第5話 嘘だろ、まさか
あぁ! 我慢してたけど……そんなことを言い捨ててしまった。血の気が引くというのは、こういうことだ。
慌てて脱衣場に戻って洗濯物を回収し、言われた通りに脱衣場の反対側の部屋へと入る、というか逃げ込む。そこには物干し台があり、ピンチハンガーもかかっていて部屋の隅には、ちゃんと除湿機も置いてあった。
(あ、頭がボーッとする……と、とりあえず洗濯干さなきゃな……)
そう思いつつ、手は動くけど手が震えてくる。洗濯物が揺れる。
(うぅ……す、すんません、高澤所長……オレ、またダメかもしれないです〜……!)
歯を食いしばり、洗濯物を干しながら内心は高澤所長への謝罪に満ちていた。やってしまった、所長に悪いことをした、よろしくと言われていたのに……これはもう絶対にクビだよな。
(し、仕方ない、仕方ないって……あんな性悪男、オレと相性悪すぎなんだもん……)
今更後悔したって遅い。気持ちは重たいが頼まれた仕事を終えたので依頼主の元へ戻り、終わったことを伝える。
パソコンを見ていた依頼主は「あぁ」と答えただけだった。自分も「失礼しまーす」とだけ返してマンションを後にした。
駅チカ高級マンションから『猫の手』の事務所までは自転車で十分ほどの距離。住宅街のアパートの一階に、ひっそりとコンビニぐらいの広さをした事務所がかまえてある。自前のマウンテンバイクを事務所裏の駐輪場に停め、金属ドアを開けてすぐ――高澤所長が笑顔で待ちかまえていた。
「お疲れ様でした。大翔くん、どうだった? できたかな?」
こんな時に、なぜ所長は出迎えてくれちゃうのか。出張に行っていてほしかったぐらいだ。なんなら声もかけないでいい、放っておいてほしい。
労いの言葉が重い、重すぎる……そう思いながら大翔は「ダメでしょうねぇ」と苦笑いした。
すると高澤所長は驚いた表情で首をかしげた。
「えっ、ダメ? なんでだい? そんなことはないでしょ〜」
「いやいや無理ですって。あんなクレーマーというか、恨みつらみを、ちまちまガスガスと相手にぶつけるようなタイプ。大変だってのはわかるんですけど、それにしたってあんな性格――」
「だって今さっき電話があって、週三の定期で頼むって電話があったよ?」
所長の言葉を聞き、口から出ようとした言葉は冷凍銃でもくらったように固まってしまった。頭の中では今聞こえた単語のいくつかがあちこちにぶつかって跳ね返って、リフレインしている。
しゅうさん、ていき、たのむ……?
しゅうさん、なんだそれ? なにさん?
「……大翔くん? ひーろーとーくーん? おおーい」
頭の中のリフレインに身を任せていると高澤所長の振っている手が見え、現実に戻った。
事務所の中はまだ誰も戻っていないなぁ、自分と所長の二人だけ。自分はまだ他の人みたいに定期的な仕事がないからなぁ、と。ぽやーんとしながら考えていると再び所長の声がした。
「おーい、大翔くん、聞いてるかーい? 先程の狩矢飛鳥さんから定期のご依頼がありましたよー。月、水、金の午後の今日と同じ時間で、今日来たスタッフで入ってほしいそうですよー。お願いできますか?」
「え? え? ちょ、ちょ、そんなわけないでしょっ? だってオレ――」
アイツの家で何も善行したわけでもない。むしろ軽口? いや重口叩いて「くそくらえ」みたいなことを言っていた。
それなのに定期ってなんだ。一週間に三回……それって仕事的にはありがたいお得意様だって、前に所長も言っていたよな。
というかアイツの家に週三で入らないといけないのか。あんな態度を週三もくらわないといけないのか。それってなんだか罰ゲームじゃね?
しかし高澤所長の嬉しそうな表情を見ては「嫌です」とも言えず。自分の脳内には“週三定期”の文字しか入っていない。
(週三も入るなんて……あの男、そんなに手助けが必要な感じではないのに。弟もいるなら弟も色々やるだろうに)
あれこれ考え込んでいると高澤所長が「大丈夫だよ」と伝えてくるかのように肩をポンッと叩いた。
「お客様は大翔くんを選んでくれたんだ。大翔くんがいいって思ってくれたんだよ。それは嬉しいことじゃないかな?」
「は、はぁ」
「さすが、大翔くん。僕は期待していたよ」
所長は満面の笑みを浮かべていた。そんな所長を見ていると(良かったなぁ)と思えるけど。
でも自分のあの態度、言動、表情で? めでたく週三定期獲得? ……うそーん、と思いながら、引きつった笑いを浮かべるしかなかった。
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