波乱万丈の出張と遊園地デート⁉

第20話 出張は緊張とイライラと

 歯磨き、着替え、タオル、整髪料、普段使うもの、プラス三日分の着替えを準備したボストンバッグは見たことがないくらい、ふくらんでしまっていた。


 それに加え、当日まで気づかなかったが。自分は飛鳥の荷物も背負って行かなければならなかった。なので結局は必要最低限、下着以外の自分の荷物は置いて行くことにした。

 だって自分は飛鳥の荷物に加え、車椅子に乗った飛鳥を押して歩かなければならないのだから……。


(別にシャンプー類はホテルにもあるからいいし、必要ならパンツだってコンビニにも売っているからな!)


 荷物については今後こういうことがあるというのを覚えておこう……またもし、出張の機会があるなら、だが。


 自分の仕事は飛鳥を目的の場所まで移動させることだ。電車に乗る際は駅員が手伝ってくれたが、それ以外の場所は全部やらなければならない。いつも使っている電動車椅子は大きくて狭い場所には不向きなので慣れない場所には乗っていけない、と飛鳥は言っていた。


 小回りの利く手動の車椅子。これがベストだ。しかしこれは人の手が必要となる。だから今まで遠方で打ち合わせをしたくても行けなかったらしい。

 それは不便だよなぁと飛鳥に同情しながらも「サービスで来ているおばちゃんに頼めばよかったじゃん?」なんて。道中、飛鳥に皮肉を言ってみたが飛鳥は返事をしなかった。


 それもそうだ。連日付き添ってもらわなければならないのに。それは相手によっては頼みづらいものだよな、意地悪で言ってみただけだよ、飛鳥さん、ごめんごめん。


 出張で訪れたのは電車と新幹線を乗り継いだ遠方の場所――大都会だった。

 空を見上げれば左右両側にガラス窓のビル群が立ち並び、片側四車線の道路は常に車が通行し、歩道にはビシッとスーツを着こなす男女のビジネスマン達が往来している。


 整った綺麗な白い歩道を歩くのが慣れず、違和感を覚える。まるで別次元の土地にいるみたいだ。

 しかし自分は車椅子を押しながら、そんな道を頑張って歩いている。 飛鳥には事前に「スーツを着てくるように」と言われたので、自分は唯一持っていたリクルートスーツを着用してきた。

 飛鳥に「そのスーツしかないのか」と文句を言われたのだが。スーツなんて高いし、今後スーツを使う機会があるのかもわからないしで「買いたくな〜い」と駄々をこねた結果だ。ホントに高いんだよ、スーツ。


 ……慣れない格好、それだけで暑くて苦しくて嫌な気分なのに。並んだビルの一つに入った時には全身からダーッと冷や汗が出た。


 無駄に広いロビー。会社に不審者が入らないようにと無言で立つ警備員。来客の対応をする綺麗な受付女性。今まで関わったことのない世界がそこにある。自然と後退りをしたくなる、萎縮というやつ。


(いやいや自分は黙って車椅子を押すだけ。それだけでいいんだ、頑張れ、逃げんな)


 飛鳥の指示通り、受付の前に来ると飛鳥はアポイントを取っていることを受付女性に伝えた。

 女性は「かしこまりました」と応対し、どこかに電話をかけ、電話口の誰かに約束があることを確認する。


 数秒後には「どうぞこちら」へと促され、応接間という静かな場所に案内された。向かい合わせで置いてあるソファーの一つをずらし、そこに飛鳥の車椅子を停止させる。

 自分は「そこに座れ」と飛鳥に促され、後ろ側にずらしたフカフカのソファーに居心地悪く座った。


 着席して一分もしないうちにドアがノックされる。お待たせしました、と言って入ってきたのは、 いかにもお偉いさんという感じの分厚いスーツを着た中年男性だ。


 飛鳥に「立って挨拶」と小声で言われたので立ち上がり、小さく会釈をする。

 飛鳥は自分が立ち上がれないことをお詫びし、車椅子に座った状態で深々と頭を下げる。その様子を見ながら(社会人って大変なんだなぁ)と苦手な『びじねすまなー』を異次元世界のように眺めていた。


 中年男性は「遠くまで申し訳ない」という感じで当たり障りのない言葉を述べると、飛鳥の向かい側に座った。

 そこからはビジネス的な話が始まったので、よくわからないまま自分は聞いていたのか、聞き流していたのか。内容は記憶にとどめられていない。

 ただ飛鳥の話す言葉がとても丁寧で流暢で、こんな一面もあるんだなぁなんて思いながら。静かに飛鳥のことだけを見ていた。


 三十分ほどしてか、話が終わったらしく「ではこれで失礼させて頂きます」と飛鳥が言った。

 大翔が車椅子を動かそうと立ち上がると、中年男性がゴホンと何かを言いたげに咳払いをした。

(んだよ)と心の中で思いながら、そちらに視線を向ける。


「狩矢さん、その方はあなたのお手伝いさんですかな」


「そうですが」


 飛鳥の返答に、中年男性は大翔を一瞥すると「ふーむ……なかなか滅多にいなさそうなヘルパーさんですね。まぁどこも人手不足ですからね」と無理に作ったような笑みを見せる。


(……うるせぇな)


 大翔の内心にジリジリと熱くて不快なものが湧き上がってくる。なんだこのジジイと思っていると自分の様子を察したのか。飛鳥が悪い空気を吹き飛ばすように言った。


「彼の存在にはとても助かっています。 彼がいないと私は何もできませんから」

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