第2話 警戒
「! 来たわよっ」
「うい」
コーヒーで心がブレイクされかけた三日後、天曇は先日と同じく第二校舎の一室へ足を運んでいた。すると、画面を眺め続けていた女性の身に纏う空気が変わり、一言そう告げた。
一方の天曇は、読んでいた文庫本を栞を挟んで閉じると、徐に立ち上がりそのまま部屋を後にする。そして、その足で体育館へ向かった。
「お? どうした、天曇」
「いや、ちょっと用事ができちゃってな、すまん」
「ふうん、へえー……なるほど?」
「お前が何を考えているかは大体察せるが、俺にそんな浮いた話があると思うのか?」
「ああこりゃ、失礼致しやしたっ。じゃあな」
「ほい」
気心の知れた親友とそんな軽いやり取りをし、天曇は一足先に校舎を後にする。そのまま、普段使っているものとは違うスマートフォンを胸の裏ポケットから取り出し、一つのアプリを起動する。
「あっちの方か……」
相変わらずパッとしない色に染まった空を一瞥すると、天曇はスマホを持っているのとは反対の、右掌を前にパーの形で開き、かざす。
----と、次の瞬間、何もない空中に突如、波紋が広がり、そのまま吸い込まれるようにして天曇の身体は消えてしまった。
「グオオオオオオォォォオオオ!?!?!?」
「ありゃ?」
天曇が波紋を通り抜けた先では、獅子舞とカエルをくっつけたような見た目の、気持ちの悪い生き物(?)が咆哮していた。
そのまま獅子舞蛙は、その長い前足を伸ばし、天曇を潰そうと地面に思い切り叩きつけた。が、天曇は後ろに飛び下がって、その前足を難なく避ける。
獅子舞蛙の攻撃の勢いは目標とは違うところに向かい、舗装されたアスファルト路の破片が飛び散る。住宅街にありがちなブロック塀の迷路の一部が粉々に砕け、のみならず、民家の窓ガラスや外壁までもを傷付けた。
が、すぐさま聞こえてきてもおかしくないはずの、住民の叫び声は全く聞こえてこない。いや、それどころか、生活音、人の気配、そういったものが全く感じ取れないのだ。
しかし、天曇はこの状況に全く動揺していない。先日の「ハピター」での彼は一体どこに行ったのかと問い詰めたくなるほどの冷静さだ。
「ありゃまあ暴れちゃって。というか、なんでここにいるんだ? 地図ではもう少し先なはずなんだが」
天曇が疑問を抱いている間も、アニメや特撮によくありがちな相手が待ってくれるということは当然ない。ここは現実世界ではないかのように見てとれるが、しかし少なくとも彼のいのちは今現実を生きている。あの大きな前足で潰されたら、間違いなく"床のシミ"になってしまうだろう。
天曇が二回目の攻撃を交わし、同時に住宅街が破壊されていく。
「ま、いっか」
そう一言呟くと、天曇は両掌を合わせ、"合掌"のポーズをとる。そして----
「----アミター」
「!? ギャ……」
天曇がそう呟いた瞬間。
悲鳴を上げる暇もなく、獅子舞蛙はこの世界から消え去った。
「昨日は悪かったな」
「いいってことよ。それよりさ、今日はここ行ってみねえ?」
「あん? クレープ屋さんか? そういうのって、女子が食べるもんじゃないのか?」
「バッカおめぇ、男だ女だ、今の時代遅考えしてんじゃねーよ。好きなものは好きに食べる、あたりまえのことだろ、な?」
「まあその通りだが……行くか」
「うおっしゃ!」
朝、登校してからのホームルームまでの時間、いつものように二人が雑談をしている。
窓の外に見える景色は、つい昨日の昼過ぎまで続いていた曇り空が嘘であったかのような快晴だ。
と。
「よーし、席につけよー!」
「お? 早くね?」
「んだな?」
いつもはチャイムがなった瞬間、時間通りにホームルームを始めようとする担任が、何故かこの日は五分以上も早く教室へ入ってきたのだ。
「はい、入ってきて」
「はい」
担任はそれがさも当たり前かのように教卓の後ろに立つと、続けて廊下に向かって一声かける。
すると、一人の女の子が、教室と廊下の敷居を跨いで入ってきた。
「聞いて驚くな? 転校生だ!」
「「「ええっ!?」」」
サプライズプレゼントをするかのような表情でそう告げた担任の言葉に、クラス中が反応する。
「転校生? お前、聞いていたか?」
「いや、そんなわけないだろ」
「んだよな」
天曇と本間の二人も(二人は席が斜めだ。高原が右上、本間が左下の関係になっている。)言葉を交わすが、すぐに否定し合う。
「さあ、どうぞ」
「はい、ありがとうございます、
担任--猿剛に促された少女は、教壇の少し前に立ち、静かに一礼した。と、クラスメイトはまた一斉に黙りこくり、次の言葉を待つ。
「初めまして皆様、私は
名字と同じく流れるような挨拶をしたのち、再び頭を下げる。
樹奈、と名告った女子生徒は、黒髪を背中の中ほどまでかかるくらい伸ばし。ヘアバンドをつけてまとめていた。
制服は転校前に既に購入済みだったのか、この光ヶ土高校の女子生徒用のものである。着こなしもバッチリで、(特に女子生徒に)無駄に厳しいことで評判の猿剛を持ってしても、指摘するところが全くないだろうと思われるほどだ。
樹奈は、涼しげに見えて内心緊張しているのだろうか、他所行きに思われる笑顔を浮かべ続けている。
「樹奈ちゃんか、よろしくな!」
すると、切込隊長とばかりに本間が声を上げ、拍手する。クラスメイトたちもその短い挨拶から樹奈の人柄を感じ取ったのだろうか、同じく歓迎の儀式をとばかりに手を打ち鳴らした。
「じゃあ流戀さんは、そこの机に! もし見にくいなどがあれば言ってくれ」
「はい、お気遣いありがとうございます」
猿剛が指差した、窓側から三列目の一番後ろの席、そこへ机の垣根を縫うようにして向かった樹奈は。スカートを両手でしっかりと押さえ、ゆっくりと腰掛けた。
その席は、偶然か、天曇の左斜め後ろ。
つまり、樹奈、天曇、本間と、斜めのラインに座ることになったのだった。
「それじゃあ、朝のホームルームを始める!」
「きりぃーつ! れー!」
そうして、少なからぬ浮足だった空気が混ざりながらも、何事もなかったかのように朝は過ぎていった。
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