第3話

 村を囲う柵の外へ出たラインは、ひょろりと伸びた長い腕を山の木々の先へと向けた。すると、彼の手指から糸が出て、木々の間隙を縫って山中に張り巡らされるように伸びて行く。

 彼の指から伸びる魔法の糸『感知索糸サーチスレッド』は彼の目とあり耳とあり、そして皮膚となって周囲を認知する。そうして一瞬にして山内のありとあらゆる環境を把握した彼は、迷いなく歩を進める。

 

 草木の隙間から月明かりの差し込む山林は薄暗く、虫の音、鳥獣の気配すらない静寂だった。常人であればまともに歩くことすらままならない不安定な足場と視界であったが、彼は既に山中を掌握済みである。彼の足取りに危なげはなく、明るい平原を歩くかのような歩みであった。

 

 そうして歩くこと、十分もすれば山の中腹まで来ることができた。

 そこまで来ると、彼はおもむろに眼前に糸を編み込んだ布壁シールドクロースを作り出す。指を絡め、そして離せば瞬時に布壁は展開される。


 彼が布壁を展開し終えるのとほぼ同時に、前方から何かがもの凄い速さで彼に向かって突っ込んできた。

 轟音。飛来物は布壁と衝突し、衝撃波が枝葉のみならず幹までも揺らす。

 ラインはその衝撃に怯むことなく、次の行動へ移る。布壁を弛ませ、衝突物を包み込む。そして、そのまま、内容物を押しつぶすかのように、布壁の両辺を思い切り引っ張って締め上げた。

 

 しかしそれは成らなかった。

 静寂の中にめきめきと嫌な音が鳴る。ラインの作り上げた不格好な繭の中から低いうめき声が上がると、繭がぼこぼこと膨れ上がった。ぶちり、ぶちりと千切れるような音が響き、遂にラインの繭は破られてしまった。


 邪魔な糸を払いのけるように繭から這い出てきたのは、異形の獣であった。

 体長の程は四メートル弱。熊のような頭部に六腕三脚合わせて九肢の隆々とした肢体。その全身は体毛ではなく、甲虫のような甲殻に覆われている。周囲の木々よりも太い六腕の生えた胴部はそれに見合っただけ太く、前脚一本後脚二本の三脚が鼎のようにそれを支えている。暗がりに移るその影は、一見すると、樹木の化け物のようだった。


「Gurrrr」


 魔獣『多脚装甲熊mulch-arm armored bear』は暗闇に光る双眼に、明確な憤怒を宿しラインを睨めつけた。牙を剝き出し、唸り声を上げて威嚇する。即刻、この目の前の異物を排除しなければならないと、魔獣は確信したのだ。


「Gryu…?」


 そして、魔獣が獲物を仕留めんと一歩踏み出した時、魔獣は不可解な浮遊感を覚えた。次いで、上半身前面に伝わる衝撃。気が付けば、魔獣は地面に倒れ伏していた。それも、上半身だけ。

 

「GaaaaaAAAAA!!!!!」


 魔獣は遅れてやってきた激痛に雄叫びにも似た苦悶の声を上げた。

 魔獣の上半身と下半身は綺麗に真っ二つに分かたれ、上半身だけが地に落ちたのだ。

 魔獣は腕を地面に突き何とか立ち上がろうと試みるも、それもままならない、ぼとり、ぼとりと次々に腕が付け根から削ぎ落ちていく。


「Gu—――」


 そして、最後は首が落ちる。叫び声を上げる間もなかった。

 だが、それで終わりではない。そこで絶命するのであれば魔獣足りえない。魔獣の瞳から光は消えていなかった。

 魔獣の六腕一首がふわりと浮かび上がり、ラインを襲う。鋭い爪や牙をむき出しにして、獲物を八つ裂きにしようと攻勢を始めた。


 宙を舞い、四方八方から襲い掛かる魔獣の頭部や剛腕をラインは、特段慌てることなく呆と眺める。地平に沈む夕日を眺める、そんな退屈気な瞳だった。

 ラインはその場から一歩も動くことなく、指から魔法糸を伸ばすと、高速で自身に向かう魔獣の六腕一首を括り付けた。そしてそのまま手を下に向けるように手首を撓らせる。

 どすん、と重たい音を響かせて地面に叩きつけられる魔獣の肉体。地面が抉れるほどの衝撃。魔獣は何とか拘束から逃れようと、必死の抵抗を見せる。

 しかし、ラインの身体からは次々に糸が伸びて行き、魔獣の手首を、指を、牙を次々に削ぎ落としてゆく。

 

 彼は庭師として領内に出現した魔獣と幾度となく相対してきた。その経験から、こういう獣の姿に準じた魔獣は、関節部を狙うのが効果的であると知っていた。それは目の前の魔獣のように体表を硬い甲殻で覆われた相手も例外ではない。

