第13話 就職のきっかけ

「腹減ったー」


 目的の店の前に来るなり、肉の焼ける良い匂いが漂っていて腹がうなる。


「大翔さん、もちろんADセットでしょ」


「当たり前じゃん、隼人もイケるだろ」


「もちろ〜ん」


 二人でそんな声を上げながら店内に入ると、同じように空腹そうな学校帰りの学生や休憩をしているサラリーマンがいた。


 この店のオススメにはADセットと呼ばれるセットメニューがある。テレビ番組関係者のことではなく、エースデラックスの略で、この店で一番ボリューミーなパティ五段バーガーのこと。育ち盛りの年代にはありがたいセットだ。自分も学生の時にはよく食べていた。


「さすが、大翔さんも働いてるから、たくさん食べれるんだね! ねぇ、大翔さんってなんで家事代行スタッフになったの?」


 オーダーをテーブル備え付けのタブレットで終えてから、真向かいに座った隼人が聞いてきた。


「なんで? え〜っとだな……」


 実はその理由は、ちょっとだけ情けない。あまり言いたくはないのだが隠すことでもないかと思い直し、大翔は一つ咳払いをした。


「……オレの事務所の所長がいるんだけどさ」


 うんうん、と。隼人は楽しそうにうなずいた。


 あれはまだ高校卒業前の真夜中だ。

 自分はダチ数人とつるみ、真夜中もかまわずに出歩いて遊んでいた。それは日常的なもので母親もあきらめて注意もしてこない。ただ周りに迷惑かけないことが条件だったので、それはなんとなく、ちゃんと守るようにしていた。


 卒業近くで浮かれていた自分は、いつも立ち寄るコンビニでお菓子と飲み物の缶コーヒーを買うと、ダチとダベりながら歩いていた。

 テンションが上がっていた自分は周りが見えていなかった。楽しく話し込んでいたら、持っていた缶コーヒーが手からツルッと滑って飛んでいき――近くに駐車していた一台の白い車に鈍い音を立てさせたのだ。


「あっ!」


 思わず叫び、車に近づく。周りにいたダチも「あーあ」と落胆の声を上げる。

 白い車にはコンビニからの明かりでわかるぐらいの立派な黒い傷がついていた。こんなことならペットボトルにしておけばよかった、という無駄な考えを抱いてしまう。

 だがやってしまったのは事実だ。


 周囲を見回したが車の持ち主はいなかった、コンビニにいるのかもしれない。その状況にダチ数人がソワソワと落ち着かない感じになる。


「大翔、今ならバレないんじゃない?」


 そんな悪魔のささやきに大翔は息を飲んだ。ウチは両親共働きで家族が多く、お金に余裕とは言えない。だから修理代の請求は非情に困る、兄弟達のメシ代が削られてしまう。

 だからこのまま何事もなかったのように通り過ぎてしまえば、それで何も起こらなくなる。ただ自分の罪悪感が残るだけで。


『人に迷惑をかけたらちゃんと謝ること。そして自分が思う精一杯の誠意を見せないとダメよ』


 急に母親の言葉が思い浮かぶ。メイクして髪も明るく染めた、世間的にはチャラい母親と言われる母だが、言うことはしっかりしていた。

 そしてどんな時にも自分を見守ってくれている……口うるさくても癪に障ることがあっても、なんとなく逆らえないものがある。


「……お前ら、先に帰ってくれ、オレは残るから」


 大翔の言葉に、ダチは信じられないという表情を浮かべた。だがもう一度帰れと促すと申し訳なさそうにしながら手を振って帰っていった。


(いいんだよ、だってお前らは悪くねーし。オレがやっちゃったんだ、ちゃんと責任はとんねーとな……でも車の持ち主が怖いヤツだったらどうしよう。半殺しにされたり、山ん中に連れてかれたりとか。そりゃないよな……)


 不安も覚悟も抱きながら数分待つ。

 するとこちらへ向かってくるスーツ姿の男がいた。

 男は車のそばに立つ自分を見ると不思議そうに首を傾げて「どうかしましたか?」と落ち着いた声音で言った。

 大翔は傷の部分を指差して頭を下げた。


「すんません、オレ、ここを傷つけちまったんです。本当にすんません」


 男は指差された部分を見ると「あぁー」と声をもらした。残念そうな様子だ。いいよいいよ大丈夫、と言ってくれることも期待していたのだが、これはやはり弁償しないとかも。


 大翔は下げた頭を、ため息と共にさらに深く下げた。費用どうしよう、母さん怒るかなぁ……そう考えていると。男が「君」と声をかけてきた。


「君は学生さん、かな?」


「はい、もうすぐ卒業っすけど」


「そうか、もう就職先とか決めてる、よね」


「うーん、決めていると言うか、仕方なくやるというか」


 決めていたのは、とある運送業者のただのバイト。自分は受験する頭も金もないし、レベルの高い就職先もスキルがない。選ぶ余裕なんてないから適当に賃金の高い働き先を選んだにすぎない。

 やりたいことでもないし、それを“決めた”というのも、ちょっとおかしい気がする。

 だから「決めてます」とは言いたくなかった。


 男はにっこりと笑った。ものすごく年上という感じではなさそうな優しそうな男だ。


「ねぇ、卒業したら、よかったらウチで仕事しない? 嫌だったら修理費用が稼げるぐらいの期間でもいいけど」


 思いもしなかった男の提案。一瞬まずい仕事なんじゃないかと思い、ゾッとしたのだが。

 男はそんな自分の考えを察したのか、笑いながら「家事代行のお仕事だよ」と言った。


「家事? オレが?」


「うん、どうかな」


「こんなオレが、できると思う?」


「人を見た目だけで決めつけるものじゃないからね。実はそんな目つき悪くて怖い感じだけど、実はすごーく家事が得意だったりして?」


 男の笑顔を見ながら大翔は戸惑う。確かに下に弟や妹がいるから、家事は長男である自分の仕事だった。一通りのことはできるし、なんなら料理も親よりうまい。


「それに君は真っ直ぐだ。車に傷つけたことを隠さないで真摯にそのことに向き合った。そんな真っ直ぐな心を持った人が部下にいたら僕は嬉しいな」


 あと若いし、力ありそうだし、と男は付け足した。家事代行は以外と力仕事もあったりするが女性スタッフが多いから対応できないケースもあるらしい。


 大翔は迷った――数十秒だけ。

 そしてこの人の元で働くなら悪くないかな、と思った。

 いや働かざるをえないとも言える……車、直さないと。


「決まりかな?」


 男は嬉しそうに笑い、右手を差し出してきた。その手を取ると大人の力強い感触がした。


「じゃあ卒業したらよろしくね」

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