第12話 大きな子守り

 不意にリビングのドアが勢い良く開き、聞き慣れない呼び声がした。

 それは今さっき、とんでもないことをしてきた金髪少年の声で――彼は軽快な動きで自分の隣に駆け寄ると、好意的な意思表示をするかのように腕に絡んできた。


「ちょ、ちょっと、おい」


 その行動に、また自分の熱がぶり返す。今は触らないでほしい、ホントに……でもコイツ、人懐っこい性格なんだろうか。名前もちゃっかり覚えられている。


「大翔さん! このあと時間ない? 俺に付き合って欲しいんだけど 」


「こ、このあと? あ、あぁ……うん」


 考えもしなかった突然の誘いに大翔は言葉を詰まらせる。時間はあるけど、こういうのは業務内容にない。


「隼人、わがままを言うな。彼は仕事中だ」


 飛鳥がキッパリ答えると、隼人は唇をとがらせた。


「えぇ〜、でも延長できるでしょ? 兄貴、一時間延長してよ〜。俺、今はどうしても大翔さんと出かけたい気分なんだよっ」


 隼人はギュッと腕を強くつかまえ、離すまいとしている。確かにこの後、自分には予定がないから何かあれば延長はできる。仕事上、依頼主から希望があれば、できる限り対応するようにとも言われているけど。


(でもこのサービスの名目はなんだろう? 家族の外出同行? それとも、子守り?)


「ねぇ、お願いだよ、大翔さん」


 隼人は、またキラキラした瞳を向けてくる。美形がこんな感じでお願いしてくるのは反則だと思う。近くにいる、それだけで頭の芯が大きくぐらついているのに。


「えーと……飛鳥さんがいいんなら、所長に確認してみるけど?」


 飛鳥は渋い顔をしていたが、弟は言い出したら聞かないタイプだとわかっているのだろう。小さくため息をついていた。


 それなら、と立ち上がった大翔は腕を離してもらい、玄関に置いたトートバッグからスマホを取り出し、所長に連絡を取る。事情を――隼人に襲われたこと以外は話すと、所長は「すごいね、弟くんにも気に入られたんだ」と感心していた。

 答えはもちろんオッケーだ。気に入られたのかどうかはわからない。でもあそこまで熱心に頼まれたら断るのもかわいそうだ。

 リビングに戻ると隼人はニコニコして待っていた。


「所長のオッケー出たんで、外出もオッケー」


「やったぁ! じゃあ支度してくる」


 隼人はバタバタと自室に戻った。その様子を見ていた飛鳥は「悪いな」と不機嫌そうに言った。


「あいつは結構ワガママだ。言い出したら聞かないぞ」


「うん、まぁ、なんとかなるでしょ。オレとちょっとしか年も変わんないし、あんま気兼ねしなさそうだし」


 先程のことは置いておけば、だが。


「じゃ、一時間したらオレはそのまま帰るから……とりあえず行ってきまーす」


 リビングから出ようとした時、飛鳥が「大翔」と控えめな声で呼んだ。

 振り返ると飛鳥はこちらを見ている。


(え、今、名前を……)


「悪いな……子守りを頼む」


 初めて聞いた。自分を呼ぶ名前と。悪いなと労ってくれる言葉と。頼むという依頼の言葉。今日は驚きの出来事ばかりだ。


(……どうかこの後、悪いことが起きませんように)


 なんとなく、そう願ってしまう。 




 隼人に連れて来られたのは駅周辺にある商店街だった。わりと人通りも多く、若者向けに洋服やコスメ雑貨などの店も多い。どこかの店の、おいしそうな揚げ物の匂いも漂っている。


「隼人、よく来んの?」


「うん、しょっちゅう。家から近いし、友達と遊ぶにはちょうどいいよね。大翔さんもこの辺?」


「オレは隣の駅が近いんだけど、ここもたまに来るぞ。駅前にうまいハンバーガー屋があるよな」


 隣を歩く隼人は「さすがだね!」と目を細めていた。今日出会ったばかりとは思えない気さくさに自分も楽しくなってきた。


「で、隼人、どこに行くんだよ」


 大翔が問うと、隼人はキラキラした目を見開いて顔をのぞき込んできた。ちょうど同じ背丈ぐらいなので瞳は真っ直ぐにかち合っている。


 隼人はフフッと笑うと「さっきの続きしようか」と小声で言った。ちょうどバイクがブゥンと排気音を上げて近くを通過していったのに。隼人の甘えるような声はハッキリと聞こえてしまった。


「な、何言ってんだよっ!」


 思わず隼人から一歩退く。先程の耳を噛まれた感触がよみがえってしまい、頬が熱くなった。


「ハハハッ、大翔さん真っ赤になっちゃって! かわいいなぁ……あっ、ウソだよ。いやホントはしたいけど、今はガマンしますよ」


 今は、ってなんだ。そのうちはガマンしないのか。自分年下にからかわれているな、ガツンと言ってやった方がいいのか?


「とりあえず無理に連れてきてごめんよ、大翔さん。今はね、大翔さんと話したい気分だったんだ。だって今までなかったんだもん。スタッフで入った人が年が近くて男で、しかもこんなにかわいくてノリがいいなんて。俺、楽しくてしょうがない……だからつい襲っちゃった」


 今までの人はみんなおばさんだったし〜興味なんかわかないし〜と。隼人は軽く毒づくと、また大翔の腕をつかまえた。


「でも今は一時間だけ、大翔さんは俺のもんだから。俺のお願い聞いてくれるんでしょ。じゃあさ、ゆっくり話したいから、駅前のハンバーガー屋に行こうよ、俺、腹も減ったし」


「……そう言われるとオレも減ったな」


 ちょうどオヤツの時間だ。子守りついでに、この身体は立派で精神はヤンチャな子守り対象とオヤツを食べておこうと思い、駅前の店へ向かった。

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