第八話 ありがとう




 意識を取り戻した咲弥は、重いまぶたをゆっくりと開いた。

 木造の天井が、視界いっぱいに広がっている。

 おぼろげな意識だが、ベッドの上にいるのだと理解した。


 まだ体は、思うように動かせない。

 限界突破は、まるで神がかった力を出せる。だがしかし、そのせいなのか、体に多大な負担をかけてしまうようだ。

 それこそ、寿命を削っている――漠然とそんな気がした。


「よお、起きたか」


 右側のほうから、聞き覚えのある男の声がした。

 無理矢理に顔だけを動かし、咲弥は目を向ける。

 そこには、死んだと思っていたモウラがいた。


「モウラさん……生きてたんですね」

「ははっ。なんだよ。死んでたほうがよかったか?」


 咲弥は涙が溢れ出た。

 近づいて、きちんと確認したわけではない。

 やや遠目から、勝手に死んだと感じていただけであった。


「勘違いで、よかったです……」

「かなり、ぎりぎりだったらしいが……まあ、なんとかな」

「本当に……本当に、よかったです」

「ああ……ただ……」

「おお。咲弥君。目を覚ましたか」


 モウラの言葉を遮り、ロッセの野太い声が響いた。

 ロッセの傍には、シェイの姿もあった。


「ロッセさん……」


 左腕がないロッセを見て、咲弥は言葉を失った。

 神秘的な力がある世界でも、どうにもならないらしい。

 シェイが、涙ながらに伝えてくる。


「咲弥の兄ちゃん。ごめん……オレ……オレ……」

「……? なんで、シェイちゃんが謝るのさ?」

「オレが飛び出さなきゃ、咲弥の兄ちゃんは……」


 どうやらシェイは、自分のせいだと勘違いしている。

 固有能力の代償以外、実際は傷一つ負っていない。


(そう……奇跡だっただけなんだ……)


 多くの人達が傷つき、倒れ込み、気持ちがぐちゃぐちゃになっていた。とにもかくにも、ただただ必死だったのだ。

 今にして思えば、本当に無謀な戦いだったと感じる。


 正真正銘、初めて見る本当の怪物で間違いない。

 それに立ち向かうなど、正気の沙汰さたではなかった。

 ふと、ほかの村人達の安否が気になる。


「ロッセさん……村の人達の被害は……?」

「村は復興まで、かなりの時間がかかるだろうが……」


 少し沈黙してから、ロッセはほがらかな笑みで答えた。


「レイガルムが素早く討伐されたお陰で、全員無事だ」


 怪我人は多数いるものの、死者はでなかったようだ。

 喜ばしい事実に、咲弥はほっと安堵あんどする。


「だってさ……だから、何も気にする必要なんかない」


 シェイに優しい声で、そうさとしておいた。

 道中がどうであれ、結果が良ければそれでいい。


「聞いたぜ。大活躍だったんだってな」

「いいえ。僕一人じゃ、無理でした」

「それでも……本当に、ありがとう」


 感謝しているモウラに、咲弥は微笑みを送った。

 無事に終わったと知り、一気に体の力が抜ける。


「あ、そうだ……シェイちゃん。紋章石のことだけど……」


 シェイははっとした顔をしてから、首を横に振った。


「それは……咲弥の兄ちゃんが、持っているべき物なんだ」

「でも……」

「ほんとに……でも、解除の仕方は、オレが教えてやるよ」

「はは……ありがとう」


 シェイの頭に、ロッセは手を乗せた。


「なんの話かはわからんが、今はゆっくり休みなさい」

「はい。ありがとうございます」

「それじゃあ、またあとで来る」

「わかりました」


 ロッセ達を見送ったあと、咲弥はモウラを見る。

 いつの間にか、眠ったらしい。

 ただ、目が半開きになっている。


(そういえば、こんな寝方をする友達いたな……)


