第17話 飛鳥パパは戸惑う

 近くにある小さな公園を訪れるとミーくんの抱っこ紐を外し、地面に下ろしてあげた。音がピッピッと鳴る小さな靴を踏みしめ、砂を蹴り上げながら、ミーくんはあっちへこっちへと歩き回る。

 ちょうど近くには同年代の子やちょっと年上の子も遊んでいて、ミーくんは笑顔で「どーも」と言った感じで頭を下げて歩いていた。


「今からそんなに頭下げてどうすんだよ」


 その様子を見ながら大翔は笑う。

 すると公園の外から、自分を呼ぶ声がした。


「大翔くーん!」


 振り返ると、見知った顔が自転車にまたがりながら手を振っていた。


「あれー、高澤所長。何してんすか!」


 お昼には事務所にいたはずの所長が、いつものスーツを脱ぎ、白い長袖シャツとカジュアルパンツというスタイルで自転車に乗っている。たまに見かける姿だ。


「またヘルプっすか?」


「あはは、仕方ないよ。サービス入ってもらった途端に『腰が痛くて動けなくなりました!』とか……毎回あるとは想定してるからね〜」


 近づいてきた所長は苦笑いだ。立場的にスタッフに何かあれば急遽代理で入らなければならないのだ。


「みんなが君みたいに若ければいいんだけど、そうもいかないからね。身体が故障しやすくなるのは仕方ないんだよ、本当に〜」


「ハハ、オレもジジイになったらそうなんのかぁ」


「こら、ジジイなんて言わない。あっ、そこにいるのはミーくんじゃないか。大きくなったね。もうすぐお兄ちゃんになるんだっけ?」


 大翔の足元で「うー?」とつぶらな瞳を向けるミーくんを見て、所長は嬉しそうに笑った。


「所長、今日お兄ちゃんになるかもですよ」


「本当にっ? やったねぇ。じゃあ大翔くんも責任重大だな……一時間で大丈夫?」


「必要があればオレ、この後は空いてますから。ミーくん見てますよ」


 そう返すと所長は「さすがだね」とほめてくれた。また背中のむず痒さを感じる。


「大翔くん、ウチの会社入ってまだ二か月ちょっとだけど、立派になってるね。僕も誇らしくなっちゃうよ」


「やめてくださいよ〜、ほら所長、遅刻しますよ?」


 所長は「だなっ」と同意すると、ペダルに足を乗せた。

 漕ぎ出そうとした時だった。前を向いていた所長はチラッとこちらに視線を向けると。


「大翔くん、ずっといてくれたらいいのになぁ……」


 流れるように出たつぶやき。返事をする間もなく、数秒後には所長は「じゃ」と自転車をこいで行ってしまった。


「え? 所長、今なんて――あ、あぁっ、ミー君、そっち行っちゃダメだよ!」


 所長のつぶやきを気にする間もなく、トテトテと歩き出してしまったミーくんを追いかけ、大翔は公園内に再び戻る。

 子供の体力はつきることがない。でもまだ三十分も経っていないし、まだ家に帰ってもミーくんの両親も奮闘中だろうから、もうちょっと遊ばせておかないとだ。


「ミーくん、待て待て〜」


 ミーくんを追いかけていると公園内の噴水のそばに、見覚えのある後ろ姿を見た。

 まさか、と思った。けれどあの後ろ姿は間違いない。電動の車椅子、その背もたれからのぞくたくましさ感じる肩幅、整った短い黒髪。外にいる姿なんて初めて見たから声をかけずにはいられなかった。


「飛鳥さんっ」


 大翔はミーくんを抱っこして後ろから車椅子に近づく。すると車椅子の人物も気配に気づき、頭を動かした。


「なんでこんなとこ、いんの?」


 車椅子では後ろが向けないから大翔は前に回り、飛鳥の顔をのぞき込んだ。

 飛鳥は少し驚いたように自分を見上げると「お前か」と、いつもの無愛想で言った。


「アンタが外にいるなんて変な感じだな。ずっとパソコンとにらめっこして引きこもってばかりかと思ってたのに」


 いつも通り、軽く皮肉を飛ばしてやる。最近はストレス発散のために、こんなやり取りをしているが飛鳥からクレームが入ることはない。

 飛鳥はあきれたようにふぅっと小さい息を吐くと「俺だって用事がある」と言い返した。


「来週の準備もしないといけなかったからな。滅多には外に出ないんだが致し方ない。来週は必ず頼むぞ、お前が風邪引いてでも連れて行くからな」


 来週のことを言われ、大翔は背中がゾクッとした。嫌なわけではない。慣れない仕事にちょっと緊張、しかもこの男の相手だから。そんな心境なだけだ。


 大翔が「へいへい」と軽い返事で返すと、抱っこしていたミーくんが「パー?」と言って飛鳥の元へ行こうとしていた。憧れの人物でも見るように汚れのない瞳が飛鳥を真っ直ぐ見ている。


「こらこらミーくん、この人はパパじゃないからな〜」


「パ――ゲホッ」


 飛鳥がその一言にたじろいだようで、むせた。そんなに衝撃的なことを自分は言っただろうか。それとも飛鳥は赤ちゃんに免疫がないから、存在自体に戸惑うのだろうか。


(なんにしてもちょっと面白いかも、この戸惑った姿……滅多に見られないぞ)


 自分の頬がゆるめのを感じる。


「ん〜? どうしたミーくん……ん〜そうかそうか、このおじさんのことが気になるのか〜。おじさんに抱っこしてもらうか〜?」


 飛鳥は口に手を当て、恨めしげにこちらを見ている……おもしろすぎ。


「なぁ、飛鳥さ〜ん。この子、ミーくんっていうんだけど、アンタのこと好きみたいだよ。抱っこしてあげれば?」


「俺は赤ちゃんなんか抱っこしたことないんだ。落としたら大変だろ……」


 戸惑いがちに答える飛鳥が意外だ。もっと「嫌だ」と強い拒否をすると思ったが。

 落としたら大変……というのが、彼の優しさが含まれているように感じる。


(飛鳥さんって実は優しい心も、この鉄面皮の下に隠れているのか……?)

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