 獣の姿をしている以上、関節は他の部位より脆い。だから、魔法糸で括って引っ張るだけで、簡単に落とすことが出来る。彼にとって魔獣退治など作業のようなものだった。


 そんな傲慢にも程がある慢心が祟ったのか、ラインは思わぬ反撃を喰らってしまう。今まで放置されていた魔獣の三脚がブーメランのように飛んで来て、彼を襲ったのだ。

 王宮を支える大理石の柱のような豪脚に見舞われたラインは、石ころのように吹き飛ぶ。木の幹に叩きつけられ、一本、また一本とそれらをなぎ倒しながら吹き飛ぶ彼の身体。数メートル程進んだところで、漸くと止まった彼は、打ち付けられた脇腹を半ば反応的に抑えながら、ゆらりと立ち上がる。


 そうして立ち上がった彼が見たのは、どろり、と泥のように溶けてゆく魔獣の身体だった。まるで濁った沼の底に溜まったヘドロのように溶けた魔獣の身体は、蠢きながら地に転がる胴体に集まっていき、魔獣の身体は再生した。


 再び相対する一人と一体。怒りに満ちた魔獣の眼光がラインを射殺さんばかりに貫く。その眼光を受けて、ラインはにたりと嗤う。


 咆哮。その巨体に収まらぬ程の煮えたぎる憤怒は、天地を揺らし、暴風の如く荒れ狂う。


「はっ、殺して見せろよ!化け物ぉ!」

 

 その威風を悠々と受け流し、ラインは獰猛に吠え返した。



>>>

>>>


「ライン、大丈夫かなぁ………」


 遡ること十数分、ラインの消えていった山林の影を眺めながら、アミシアはぽつりと呟いた。

 彼女は魔法使いというものを知識としてなんとなく知ってはいるものの、彼らが実際にどういう存在なのか、実感として抱いていない。また、それは魔獣についても、同様だ。

 この場の状況を見て、恐ろしいことがあったのだと、なんとなく察してはいる。しかし、山へと消えていったラインがこれから、どういうことをするのか、想像すら出来ていない。

 そのため、彼女の心配は、暗くて怖い山の中で彼が迷子にならないか、とか、ちゃんと帰ってきてくれるのか、とか、そういった心配だった。


「まぁ、大丈夫でしょう」


 そんな彼女の内心を分かってか否か、騎士隊長はため息交じりに返した。


「それよりも、お嬢様。今回の件は旦那様に報告させていただきます。後で、しっかりとお𠮟りを受けると思いますので、ご覚悟を」


 その騎士隊長の言葉に、アミシアは、ゔっ、と唸った。

 アミシアの父、ハイドラは普段は温厚で誰からも頼りにされている尊敬すべき父親だが、その分、怒ると物凄く怖い、ということを彼女は知っている。今後のことを思った彼女は、がっくりと肩を落とす。


「ですが、まぁ、これも良い機会です。これを機に、お嬢様も外の世界の危険性をご承知下さい」


 その姿を見て、騎士隊長は今回のことを経験として積んで貰おうと考えた。後で父親から叱られるのだから、今ここで自分が叱っても二度手間だ。それよりも、未来の主君がより良い方向に成長できるように補佐するほうが、彼としても得であると考えたのだ。


「うん………」


 騎士隊長に言われて、アミシアは改めて周囲を見渡した。破壊された家屋、篝火に照らされて僅かに覗く血の跡、そして、恐怖に怯える村民の顔。

 それらは、彼女の心に大きな影を落とす。今までに見たことも聞いたこともない光景だった。


 アミシアはこれまで屋敷から出たことはなかった。子供は六歳を超えるまで屋敷の中で育てる。それは、このブラストテレス王国の貴族家では当たり前のことだ。

 いつ、魔獣が出現するか分からない世界で、跡継ぎをきちんと育てるために生まれた風習だった。六歳になれば、何か事件に巻き込まれても、誰かの指示に従って自分の身を守るために行動できるだろうという考えだ。逆に言えば、それまでに自分の身を守るための教育を行え、という風習でもある。

 その風習の例を漏れず、アミシアは優秀な教育係の下、屋敷の中で育てられていた。

 しかし、彼女は生来、好奇心が旺盛だ。屋敷から外に出ることが出来ない、というのは彼女にとって多大な窮屈さを与え、それが今回の件に至る原因でもあった。


 彼女は、ただ、ラインと遊びたかっただけなのだ。彼女にとって、ラインと遊ぶのが、屋敷という小さな小さな世界で与えられた、ほぼ唯一の娯楽だったのだ。

 けれど、自分の行動のせいで隣に立つ騎士に迷惑をかけたことを、彼女は理解している。自分の好奇心の結果、酷く残酷な光景を見てしまった。

 彼女は自身の行動を深く反省し、ますます落ち込んでしまう。


「ライン、大丈夫かなぁ………」


 そして下を見ながら、また一言、ぽつり、と呟くのであった。



 


 


 

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