 咲弥は上を向き、目を閉じる。

 広さすらわからない新たな世界には、きっとレイガルムのような怪物が、まだまだ無数に存在しているに違いない。

 それでも人々は、それぞれの生活を懸命に営んでいる。


 今回はただ運がよく、咲弥を含め村人全員が無事だった。

 自分の知らないところでは、耳にしたくないぐらい悲しい事件が、たくさん起こっているのだろうと想像を働かせる。


(邪悪な神を討てば、そんなこともなくなるのかな……)

『人を――世界を救う必要はありません』


 天使はそう言っていた。

 天使の言葉の真意が、咲弥にはまだよくわからない。

 たとえ住む世界が異なっていたとしても、同じ心を持ち、今を生きる人達との違いなど、どこにもないと思える。


(僕は……)


 自分が選ばれた存在だと、おごるつもりはない。だが、もし誰かを救えるのなら、救ってあげたい気持ちは持っている。

 それは天使からすれば、必要のない感情なのだろうか――たとえそうであったとしても、自分は自分らしくありたい。


(天使様は……どうして……?)


 なぜ咲弥を選び、使命を与えたのか疑問でしかない。

 ほかに適任者はたくさんいたと、今でもそう感じられる。

 すぐには答えが出せない。そんな疑問が尽きなかった。


 いずれにしても、もう後戻りは絶対にできない。

 それだけは、間違いようのない事実であった。


(とにかく、今は……ゆっくり休もう……)


