第3話 性悪過ぎぃぃぃ
そこはリビングで間違いはない。
だが見慣れない身としては雑誌やテレビで紹介されるモデルルームのようなおしゃれなレイアウトに唖然としてしまった。
こういうのはモダン、というのだろう。全体的に黒で統一されたソファーやカーテン。ガラスのダイニングテーブルにセットであろう黒い革張りのダイニングチェアが二脚――ということは家族は二人か。
床は深い茶色をしたフローリングで掃除が行き届いて光っている。でも絨毯がどこにも敷いていないことから足は寒くないのかな、なんて余計なことを思ってしまう。
奥にはシステムキッチンがあるが調理器具や調味料は最低限のものしか目視できない。すごく整然としているということは料理はあまりしていない。料理は嫌いなのか、じゃあサービスで調理はないかな。
「……今度はずいぶん、変わった人材だな」
室内に気を取られていると小馬鹿にするような声がした。見ればダイニングテーブルのそばには依頼主らしき存在が控えていて、自分を冷めた視線で“見上げて”いる。
(こ、こいつが、狩矢飛鳥……)
そこにいたのは右のアームレストにあるレバー操作で移動ができる大きい電動車椅子に乗った男だ。ツーブロックの短い黒髪に彫刻のように整った顔立ち。アイロンが効いたワイシャツは仕事ができる男というのを体現しているようだ。
男は車椅子に座ってはいるが引き締まった体格をしている。両腕をよく使うのか、シャツの上からでも腕の太さがわかる。多分立ち上がったら165センチしかない自分より背が高いだろう。
感じたのはそれだけではない。この部屋の状態、整った依頼主の容姿……この依頼主はかなり潔癖で神経質だ。こだわりが強く、自分の意志は絶対に捻じ曲げないタイプだ。だからこそのクレーマーなのだろうが。
そしてこの依頼主が“助けを必要としている”その理由は彼の足元にある。車椅子の下、グレーでチェック模様の膝掛けに隠されたそこには――その下が、ないのだ。太腿から下……いや膝辺りから下が。
だから車椅子に座っていても自分より目線は下にある。それでも漂ってくる威圧感はハンパない。何もしていないのに、もう文句でも言われそうな、ピリピリした空気を感じるが変な魔力でも放っているんじゃないだろうか。
「あー、どーも……えー、猫の手の桜井大翔です。依頼、ありがとーございますー」
棒読みの挨拶を済ませ、相手からも一言ぐらい「よろしく」的なものがあるかと思い、相手の出方を伺った。
しかし依頼主――狩矢飛鳥は面倒くさそうに肩をすくめると、ダイニングテーブル上に置いたノートパソコンへと車椅子ごと方向転換してしまった。
なるほど。床に絨毯がない理由とダイニングチェアが二脚しかない理由は車椅子だからだ。移動の妨げになるのだ。
そして……この態度が依頼する会社を転々とさせる要因だ。
「……掃除と洗濯だ。掃除機等は玄関の右手にある脱衣場を見ればわかる。道具はなんでも好きに使え。きれいになれば手順はかまわない。玄関から入って左手前は弟の部屋だから入るな。俺は仕事をしている。質問は必要最低限にしろ」
説明をザッと済ませると依頼主はパソコンにのみ視線を向け、立ち尽くすこちらには目を向けなくなった。
大翔はしばし呆然とした後で、くるりと身体を反転し、廊下を通って脱衣場へと向かう。脱衣場は兼洗面所だった。浴室とトイレにも繋がっている。なるほど、掃除機やバケツや雑巾、各所の洗剤類……それらは全部ここにそろっている、言われた通りだ、わかりやすくてありがたい。
(つーか! なんなんだ、このムシャクシャはぁぁ! つーか、なんだアイツ! 何様だっ!)
ふと洗面所の鏡に映る自分の顔を見る。顔は完全に引きつっていて、怒り狂う手前だ。ヤバいヤバい、仕事は笑顔でねって所長に言われてんだ。
(はぁぁぁ、クソクソ、笑顔っ!)
トートバッグから会社支給の青いエプロンを取り出し、身に着ける。悪態は声に出さないように内心で叫びまくる。
(あれじゃクレームうんぬんじゃなくて単なる性悪野郎じゃねぇーか! 確かに身体が不自由で大変だろうよ! できないこともあって、あきらめなきゃなんないこともあるから、つらいことも多いんだろうよ! だからって人を雑に扱うんじゃねぇーよ! だから独りモンなんだろ、あいつっ!)
このままでは大声で文句をたれてしまいそうだだ。ヤケクソ気味に大翔は立てかけてあったコードレスクリーナーを手に取り、掃除を始めた。掃除機の排気音が鳴っているのをいいことに「性悪性悪」とブツブツとつぶやいてやった。
(……ん、でも二十五歳ってことは高澤所長と同じか。もしかして同級生とか? 知り合いみたいな感じだったし)
それなら所長の期待と面目もあるから仕事はきちんと片付けなければならない。
いや違う、仕事はきちんとできる。自分にできないのは家事仕事以外のことだ。午前中と同じで接客っていうやつ。むしろ今回の場合は相手から接客すら拒否されているんじゃねーの、と思うけど。
むしゃくしゃしながらも掃除機を、弟の部屋と言われた場所以外の各所かけていく。再びリビングに行くと依頼主は変わらずパソコンと向き合って、マウスを動かしたり、キーボードを打ったりしていた。その眼差しは真剣だ、デキる男の目だ。見た目はカッコいい、そう思える。
邪魔にならないように注意し、テーブル周囲に掃除機をかけていると。テーブルから何かが落ちようとしているのが目の端に見えた。どうやら依頼主の腕に当たって勢いよく、その何かがはじかれてしまったらしい。
「うぉっと」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます