一室がラインに宛がわれた部屋だった。物が極端に少ないのは別段粗末な扱いを受けているわけでなく、彼に物欲というのが一切ないだけであった。


 彼はベッドの上でむくりと上体を起こすと、少々居心地悪そうに頭を掻いた。

 普段は夢を見ることは少ないのだが、珍しく見た夢が昔の記憶だったというのも、なんとも気分の悪い話であった。尤も、魔法使いに睡眠など必要ないのだが。


 彼は夢を振り払うかの如く大きく頭を振って、ぐっと伸びをすると、ベッドから抜け出して部屋を出た。向かう先は別館を出た先にある庭園だ。

 庭園に出ると、彼は魔法糸を展開した。魔法糸は庭園中に張り巡らされ、俊敏に庭園を着飾る生け垣を切り整える。生け垣は瞬く間に職人が手を凝らしたが如く整備され、見事な仕上がりとなった。

 生け垣の整備が成されると、魔法糸は、それによって落ちた枝葉や自然に落ちた落ち葉を搔き集めながら、ラインの下へと戻ってくる。ラインの隣には彼の腰の高さよりも大きい草球が出来上がった。

 彼はその草球を引き連れながら、庭園奥の焼却炉へと向かう。そこへ着くと、彼は草球を圧縮して炉にぶち込み、魔法糸を高速で擦り合わせて発生させた摩擦熱で火を火を点けた。


 轟々と燃え盛る炉の戸を閉め、煙草を吸いながら炉が燃え尽きるのを待った。

 パチパチと火の粉の弾ける音を聞きがら、快晴の空を見上げる。雲一つない夏空は高く、どこまでも澄んでいた。

 

 前回の魔獣出現から約三月程が経った。それ以来、魔獣の出現がなかった訳ではないが、彼が駆り出されることはなく、退屈な日々を生きていた。

 その日々の中で変わったことと言えば、あの日以来、アミシアがラインを避けるようになったことくらいだった。

 アミシアは以前ならば暇がある度にラインの下へと駆け付け、構ってもらおうとしていたのだが、それがなくなった。寧ろ、庭園などで彼を見かけるとオリーブなど側付きの後ろに隠れてしまい、次第と本館から出ること自体が少なくなっていった。

 そんな彼女をハイドラを初め、教育係のオリーブや他の使用人たちは心配していた。いつも元気に動き回っていた子供が、急に家から出なくなったら誰だって心配するだろう。


 然し、当のラインはそんなこと全く気にしていなかった。流石に最近アミシアを見かけなくなったことには気が付いているが、何か忙しい用事でもあるのだろう、程度に考えていた。

 今もなお何も考えずに空を見上げているくらいには、彼の内心は凪いでいた。


 そうして呆けていれば、とっくの間に煙草は燃え尽き、炉の中身もまた灰となった。時間にして数時間は経っており、陽は頂点を通り過ぎていた。

 ラインは炉の戸を開き、火が消えたことを確かめると、最早彼の住みかと化した裏庭のベンチへと移動した。


「やぁ、テイラー、久しぶり」


 彼がそこへ辿り着くと、一人の金の長髪を携えた男がベンチに座っていた。男は中肉中背で、ラインよりはしっかりとした体つきをしている。瞳の色は蒼で、眉目秀麗と言っても過言ではない容姿だ。

 

「ん、守護者キーパーか」


 ラインは親しげに挨拶をしてきた男とは対照的に、表情を変えずに返すと、彼と対面する形でベンチに腰を掛けた。


「おや、ボクは君の代わりに外回りに行ってたんだけど?少しは労ってくれてもいいんじゃないかな?」

「知るか、文句ならハイドラに言え」


 キーパーと呼ばれた男は口を尖らせて言うが、その目元は確かに笑っており、その言葉が冗談であることは明らかだ。

 そのことを分かってか否か、ラインはそっけなく返す。


 彼の名はフィリップ=ザンクセル。ラインと同じくウッデンゲート伯爵家に仕える魔法使いの一人だ。彼の本来の役割は屋敷の守護であり、ラインのように遠出をすることは稀だった。

