第二話 初めての村
暗闇の中で、何かが回転しているような音が聞こえる。
カタカタとした音と一緒に、不規則な揺れも感じた。
どこか小気味よい音と振動に、つい身を
(なんだろ……これ……)
漠然とした意識が、次第に覚醒へと向かう。
途端に犬っぽい怪物の姿が、咲弥の脳裏によみがえった。
「ぁっ……!」
咲弥は身の危険を覚え、がばっと上半身を
視界に飛び込む光景に、ほんのわずかに思考が停止する。
一瞬、桶の中を疑った。だがよく見れば、馬に似た奇妙な生物が引いている、台車の中に乗せられているようだ。
草木が生い茂る森の中を、ゆっくりと進んでいる。
周辺はかなり
「おお、坊や。お目覚めか?」
白髪の多い大柄な男が、肩越しに咲弥を振り返った。
異国の地に来たのかと
疲れているのか、どこかやつれた印象を
着ている布服も、ずいぶんくたびれきっている。
(あれ……そういえば……)
咲弥は静かな驚きに満ちる。
男の言葉が、ちゃんと聞き取れていた。日本語にはまるで聞こえなかったものの、不思議と意味を受け取れている。
天使から翻訳的な何かも、付与されていると呑み込んだ。
しかしこちらの言葉が、相手に通じるとは限らない。
「あの……あれ……ここは? えっと……い、つつっ!」
これが、限界突破を扱った代償か――激痛の余韻が。まだ体中に残っていた。体もずっしりと重く、かなり気だるい。
最悪な寝起きが、ずっと続いているような感覚だった。
痛みを
何一つ理解できないものの、考えるだけ無駄に違いない。
白髪頭の男が、心配げな眼差しを向けてくる。
「大丈夫か? あまり無理はよくない。しばらく休んでいたほうがいいだろう。ガルムに襲われたんだろ? 最近は……なぜか、魔物どもが活発化してきててな」
犬に酷似した怪物が、ガルムだと認識しておく。
意思の疎通は偉大だと、そう感じずにはいられなかった。会話が可能な相手と出会えたことが、とても嬉しく思える。
「無事で何よりだ。これも、リフィア様の加護のお陰かな」
神か人かは不明だが、信仰対象の存在なのだろう。
あまり下手に
まずはきちんと、お礼を告げておくほうがいい。
「あの……助けてくださって、ありがとうございました」
「いや。私は倒れている坊やを、遠目に見つけただけだ」
疲れた顔をしながら、男はにっこりと微笑んだ。
「気を失っていたみたいだから、ほうってもおけなかった。だからひとまずは、私が住んでる村へと運んでいただけさ」
「そうなんですか。いろいろと、ありがとうございます」
男は短い苦笑を漏らした。
「変わった坊やだな。見たことのない服装をしているが……王都の子なのかい?」
王都と聞き、咲弥は名もなき王の姿を勝手に妄想した。
(ん……?)
まだ寝ぼけている様子の頭に、理解が遅れてやってきた。
よくよく考えれば、男に出身を問われている。
(やばい……どうしよう……)
至極当然の流れだと、自身をたしなめる。とはいえ、この世界を訪れて間もなく、ガルムに襲われたため仕方がない。
湧き出る冷や汗を、咲弥は心の内側で何度も拭い捨てる。
何かいい方便を、考えなければならない。
今は現在地どころか、地理すらもさっぱりであった。
ここが王政の区域内なのは、間違いないと思われる。ただ王政に関しては学が足りず、ぼんやりとしか把握できない。
学校の授業でも、歴史学はあまり得意ではなかった。
『あなたが天使の使徒――または、別世界の住人であると、他言してはなりません。肝に銘じておいてください。もしもあなたの素性が知られる事態に直面した場合は――あなたと知った者達は全員、命の灯火が即座に消滅するのだと』
天使の言葉を思い出すなり、かすかに身が震える。
理由はわからないが、決して知られてはならなかった。
偽りの身分が固まるまでは、話を
「あぁ、いや……その……」
「……し、しまった!」
唐突に声を張られ、咲弥の肩が大きく飛び跳ねる。
「は、はい! えっと……ど、どうされましたか?」
「旅人なら荷物はあっただろうに……うっかりしていた」
何事かと思ったが、まったくたいした話ではない。
咲弥は心の底から
「あ、その……荷物は、前からなくなってまして……」
「……そうなのか?」
「は、はい……だから、気になさらないでください」
咲弥は苦笑して誤魔化した。
話を戻されても困るため、すぐに話題を変える。
「そういえば、村ってどんなところなんですか?」
「ん? いやあ……農耕だけの、とても貧しい村だ」
この世界に生きる人々の生活が、どんなものか気になる。
テレビやネットなどを除けば、なかなかお目にかかれない馬車に等しい代物を扱っている。だからおそらく、そこまで文明力は高くはないのだと予想した。
(ん……?)
