第三話 紋章と紋章石
村の診療所は、民家と変わらない外観の中にあった。
病院の雰囲気よりも、生活感のほうが色濃く漂っている。もともと民家だったのを、診療所を
中には紙と木炭のほか、時計と
逆に何に使うのかわからない道具も、ちらほらとある。
「どこにも異常は見当たらんね。まあ、大丈夫じゃろぅ」
小柄な老婆がしわがれた声で、咲弥にそう伝えてきた。
咲弥は小さく頭を下げる。
「診てくださって、ありがとうございました」
老婆は
「ときに、お主。紋章者じゃろ?」
「紋章者……」
「異常はなかったはずじゃが……頭でも強く打ったかえ?」
「己の紋様を形作り、神秘の力を扱える人のことだよ」
近くにいたシェイが、誇らしげな顔で説明してきた。
紋章者という単語を、知らなかったわけではない。
ただオウム返し的に、ちょっと呟いただけであった。
しかし、それがきっかけとなり、別の疑問が浮き上がる。
「あの……どうして、僕が紋章者だとわかったんですか?」
「本気で言うとるのかえ? オドの様子を見れば、紋章者かどうかなんぞ、同じ紋章者なら誰でもわかるじゃろうてに」
(それは、知らないぞ……そんなものが、見えるのか?)
天使から受けた説明には、なかった情報のはずだった。
咲弥は念のため、記憶を掘り起こしていく。
まず神秘的な力は、二種類に分けられると教えられた。
生物の体内から生まれる、生物的なエネルギー――オド。
自然から生み出される、超自然的なエネルギー――マナ。
おまけとして与えられた紋章石は、そのマナが結晶化した石であり、マナやオドに呼応して力が引き出されるようだ。
情報はこれぐらいしかなく、やはり説明を受けていない。
シェイは腰に手を置き、得意げな姿勢で言った。
「紋章者はオドの総量が、常人より遥かに多いのさ。だから一定以上のオドを持った者は、紋章者で間違いないんだ」
咲弥は質問した。
「すごく詳しいけど、シェイ君も紋章者なのかな?」
「まっさかぁ。紋様は血の
鍛錬が必要なのは、天使の説明にあった。
同時に、鍛錬もなく――使徒を連想せずにはいられない。何度も使徒を送っている可能性を、咲弥は静かに模索する。
間もたせのため、咲弥は
「へぇ……そうなのか」
「いつか紋章者となれるよう、勉強をしっかりしてんのさ。ところで、咲弥の兄ちゃんってさ、今いくつなんだい?」
「十五だよ。といっても、もう十六になる年だけどね」
老婆が不意に、難しい顔で
「お主は鍛錬もなく、扱えるようになったのかぇ?」
「いやいや……そんなの、
二人の会話に、咲弥はわずかに肩を震わせた。
下手に詮索されるのは、あまり好ましくない。
「ああっ……紋章者って、どんなことができるんですか?」
「ざっくりとし過ぎて、答えるのが難しいのぅ……」
話しを変えようとしたのが、逆に裏目に出そうだった。
咲弥はだらだらと冷や汗をかく。
シェイがまた、得意げな顔で語った。
「紋章者は生まれ持った固有能力を知り、扱い――それから自然界の結晶である、紋章石をも扱えるようになるのさ」
「紋章石……ああ、あれのことだね」
「なんだ。咲弥の兄ちゃん、もう持ってんだ?」
「うん。これでしょ?」
咲弥はポケットから、綺麗な青い玉を取り出した。
シェイと老婆が、途端に顔を激しく引きつらせる。
その形相にぎょっとして、咲弥はほんの少し仰け反った。
「こりゃあ……まあ……一級品……いや、特級品かえ?」
「さ、咲弥の兄ちゃん、こんなのどこで手に入れたのさ!」
「えっと……おまけ? として、貰ったんだけど……」
シェイが片手を素早く振る。
「いやいやっ! おまけで貰えるような品じゃないでしょ。売れば大陸の大富豪となれるぐらいの、超高級品だよっ?」
「えぇっ! 本当? まあでも、これは頂き物だから、売るわけにはいかないかな……僕には、扱えなかったけど……」
しばらくの静寂を経て、シェイが
「それ……紋章石を宿してないってわけじゃなく?」
「えっ? これって、宿すものなの? どこに?」
シェイはやれやれと、深いため息をついた。
「あのね、咲弥の兄ちゃん……紋様を出してごらん」
「う、うん……」
右手に意識を向け、淡く光る透明の紋様を宙に描いた。
するとそこで、老婆が
「なんじゃ、これは……えらく不思議な紋様じゃなぁ……」
「そ、そうなんですか?」
「紋様はさまざまあれども、個々の持つ属性である程度似た……あるいは、同じものが形作られるんじゃがな。ワシなら水の紋様といったようにの?」
老婆が右手の付近に、水色の紋様を生み出した。
咲弥はじっと、老婆の紋様を見つめる。
確かに咲弥の紋様とは、明らかに異なっていた。
そしてどことなく、水を模した模様だとすぐにわかる。
小首を
「なんとなく思ったんだけどさ、なんだか咲弥の兄ちゃんの紋様って……まるで、天使様が宿ってるみたいじゃない?」
シェイの発言に、咲弥はドキッとした。
心臓の鼓動が速まり、胸が内側から激しく叩かれて痛い。
「ほら、ここが翼……女の人なのかな? そう見えない?」
そう言われると、もはやそうだとしか見えなくなる。
咲弥は漠然と理解に及んだ。同時に、こちら側の世界でも天使のイメージは、地球と変わらない認識なのだと知った。
