第19話 腰痛の所長は何を?

 無事にミーくんには弟が生まれたがママとパパが落ち着くまでミーくんを子守りしていたので、事務所に戻ったのは夜の七時頃だった。


「あ、大翔くん、お疲れ様〜」


 事務所にいたのは予想通り、高澤所長だ。

 所長もあのあと、よほど仕事をしたのか顔や衣服が泥だらけになっている。

 おまけに腰を押さえながら「いててて」とか言っているし。


「所長、どうしたんすか」


「あ、ははは……はぁ〜」


 所長は笑ってごまかしている。どうやら腰を痛めたスタッフのヘルプで行ったはいいが、今度は所長自身が腰をやったようだ。


「大丈夫っすか? 所長も若くないんだから〜」


「失礼だなぁ……君と七つぐらいしか違わないでしょ……いや、七つ違えばだいぶ違うか。あ〜あ、なさけないや」


 いつもはスマートでかっこいい所長が珍しく愚痴をこぼしている。飛鳥といい、この同世代は二面性があるのかも。


「所長、それで家、帰れるんですか? 自転車は無理っしょ? タクシー?」


「あ〜でも今日は自転車持って帰らないと行けなくてね、頑張って乗って帰るよ」


 けれど所長は歩くのもやっとだ。自転車に乗れる状態でないのは見ればわかる。

 大翔は(やれやれ)と思いながら苦笑いを浮かべた。


「……んなことできないでしょ〜? 自転車、オレが乗って行ってあげますよ。オレは自転車なくても家まで全然歩いて行けるし。所長はタクシー使って先に帰ってください」


「え〜、でもそんなことさせたら悪いよ」


 所長が遠慮するのはわかっている。だから所長が遠慮をしないために条件を出すのだ。


「んじゃ、所長、夕飯にうまい弁当発注で。所長んちで食べてもいいっすか?」


 所長は軽く目を見開いたあと、異議はなさそうに笑って「助かるよ」と言った。


 自分の家も所長の家も自転車で通える範囲だ。所長宅は飛鳥ほどの高層マンションではないが、静かなエントランスのあるオシャレなマンションだ。

 先にタクシーで向かった所長はエントランスで待っていた。建物の横に駐輪場があると言われ、自転車を停めて戻ると「部屋に誰か呼ぶなんて初めてだから緊張するな」と、おどけていた。


「あのさ、所長、恋人じゃねぇんだから」


 所長に肩を貸しながら歩き、エレベーターに乗り込む。所長は大翔の肩につかまっていたが「それは残念」とウソだかホントなのかわからない調子でつぶやいていた。


 エレベーターが目的の階につき、お互いに「よいしょよいしょ」と二人三脚のように歩き、所長の家の前にたどり着いた。

 所長が鍵を開け、玄関に入ると清潔感のある良い匂いがした。飛鳥も所長も“デキる大人”だからしっかりこういうところも抜け目なく、きっちりしているのがさすがだ。


(オレの部屋……ごちゃごちゃだからなぁ)


 家事は得意なんだけど。仕事と兄弟の世話をしていたら、その余裕はないのだ。

 それはさておき、所長を介助しながら奥に進み、電気を点けると。これまた綺麗に整理整頓されたリビングが待っていた。飛鳥宅はガラステーブルだったが所長宅は焦げ茶色木製テーブルと黒い革張りソファーだ。


「所長んちもオシャレなんすね、うらやましい」


 所長をソファーに座らせ、荷物を適当な場所に置く。


「所長んちも、ってことは、飛鳥の家もオシャレなのかな? どっちがオシャレ?」


「どっちもオシャレです」


「どっちもかぁ……じゃあどっちの家に住みたい?」


 そう言われても困る質問だ。どちらも自分の次元とはかけ離れているから、どっちも良いし、どっちも参考にしたい。所長、飛鳥と張り合っているのだろうか。


「ほら変なこと言ってないで。所長、なんか飲み物入れましょうか?」


「あぁ、うん。冷蔵庫にお茶が入っているから好きなの出してくれる? じゃあ僕は大翔くんへのお礼のお弁当を注文するかな」


「ゴチになりまーす」


 お茶を準備しながらそう言うと所長は笑っていた。

 しばらくすると家のインターホンが鳴り、注文した配達弁当が届けられた。


「わっ、すげー弁当!」


「大翔くんへのお礼だからね、奮発したんだよ〜?」


 所長が頼んでくれたのは肉たっぷり、揚げ物もたっぷりの豪華弁当だ。見ただけで腹が鳴り、すぐに「いただきます!」と箸をかまえた。


「……うまぁぁ」


「あはは、おいしそうに食べるね」


「だってオレの給料じゃ、こんなん買えませんもん。うまいし、最高っ」


 軽く給料への不満をこぼしてみると所長は笑ってごまかしている。


「いつかは大翔くんを正社員にしてあげたいとは思っているけどね。大翔くんはどうなの? ウチに完全就職する?」


「そうっすねー……正直、そこまではわかんないっす。でもこの仕事、嫌いじゃないから、そうなることもあるかもなー、って」


 まだまだわからない先のことだ。でも本当にやりたい仕事があるわけではないし、この仕事はクレームはあるけど楽しい。所長も良い人だ。


「大翔くん」


 真向かいに座った所長がお弁当を食べる手を止める。一方の自分は口の中に大きな角煮を放り込んだばかりで「ん〜?」とだけ、返事をした。


「大翔くんはさ、すごいよね。あの飛鳥に出張の同行も頼まれるなんて。本当にすごいことだよ」


 急にほめられ、また背中がむず痒い感じだ。


「だからずっと君がうちにいてくれたらいいのにって、僕は思っているよ」


「……またぁ〜、所長はオレをつけ上がらせすぎですよ」


 所長はいつもほめてくれる。そう言ってモチベーションを上げてくれているだけ、そう捉えていたのだけど。

 所長は笑みを浮かべながらも目は真っ直ぐで真剣で。見ているこちらを少々ドキッとさせた。


「大翔くん、これは本心だ。そして……飛鳥と君の信頼が結ばれていく一方で、僕は――」


「……え、なんすか?」


 最後の方が聞こえなくて所長に聞き返したが。所長は「なんでもないよ」と笑って、お弁当に視線を移していた。


(……所長? なに、今の……)


 気のせい……なのか? 所長が「苦しいな」と言った気がしたのは。

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