第33話 落ちたアンタ

 立ち寄ったコンビニにもう一度入り、缶コーヒーを買ってバッグに詰めた。

 自転車に乗って向かった先は週に三回は必ず訪れている駅に近い高級マンション。週三で通っているだけあって管理人とは、すっかり顔なじみになっていた。

 ちょうど外の掃除をしていた管理人に挨拶をし、オートロックで閉じられたガラス扉とインターフォンを前にしたら……急に不安になった。


(ここまで来ておいて……何しに来たんだとか、来なくていい、とか言われたら。ちょっとショックだなぁ……どうすんかな、でもコーヒー渡すくらいなら変に思わないかなぁ……なんて言ったらいいよ。ちょっと近くに寄ったからさ~とか? それともまた仕事ばっかしてんのかよ〜とか、ふざけた感じで入るか?)


 それとも……飛鳥に会いたくて、とか。いやいや、それはさすがに言えない。

 とりあえず行ってみよう、自分らしく。


 大翔は緊張にちょっとだけ震える指で文字盤の数字を押し、ピロロロロ〜とインターフォンを鳴らす。応答するまでの間、何度もため息をついた。大丈夫、大丈夫と、心配する自分の気持ちを自分で抑えながら。


 しかし、インターフォンはいつまで待っても応答がなかった。出かけてしまったのだろうか。稀に飛鳥も車椅子で出かけることがある。

 残念だ、いないのか……と思った時だ。

 バッグに入っているスマホが着信を鳴らした。画面を見ると――たった今、インターフォンを押した先に住む男の名前が出ていた。


(なんでっ?)


 急に動悸がした。胸を押さえながら大翔は電話に出る。


「も、もしもしっ?」


『……大翔』


 電話向こうから飛鳥の声が聞こえた。


「飛鳥さん? 家にいんの? オレ、今ちょっとだけ寄ってみて、インターフォン鳴らしたんだけど」


『今、開錠ができない……うっ』


 うめき声だ。どうした!? と頭の中の自分が叫ぶ。


『悪い、今、動くことができない……管理人にマスターキーをもらって、入ってきてくれないか……』


「どうしたんだよっ、飛鳥さんっ」


『頼む、大翔……痛いんだ』


 苦し気な飛鳥の声に、自分も心臓が釘でも刺さったかのように痛くなった。飛鳥に何かがあったのだ。

 大翔は掃除をしていた管理人の元まで戻り、事情を説明した。管理人も飛鳥の事情はわかっているので、すぐに対応してくれた。

 管理人と共に部屋へ行き、玄関ドアをマスターキーで開けると「私は待っているので中の様子を見てきてあげてください。何かあったら呼んでください」と管理人は言ってくれた。


 大翔は室内に入る。飛鳥さん、と声を張り上げながら。隼人はやはりいないらしい。

 真っ直ぐにリビングへ向かう。いつもの見慣れたリビング。ガラスのテーブル、そのそばにあるのは――主のいない車椅子。


(誰も、座って、ない?)


 そんな見慣れない車椅子を見た後、視線を動かす。すると床にうずくまる何かが見えた。苦しそうに息を乱している、その人は――。


「飛鳥っ⁉」


 急いで駆け寄り、肩を支えようと手を伸ばした。しかし眉をひそめ、歯を噛みしめる苦悶の表情を浮かべる飛鳥を見たら、今は動かしてはいけないと思った。どうやら車椅子から落ちてしまったらしい、どこかを打ったのかも。


 外にいる管理人に話し、救急車を要請した。

 その間、大翔は飛鳥が床についた頭が痛くないようにタオルを当てたり、大丈夫だからと声をかけたりした。


(オレがずっとそばにいられたら、こんなことには……)


 車椅子から落ちてしまったら助ける人がいないと飛鳥は冷たい床から離れることもできない。すぐに助けを呼びたくても、運良く携帯とか連絡手段がなければ呼ぶことも難しい。今回はたまたまだ、自分がマンションに来たから。飛鳥が携帯で話すことができたから。


(なんか悲しい。こんなつらい思い……飛鳥にもうさせたくねぇよ……)


 程なくして救急車が到着し、飛鳥は容態を確認され、救急搬送となった。

 救急隊には飛鳥との関係を聞かれたので、なんと答えようか迷ったのだが。

 結局は「仕事の関係者です」と言ってしまった。言った後でそれじゃ仕事でしか関われないヤツみたいだと思って、なんだか嫌気が差した。


 救急隊に家族がいないかを聞かれ、隼人に連絡を取ってみようとした。だが飛鳥が「今は友達と出かけている」と、それを拒んだ。その結果「同乗をお願いできますか」と救急隊に言われたのだが――。


 ふと担架に横たわる飛鳥を見ると。彼はつらそうに口で息をして何かを訴えるようにこちらを見ていた。

 乗らなくていいぞ、とも。ついてきてくれるか? ……とも取れる表情。多分どっちも思っている。見ていればわかる、飛鳥の表と裏の気持ちなんて。

 病院なら自分がいる必要はない、でも誰かしら同乗は必要みたいだ。


(オレもアンタのことが、気になるから)


「わかりました」


 返事をすると、飛鳥は目を閉じて救急隊に身を委ねていた。安心したのか、疲れたのか。どちらかはわからないが、多分どっちもだろう。


(大丈夫だ、飛鳥さん。オレが話とか聞いててやるから、今は休めよ……)


 その後、飛鳥に付き添い、病院へ。

 検査と医師による診断の結果。車椅子からの転落による右肩の脱臼と右手指二本の骨折だった。

 脱臼は処置によって無事に治されたが、指の手術のことや飛鳥が身体障害者という点から他に異常がないかを検査することになり、飛鳥は数日間は入院することになった。

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