テレビやネットから連想が働き、ふと胸に不安が募る。
本当の意味で、こちら側の世界をまだ何も知らない。
この世界の住人がどんな人なのか、知るよしもないのだ。
人さらい、生贄、猟奇殺人――悪いほうへと考えが巡る。
「そうだ、挨拶が遅れたな。私はロッセだ。君は?」
「あ……あの? さ、咲弥、って、いいます」
恐怖心からか、明らかに怯えた声をしていた。
ロッセと名乗った男は、さして気にした様子はない。
「そうか。ほら、咲弥君。もうすぐ着くぞ」
心臓をバクバクさせながら、咲弥は
森の通り道を抜けた先に、ロッセの村は姿を見せた。
(うわぁあ……)
広々とした畑を、咲弥はゆっくりと眺めた。
作業している人達の姿が、ちらほらと目に入る。ロッセの存在に気づいた人が、馬車のほうへ向かって大手を振った。
畑の作業は、どうやらすべて人の手でおこなっている。
機械や魔法的な代物は、どこを探しても見当たらない。
(こんな広い畑なのに……)
畑作業の経験はないが、きっと大変に違いない。
咲弥はそんな感想をもちながら、視線を前に向ける。
畑の向こう側に、藁の屋根をした建物が並んでいた。
まばらなように見えるが、どこか規則性を感じさせる。
近づくにつれ、咲弥は我が目を疑った。
(……えっ?)
木製の柵の後ろに、丈夫そうな樹枝が幾重にも重ねて積み上げられていた。おそらくは、塀の代わりだと考えられる。
貧しいと聞いていたが、ここまでとは思いもしなかった。
「面白いものは何もないが、ゆっくりしていくといい」
「……あ、はい。ありがとうございます」
別の意味で見とれてしまい、つい返事が遅れる。
門の役割をした場所に、二人の青年が立っていた。
こちらに気づいたのか、二人は小走りに駆け寄ってくる。
栗毛をした生真面目そうな青年が、最初に声をかけた。
「ロッセの親方。お帰りなさい」
「お帰りなさい。ラゴンの村では、どうでし……あれ?」
黒髪の活発そうな青年が、咲弥の存在に気づいたらしい。
青年二人の視線が、咲弥へと注がれた。
「ロッセの親方。そちらの坊やは?」
「ああ。実はな――」
ロッセは手短に、事の経緯を説明した。
話しを聞き終えると、青年達の顔に緊張の色が宿る。
「ガルム……やはり最近、奴ら活発化してますね」
「まいったな……ギルドに討伐を頼む金なんてないしなあ」
「領主や王国なんか、見向きもしないだろうし……」
「そもそも……そんな余裕あんのかねぇ。聞いた話じゃあ、ガルムだけじゃない。ほかの魔物も活発化してるらしいし」
「避難所の強化を急いだのは、よかったかもしれないな」
青年達は同時に、深々としたため息をついた。
「自分達の身は自分達で守る。今は、それしかない」
ロッセがそうなだめたあと、重い沈黙が場を支配する。
咲弥は三人の男を見回してから、奥へ視線を移した。
門の奥には、小さな子供や女の人達が集まり始めている。
ロッセの帰還を知り、集まってきたのだろう。
「あ、あの……?」
「ん?」
「あんな凶暴な……人を襲う可能性がある生物がいるのに、国は駆除とか討伐とか、何も対策してくれないんですか?」
咲弥の問いを、青年達が苦笑いで応えた。
「君はどこの国の人なんだ? こんな下々の村が一つ滅びたところで、この国の上の連中らは気にすらもとめないさ」