 徐々に意識が薄れていく。

 ぼんやりと、咲弥は家族の姿を脳裏に描いた。

 少しだけ――

 ほんの少しだけ――

 咲弥は寂しさを、胸にこっそりと抱いた。






 レイガルムの襲撃から、三日の時が流れる。

 あの日を境に、咲弥はたくさん考えさせられた。

 村の人達からさまざまな話を聞き、ある決心を固める。

 そして、今――


「ほんとに……行っちゃうのかよ?」


 見送りに来たシェイが、どこか寂しそうな声を出した。

 学生服を着た咲弥は、布鞄を肩にかけ直しながら告げる。


「うん。どうしても、やらなきゃならないことがあるんだ」

「何すんだよ……?」

「自分でも、わからない……それを知るためにも行くんだ」

「なんだよ、それ……」


 傍にいるロッセが、シェイの肩に手を置いた。


「引き留めるもんじゃない。前からわかっていたことだろ」

「ベ、べつ……別に、そういうわけじゃねぇし!」


 片腕のないロッセを見つめ、咲弥は声を絞り出した。


「本当に、よかったんですか? 復興するなら、僕も……」

「そこまでする必要はない。君は、君の旅を続けるんだ」


 ロッセは気遣ってくれている様子だった。

 咲弥は復興に関して、何も言葉を返せなくなる。

 代わりに、深く頭を下げた。


「本当にお世話になりました。頂いた鞄も大事に使います」

「私達のほうこそ、本当に感謝している。ありがとう」


 互いに微笑み合い、ゆっくりとうなずいた。


「おぉい! 咲弥ぁ!」


 木製の松葉杖を使い、モウラが向かってきた。

 咲弥の近くで立ち止まり、肩で息をしている。


「はぁ、はぁ……あぁ……間に合った、間に合った」

「見送り、ありがとうございます。モウラさん」

「これ、持っていけよ」


 差し出されたのは、レイガルムのものとおぼしき角だった。


「旅は金がかかるだろ? こいつを売れば多少は金になる」

「いいんですか? 村にだって、お金が必要なのに……」

「なあに、大丈夫。レイガルムの素材も、まだあるしな」

「でも……」

「こんなところで暮らしてんだ。案外……下々しもじもの民ってのはしぶといんだよ」

「……ありがとうございます」


 咲弥はモウラから、レイガルムの角を受け取った。

 鞄にしまっているとき、ロッセが伝えてくる。


「そういう素材は、ギルドのほうが高く買ってくれるぞ」

「ギルド、ですか?」

「レイガルムの角なら、細工ギルドか、鍛冶ギルドだ」


 咲弥は想像しながら、相槌を打った。


「そんなものがあるんですね……わかりました」

「町に着いたら、いろいろと見て回るといい」

「はい!」

「んじゃあ、そろそろ行くかい?」


 馬車の御者台ぎょしゃだいに座る門番の一人――マルニが言った。

 ロッセが、申し訳なさそうに告げる。


「本当は王都まで送りたいが、迅馬じんばがもたないのでな」

「街道の町まででも、大丈夫です」


 咲弥は馬車の荷台に乗り込んだ。


「本当に皆さん……たくさん、お世話になりました」

「咲弥……またいつでも来いよ」


 そう言って、モウラがにっこりと笑った。


「俺達はいつでも、お前のことを歓迎するからさ」

「また、いつか来いよ! 咲弥の兄ちゃん!」

「何泣いてんだよ、シェイ」

「ばっかやろう。泣いてなんかないやい」

「泣いてんじゃん」


 モウラとシェイのやり取りを見つつ、咲弥は寂しくなる。


「咲弥君。元気でな」

「はい。ロッセさん。皆さんも、お元気で!」 

「じゃあ、行くぜ!」


 カラカラと車輪が回り、馬車はゆっくりと進んだ。

 見送りに来てくれた全員に、咲弥は大きく手を振る。


「そいじゃあ、孤独な門番君。少しの間、頼んだぜ」

「マルニの分まで仕事してやるよ。咲弥君。またな!」

「フラムさんも、お元気で!」


 手を振るフラムに、村の人々――

 次第にその姿も、どんどんと遠ざかっていった。

 馬車は速度を上げ、豪快に走っていく。


「マータスに着くのは、だいたい四日ってところだ」

「そうですか。結構、かかりますね」

「そこから王都に着くのは、さらに一週間はかかるぞ」

「なるほど……」

「マータスに行けば、王都へと向かう隊商があるんだ。俺のほうから話をつけるから、一緒に王都まで行けばいいさ」

「何から何まで、ありがとうございます」

「村の恩人なんだ。これぐらいじゃ、足りないさ」

「僕一人では、無理でした。皆さんのお陰です」


 マルニはからからと笑った。


「旅は長い。知りたいことがあったら、何でも聞きなよ」

「え、いいんですか?」

「俺にわかる範囲でならな」

「ありがとうございます! では、さっそく……」


 咲弥は鞄から、ノートを取り出した。

 そこで、ふと気づかされる。


「これは……?」

「ん? どうした?」


 咲弥は寂しさ半分、嬉しさ半分という気持ちになった。

 ノートの表紙に落書きがしてある。

 犯人は、すぐに誰かわかった。


「いいえ、なんでもありません」


 マルニに応え、咲弥は背表紙をじっと見つめる。

 咲弥とシェイの似顔絵が描かれており、その下には文字が書かれていた。


(ありがとう……か)


 自分に何ができるのか、どうあればいいのか。

 咲弥にとっては、アンカータ村が出発地点となる。

 これから、もっと多くの情報を入手しなければならない。


 邪悪な神を討つ――

 最初はただ、押しつけられただけの使命だった。

 村の人達と接して、咲弥は少し考えを改める。


 使命を果たせるのか、それは自分にさえもわからない。

 使命を果たした先に、何が待つのか予想もつかない。

 邪悪な神を討てば、魔物が消えるのかも不明だった。


 答えなど出るはずもない、そんな問題ばかりがある。

 だが、一つだけ――ちゃんとわかることがあった。


(みんなが安心できる……そんな世界になってほしいな)


 咲弥は素直にそう願った。

 たとえ天使から、世界を救う必要はないと言われようと、望んで悪いことなど、一つもないと結論を導き出したのだ。

 まずは、情報の宝庫だと思われる王都へ向かう。

 そこからまた、新たな一歩が始まるに違いない。


 一つ一つ目的を積み重ねていけば、いつの日か――

 邪悪な神へ繋がる。漠然とではあるが、そんな気がした。

 咲弥はノートの新しいページを開く。


「では町の情報を、もっと聞きたいんですが……」

「おう! 何が知りたいんだ?」


 咲弥はマルニと、マータス町までの旅を楽しんだ。



 晴れ渡る大空よりも高い、遥か遠い場所で――

 天使がこっそり微笑をたたえたことを、咲弥は知らない。



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