「はは、ははは……そう、かなぁ? そうだと、いいね?」
正体を明かすなと言っておきながら、こんな謎の仕掛けを施していた。天使に対して、もはや不信感を抱くしかない。
咲弥は諦めの境地で、心の中でため息をついた。
「紋様を出したけど、これが紋章石とどう関係あるのかな」
「咲弥の兄ちゃんのは……あ、ここだね」
シェイが指差した場所に目を向けた。
そこには、小さな穴が空いている。
「そこを、よく覚えてて」
「うん」
「紋章石を紋様に近づけて……水の紋章石、我が紋様に宿れ――って言ってみ」
「う、うん。わかった……水の紋章石、我が紋様に宿れ」
咲弥は言われた通りにした。
突然、紋様が深い青色の光を発する。
気がつけば、手にしていたはずの紋章石が消えていた。
「あ、あれっ? 紋章石が、なくなった?」
「違うよ。ほら、さっきの穴の部分を見てごらん」
シェイの指示に従い、咲弥は視線を移した。
穴が開いていた部分に、青い光が灯っている。
しかも紋様の色が、透き通るような空色に変化していた。
(なんだろう……これ……)
とても不思議な気分がする。
青い紋章石が持つ意志、あるいは知識だろうか――咲弥の体の中へ染み渡るように、流れ込んできている感覚がした。
「これで、紋章石は宿せたね。兄ちゃんの紋様は、穴がまだ一つしかないから、まだ一つしか宿せないけれどさ、もっと鍛錬を重ねれば、穴の数は増えていくよ」
「そっか……これでようやく、扱えるようになるのか」
天使の説明不足に、咲弥は頭を抱えたい気分だった。
説明されていない部分は、ほかにもまだあるに違いない。
(まあ、それはもう仕方ないか……それよりも……)
この少しの間で、かなりの情報を入手できた。
これからはこうして、積極的に情報収集するほかない。
「ちょっと表に出て、ちゃんと使えるか試してみようよ」
シェイは瞳をキラキラと輝かせていた。
咲弥は少し微笑んでから、ゆっくりと首を縦に振る。
「そうだね。せっかくだから、ちょっと試してみたいかな」
「あんまり、下手な扱いはしないようにな。その力の源は、自身の源――オドじゃ。当然、尽きれば
「そ、そうなんですか……? 肝に銘じておきます」
咲弥は老婆に向かい、また頭を深く下げる。
「あの、いきなり訪ねてきたのに、診て下さってありがとうございました」
「礼には及ばんよ。ええもんも見れたしの」
老婆はにっこりと笑う。
老婆の微笑みに、咲弥も笑みをもって応える。
「ほらあ、咲弥の兄ちゃん! 早く行こうぜ!」
「あ、ちょっと待って……あの、こういう品物って、どこで手に入れられますか?」
咲弥は適当に、近くにある物を指差した。
物が存在している以上、きっとお店があるに違いない。
お店の品を眺めることで、知れることもあるはずだった。
「そんな紙、あとでオレがあげるから! 早く早く!」
老婆が答える前に、シェイが割り込んだ。
いつの間にか、もう玄関口まで移動している。
(まあ、シェイ君から訊いてもいいか……)
咲弥は老婆に向かい、深くお辞儀をする。
老婆の優しい瞳に見送られながら、シェイの背を追った。
診療所から広場に出て、村の端のほうへと向かっている。
鬱蒼とした森の手前に、立派な樹木が一本あった。
「ここなら大丈夫。あの木に向かって、紋章術を使ってみ」
「う、うん」
「使い方、わかる?」
心配げな眼差しで、咲弥の顔をシェイが覗き込んでくる。
咲弥はこくりと
紋章石を宿したときに、不思議と理解している。
「たぶん大丈夫だと思う。どうしてなのかはわからないけど……紋章石を宿したときに、なんとなく……わかったんだ」
「それは紋章石が、ただの無機物とかじゃなくてさ、意志を持った石だからだね」
「意志を持った石……か」
「もともと紋章石は、自然の結晶だからね。これも
天使がいるのだから、精霊も普通にいそうだと思えた。
「……あまり理解はできないけど、納得だけはしたよ」
シェイは首を大きく縦に振った。
「そんな話はどうでもいいから、とりあえず使ってみなよ」
「うん。わかった」
立派な樹木に向き、咲弥は右手で空色の紋様を浮かべた。
「水の紋章、僕に力を……」
天使を模した紋様が、ぱっと輝いた。
固有能力を使ったときと同様に、紋様が弾け飛ぶ。
咲弥の周辺の虚空に、四つの青い渦が生まれた。
やがてそれは、激しさを増す。
まるで空気銃にも酷似した発砲音が、大きく
水の玉――水弾が渦から放たれ、樹木の幹を四か所えぐり取ってから霧散する。
バキバキッと豪快な音を立てて、樹木が倒れていく。
咲弥は硬直してしまい、無言のまま目を丸くした。
「うっひょおぉおおおおおおお! すっげぇっ! いいなあいいなあ! 早く、オレも使えるようになりたいなあ!」
シェイは年相応に、無邪気にはしゃいでいた。
そんなシェイをよそに、咲弥は素直に喜べないでいる。
冷や汗がだらだらと、何度も頬を流れ落ちた。
(こ、こ、こんなの……もし間違って、人にでも当たったら死んじゃうじゃないか……こんな、これほどなんて……)
あまりにも驚異的な威力に――
咲弥はただただ、茫然と立ち尽くした。
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