「だなあ。気にしてくれるのは同じような村だけだろうな。つっても、だからって助けてくれるわけじゃねぇけど」
「そんな……まだ、あんな小さな子供だっているのに……」
事情は知らないが、咲弥は苦い思いを抱える。
また重い沈黙が流れたが、今度は長く続かなかった。
ロッセが落ち着いた口調で告げる。
「……まあ、こんなところで、立ち話もなんだ……たいしたもてなしは何もできないが、ゆっくりしていくといい」
「そうっすね。なんもないけど、ゆっくりしていってくれ」
「見知らぬ客人なんて、かなり珍しいこともあるもんだ」
一同、門の場所を前にした。
青年達が門を開き、馬車はまたゆっくり進み始める。
門を通過した辺りで、黒髪の青年が声を張った。
「ようこそ。アンカータ村へ」
咲弥は後ろを振り返り、小さく手を振った。
再び馬車が停止すると、村の子供達が群がってくる。
「ロッセのじいさん。お帰り!」
「お帰りなさい!」
「ああ、ただいま」
ロッセは隣に置いてある布袋から、何かを取り出した。
それを子供達へ、順々に手渡していく。
よく見ると、どうやらパンらしき食べ物のようだ。
無邪気に頬張っていく子達を、咲弥はぼんやり見つめる。
「シェイ。こちらへ来なさい」
「なんだよ? ロッセのじいさん?」
ふんわりとした帽子をかぶった、十歳ぐらいの――性別が男とも女ともとれる、
口調からして、おそらくは男の子だと結論づける。
シェイが両手を頭に乗せながら、馬車へと歩み寄った。
ロッセが肩越しに、顔を向けてきた。
「一応……念のため、村の
気がつけば激痛の余韻や気だるさが、かなり薄れていた。
目覚めたときに比べれば、調子はだいぶよくなっている。
「たぶん……大丈夫だと思いますが……」
「念のためさ。私はこれから、会合に出なければならない。だから道案内は、このシェイに任せる――いいか、シェイ。客人に失礼のないようにな」
「まあ、別にいいけどよ」
咲弥は馬車から降り、ロッセに向かって頭を下げた。
「いろいろと、ありがとうございます」
ロッセはにっこり微笑んでから、馬車を静かに走らせた。
悪い想像ばかりしていたが、そういう雰囲気は感じない。
良心のある人に救われたらしく、ほっと胸を
「じゃあ、兄ちゃん。オレについてきなよ」
「うん。道案内、よろしくお願いします」
「りょうかぁい」
まるで散歩でもするような足取りで、シェイは進んだ。
シェイの鼻歌を聴きながら、咲弥は周囲を観察した。
外側からよりも、内側から見たほうがわかることがある。
村の囲いはお粗末だったが、中は柵がしっかりしていた。松明台と思われる物も、ちゃんとした土台で造られている。
村の中から、徹底的に強化していっていると判断した。
(そういえば、ここ最近って言ってたっけ……最近……か)
ガルムが活発化している原因は予想もつかないが、きっとそのせいで、村の強化をかなり手荒く急いだに違いない。
村の囲いがお粗末だった理由が、ほんの少し見えてくる。すべてを強化するのは、並大抵の労力では済まないだろう。
聞いた通り、貧しいといえば貧しい村なのは否めない。
ただ――
とてものどかで、心地のよい雰囲気が村には
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