第2話 クレーマーん宅へゴー!

(しっかし、所長の大丈夫っつ〜あの根拠はなんなんだろうなぁ、ただの当てずっぽうかぁ? この案件、メンドクセェからオレに当てただけだったりしてな)


 いや所長は適当なことは言わないタイプだ。だから純粋に期待だろうな、とこちらも思うことにしておこう。成功したら時給上げてくれるかもだし。


 依頼主の名前は狩矢飛鳥かりやあすか。名前だけ聞くと女性っぽいが立派な男性、二十五歳。この仕事の多くは女性だと子守りや子供の送迎などの子供関係、高齢者だと室内の掃除や買い物代行など体力仕事が多いが、若い男性からの依頼というのはちょっと珍しい。

 だが依頼書に書かれた情報を見れば、所長が“助けを必要としている人”と言った意味は理解ができた。


(さて、いっちょ頑張るかっ)


 正面玄関であるガラスの自動ドアを抜けると、中は広々したエントランスになっていた。待ち合いに使える向かい合わせのソファーと並んだ郵便受けポスト。オシャレな小さなカウンターは管理人と応対をする場所らしく、管理人常駐の札が置かれていて、隣にはチーンと音が鳴る呼び鈴が置いてある。


 そこを通り過ぎると、またもや大きな両開きのガラス扉だ。すぐそばには数字が並んだインターフォンがあり、そこを押して住人に許可をもらわなければ中には入れないということだ。


 さすがの自分でも使い方ぐらいわかる、あまりやったことないけど。だって“ダチ”とはいつも外で待ち合わせだし。彼女なんてめんどくさいもんは作ったことないから誰かの家とか行ったことないし。自分の家は残念ながら二階建てアパートの一階だし。


「え〜っと3101……」


 数字を人差し指で押しながら部屋番号を唱えてしまった。ピンポーンではなく、ピロロロという音が、ささやかな音量で鳴る。ささやかなのはこのエントランスが非常に静かだからだろう。駅チカなのにこの静けさ、さすがこの地域一の高級高層マンションだけある。


(ん、3101、もしかしなくても最上階じゃねーか? マジか)


 金持ちだなぁなんて思っていると。インターフォンから「はい」と答える低めの声がした。


「あ、こんちわ。猫の手でーす」


 挨拶の決まり文句を述べると絶対開けないと言わんばかりに閉じていたガラス扉が、ずぅんと重い音と共に開いた。とりあえず住人のお許しは出た、さてここからが問題だ。


 ガラス扉を抜けると二つ並んだエレベーターがあった。文字盤にはやはり1から31までの数字と屋上を表すRの文字がある。相手先はやはり最上階だ。

 ボタンを押してエレベーターへ。31の数字を押し、最上階へ。これまた静かなエレベーター内部だ。多分、卵を立てても倒れない性能を誇るエレベーターだろう。


(うわ、ちょっと緊張するわ……会った瞬間、そのナリはなめてんのか、とか言われたらどうしよ)


 ガラにもなく緊張したから、その場で肩回しをした。内部が広いから肩回しも楽々だ。


(だ、大丈夫大丈夫、いつもみたいにやりゃいーんだ。クレームつけられたら、それで終わるだけだ……あぁでも、高澤所長の知り合いなんだから顔を立てないとまずいかなぁ)


 らしくないモヤモヤに一人で葛藤している間にエレベーターは最上階についてしまった。さすがに高層階だから廊下も吹き抜けではなく、ホテルの廊下みたいにあたたかくて快適な空間になっている。床もグレーの絨毯だ。

 目的の部屋はエレベーターを出て右の通路を数歩行って、すぐの部屋だ。そこには黒いドアが待ち構えていた。横にはシルバー色をした表札に狩矢という黒文字が表記されている。


「はぁ……さて、やるぞ。大丈夫、オレならできるさ」


 ウダウダしていたって始まらない。クレーム上等、クレーマーどんとこいだ。

 大翔は右手の握った拳を左手で受け止め、パァンと音を鳴らしてからインターフォンを押した。

 数秒経ってから「どうぞ」と低い声の応答。ドアノブを引っ張り、黒いドアを開けながら「おじゃましま~す」と言って中へ入ると、ウッディ系の落ち着く香りが漂っていた。


 どうぞ、と言ったわりには。明かりのついた玄関で本人は待っておらず、真っ直ぐ伸びるフローリングの通路向こうからやってくる気配もなく。玄関からでも見えるリビングに繋がっているだろう部屋のドアは閉じたままだ。


(……こっちから行った方がいいのかな。向こうは“移動が大変”だろうしな)


 大翔は「入りまーす」と声をかけ、自分の赤いトートバッグから自前のスリッパを出して室内に入った。

 廊下の左右には全部でドアが五つある。おそらく二つはトイレと浴室。他は自室とか仕事部屋とかだ。


(あれ、家族、誰がいたんだっけ。ちゃんと依頼書、全部確認していないからな)


 芳香剤であるのか、ウッディな香りがいい匂いで意図的に鼻から息を吸ってしまう。誇張しすぎていない控えめな香りは森の中みたいだ。


 意を決し、大翔はゆっくり足を進め、先はリビングであろうドアを押し開ける――するとそこにもウッディな匂いが漂っていた。


「うわ、すげぇ」


 息を飲む空間に、思わず小さく声が出てしまった。

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