 しかし、最近の魔獣の頻出に際しラインが出動を繰り返していたことを鑑みて、ハイドラはラインを休ませる目的で二人の役割を交代させていた。


「まぁ、そのお陰でメープルと観光も出来たしね。悪いことばかりじゃない」


 彼はそう言うと、傍らに置いていたぬいぐるみに向かって微笑みかけた。

 それはボロボロな犬のぬいぐるみだった。布の端々は解れ、本来は目として縫い付けられていたであろうボタンは片方はなくなり、もう片方もほとんど外れかけている。全体は砂泥や埃に汚れていており、とてもではないが手入れが成されているとは思えない。

 それもそうだ。これは彼が今朝、この街のゴミ捨て場で拾ったものなのだから。

 彼はその日、目についた物を自身の妹だと思い込む習性がある。その辺りで拾った石ころだったこともあるし、自分の部屋に置いてある椅子だったこともある。今日は偶々それがこのぬいぐるみであった、というだけの話だ。


 ラインもそのことを知っており、尚且つ特に興味もないため、特別触れたりはしない。フィリップが汚い襤褸ぬいぐるみに頬ずりし、甘い声で話しかけるのを無感情な瞳で眺めるだけだった。


「キミもアミシアとは仲良くしなよ?兄妹は仲良くあるべきだ」

「はぁ?」


 一通り妹に語り掛け、撫でまわし、満足したのか、フィリップはラインに向き直ってそんなことを宣った。

 ラインはそれに対し素っ頓狂な声を出した。自分とアミシアは兄妹ではない。何を言っているのだろう、こいつは。彼は同僚の言葉の意味が分からなかった。


「はぁ~、全く。いくら鈍いからってそれはないよ、それは」


 間の抜けた表情を浮かべるラインに、フィリップは呆れ気味に言った。


「いいかい?アミシアはキミのことを兄のように思っているはずだ。ボクが言うのだから間違いはない」

 

 フィリップは断言した。彼は自分ほど妹を愛し、妹に愛されている存在はこの世に存在しないと確信している。だからこそ、自身のその考えに誤りなどあるはずもなく、そう断言したのだ。


「キミだってそうじゃないのか?」

「何が?」

「キミも彼女を妹のように思っているんじゃないのかって」

「そうなのか?」

「そうなのか、ってキミねぇ………」


 フィリップは再び呆れるようにため息交じりに肩を竦めた。


「だって、キミ。彼女が生まれてから変わったじゃないか。前はこうやって話すことすら無かった。キミも彼女のことを拒絶してないみたいだし、確実に彼女の影響を受けているよ」


 彼はラインの磨りガラスのような瞳を見据えて言う。

 彼はラインが伯爵家に仕えるよりもずっと前から庭師として身を置いている。そのため、昔からのラインを知っていた。同じ魔法使いとして接してきたこともあり、伯爵家内で最もラインのことを知っている人物とも言える。


「ふぅん」

 

 然し、ラインの反応は芳しくない。

 彼からしてみれば、初めのころは言葉が分からなかったから話していなかっただけだし、今は対応するのが面倒なものは無視しているだけに過ぎなかった。アミシアに関しても、小さな子供を無視するのはなんとなく気が引けるから対応している、という認識だった。

 確実にアミシアとその他の人物に対する態度には差があるのだが、彼自身、その自覚はなかったのだ。

 だから、妹のように思っているとか、影響を受けているとか言われても、首をかしげるばかりだ。


「まぁ、いいさ。結局どんなに仲睦まじい兄妹が居たとしても、ボクたちには適わないんだから。ねぇ~、メープル?」


 フィリップもラインの打っても響かないような反応には慣れている。彼は直ぐにラインから視線を外すと、妹に語り掛け、口づけをし始めた。

 ラインはその光景をただ眺める。

 しかし、フィリップの言葉は確かにラインの中に染みとなって溶け込んでいったのであった。

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