第4話 言っちゃった!
スイッチが入ったままの掃除機を左手に持ち替え、利き手を使って瞬時に、大翔はそれをキャッチした。硬くて冷たい小さい物――黒いスマホだった。
掃除機の排気音が鳴っているからどうせ聞こえないと思い、大翔は無言のまま依頼主にスマホを手渡した。すると男は今までの仏頂面ではなく、少し驚いたように目を見開いていた。
(な、なんだよ、何びっくりしてんだよ。オレが速攻でキャッチできたから? それとも仕事で使っていた大事なスマホが落ちかけて衝撃的だったから?)
スマホを渡す時、依頼主の手がかすかに触れる。その手はしっかりと温度を持っていた。
反して態度は礼を述べるでも頭を下げるでもなく、実にクールだ。スマホを黙って受け取ると、依頼主はまたパソコン画面に目を向けていた。
(……礼ぐらい言えよな)
また心の中で文句を言いながら大翔はイラ立ちをぶつける勢いで掃除機をかけ続けた。
掃除機がけを終え、浴室とトイレの掃除も終え、次に回し終わっていた洗濯干しへと取りかかる。
掃除をしていて思ったのはさすがグレード高いマンションだけあり、浴室の浴槽は足が伸ばせるぐらい広いし、トイレも寝られそうなぐらい 広々していたということだ。
一方、なるほどなぁと納得する点もある。どこも広々としているのは依頼主が車椅子生活だからだ。浴室には一般家庭にはないリフトという物が設置されていた。一人用の椅子のエレベーターみたいな機械でそれに乗り移り、リモコン操作で浴槽から上がったり入ったりができるという福祉用具という物だ。
そしてトイレにも浴室にも壁に固定された手すりが何ヶ所もあった。これは依頼主が腕の力を使って自力で移動するのに使っているのだ。だって支点に使う両足がないのだから腕を使うしかない。
(腕だけでなんて……オレには無理だな)
だからこそ依頼主の腕はあんなにたくましいのだろう。自らやらなければ常に誰かの手を借りないと生活できなくなる。他のサービスでも何人かいるが高齢や障害が重いほど自力での生活は難しくなる。ちょっとしたことでも助けを必要としなければならないし、される方も申し訳がなかったり、それが煩わしかったり。
依頼主はそれが嫌だから自分自身でなんとかしようとしているのだろう。けれどできない部分もあるから、そこは金を払って支援を受けている。
こういうのって障害者なんちゃらとか、そういうサービス的なの、ないのかな。その方が安上がりな気がするんだけど……まぁ、人のことをとやかく言える立場でもない。依頼主には己の考えがあるのだ。
洗濯機に入っていた洗濯物のシワを伸ばし、洗濯カゴに入れたところで「これはどこに干すんだ」という問題が生じた。今、依頼主に聞いても大丈夫だろうか。仕事中だとあしらわれないだろうかと気になるが、こっちだって仕事なのだ。
恐る恐るリビングへ行き、相変わらずパソコンを見つめる依頼主に「すんません」と声をかけた。
「洗濯、どこに干したらいっすか」
なるべく当たり障りのないようにと思ったが、やはり普段のままの話し方になってしまう。
語尾を略さずちゃんと『です』を使いなさい、と所長や先輩方にもよく言われるけど。意識しても習慣づいたものは、なかなか離れないものだ。
それでダメならダメでいいやぐらいに、いつもかまえているけど……社会人としては自分磨きもしないとかなぁって、ちょっとは考えてもいる。
声をかけられた依頼主は大翔の方を向いた。その顔は笑うことはないが不機嫌そうでもなかったので、ちょっとホッとした。
「脱衣場の向かいの部屋に干す場所がある」
意外にもすんなり教えてくれた依頼主に「了解っす」とだけ返し、廊下に出ようとした時だった。
「お前」
突然、後ろから聞こえた短い問い。何か文句でも言われそうな口調に振り返る気になれず、大翔は首だけを動かし、自分の肩ごしに依頼主を見た。
「会社、入って何年だ?」
「会社? 二週間」
「二週間?」
「はい、二週間……なんかあります?」
思わずケンカ腰になってしまい、ヤベェと内心焦る。別にもめたいわけじゃないが相手の言い方も悪いのだ。
たった二週間なのか、みたいな捉え方をコイツはしている……雰囲気でわかるんだよ。
「二週間、そんなものか……これがあいつの会社のレベルか」
なんともトゲのある口調だ。二週間もいるのにその程度なのか。そんなヤツが自分の家に来て仕事をしているのか。そんなヤツを送る会社も問題だな、と言われているような気がした。
(なっ、なんだよ、会社の悪口、言うんじゃねーよ。オレを派遣した高澤所長が悪いみたいになるじゃねーか)
文句が出そうだ、我慢しなきゃ、でも……と拳を握りしめてしまう。
「……悪いっすけど。手が空いてるのがオレしかいなかったんで、我慢してくれます? イヤなら別にいいんで事務所に言って、交代でもなんでもしてもらってくださいよ。人がいるかどーか、わからねぇっすけど」
……言っちゃったぁぁぁ。
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