第51話 入院エンジョイ

 左右にある車椅子の車輪を手でつかみ、大翔は入院仲間の合図を待った。

 目の前に広がるのは日の当たる長〜い廊下。今なら邪魔者は誰もいない、まっすぐに伸びたコースだ――本当は病院の待合に使う廊下だけど。


 それを見つめるのは自分と。隣で同じように車椅子を動かそうと手をかまえる同年代の入院仲間。彼とは知り合いでもなんでもない。この病院に入院して退屈な入院生活を送っている間にいつの間にかできた、入院トモ“ダチ”というヤツ。楽しいヤツだから、退院しても遊べるように連絡先交換しとかないとなぁ、と思っている。


「はーい! じゃあ二人とも位置について――レディーゴー!」


 車椅子のダチとは、また違う入院“ダチ”の合図で。大翔は車椅子の車輪を全力で前に回した。車椅子はものすごいスピードで前に前にと進んでいき、たまに軸がぶれて壁にぶつかりそうになる。壁ならまだしも人にぶつかったら大変なので誰もいないこの隙に、この車椅子レースをやるのが最近の楽しみだ。


 車椅子のダチも全力で車椅子を自走させている。額に包帯を巻いた痛々しい姿なのに、たまにこちらを見てはニヤッと笑っている。


「くそ、負けてたまるかぁっ!」


 車椅子のダチが叫んだので「オレだって負けねぇよ!」と大翔も叫ぶ。

 ゴールまで、あと数メートル。

 腕を回せ! 車椅子ぶっとべ!


「オレはどこだって飛んでやるんだー!」

 ……今は両足折れてるからできないが。

 そう叫び、全力疾走したところで目印のゴールラインであるドアの前を通過した。車輪を押さえ、ブレーキをかけると隣を走っていた車椅子もキュッとブレーキをかけて止まる。


「よっしゃ勝ったぜー!」


 先にたどり着いたのは大翔だった。大翔はガッツポーズをするとダチに向かって「これで牛乳一本だからな!」と言った。お金はかけられないから、実は牛乳をかけた勝負だったのだ。


「くっそー! また大翔に負けた! もう一回やろうぜ、もう一回!」


「いいぞ! じゃあ次はメロンパンかけようぜ」


 そんなやり取りをしていた時だ。静かだった廊下に騒ぎを聞きつけた看護師が怖い顔をして現れた。


「ちょっと皆さん! またですかっ!」


 廊下中に響き渡る声で看護師は叫んだ。


「ヤバい、逃げろ逃げろ!」


 大翔とレースに参加していた入院ダチは、それぞれの部屋へと逃げていく。大翔もちょうど近くだった自分の部屋に逃げるとスライドドアを勢いよく閉めた。


「あっぶね、また超絶厄介な説教タイムになるとこだった〜」


「やれやれだな」


 ホッと胸をなで下ろしたのも束の間、一人部屋である自分の部屋にもう一人の気配を感じ、大翔は車椅子が揺れるぐらい飛び上がった。


「お前、また車椅子でレースなんかしてるのか。入院しているのに元気ありすぎだろ」


 半分あきれが混じるその声は聞き慣れた男の声だ。そして懇意にしているというのに、くだらないものを見るような冷めた目で自分を見ている。


「だってよ、入院してる間って暇なんだよー。両足はなかなか治らないし! アンタは明日退院できるからいいよなぁ」


「俺は骨折していないからな」


「へっ、オレが助けに行ったんだから、ありがたく思えよな。でもオレも毎日牛乳摂取してたから両足の骨折ぐらいで済んだんだよ、きっと」


 ギプスと包帯を巻き、ガチガチに固定された自分の両足を示しながらそのことを自慢してやる。

 そんな自分と同じく車椅子に座った飛鳥は「いつでもお前はおもしろいよな」と、また呆れているように言った。


 けれどそう言って飛鳥が自分にあきれていも、見放しているわけではないことはわかっている。むしろ、あきれているけど憎めないヤツ……そんなふうに思っているんじゃないかな。


「飛鳥さん、退院したらちゃんと見舞いは来てくれるんだろ? おみやげつきで」


「みやげか……何がいいんだ?」


「まず食い物っ! 病院食だけじゃ足りねぇもん」


 腹を押さえて訴えると飛鳥はまた「やれやれだな」と苦笑した。


 あの日、オレは。あの建物から飛鳥を抱えて飛び降りた。

 その結果、オレの足は見事に両足骨折。でも幸いなことに飛鳥は身体の打撲はあるものの、他に大したケガはなかった。

 病院に運ばれてからは検査だなんだで入院生活。自分の入院はまだしばらく続き、異常のない飛鳥は明日、先に退院する。また今までみたいに、あのマンションで生活ができるのだ。


「はぁ、オレの退院って、まだまだ先なんだよなぁ、退屈だ。毎日車椅子レースしたい。もしくはスマホいじりたい、ゲームしたい」


「そんなこと愚痴るより、早くケガを治してくれないと困る。誰が俺の家を掃除してくれるんだ」


 亭主関白めいた飛鳥の発言に「エラそーに!」と大翔は笑ってツッコんだ。車椅子の車輪を動かし、飛鳥へと近寄る。


「大丈夫だよ。オレが治るまでは『猫の手』のエライ人が代行で入ってくれるって」


「……夕か、あいつも細々と俺の世話を焼こうとするし、小うるさいんだ」


「あはは、まっ、しばらくは我慢してやってよ。所長だってアンタのことを心配してるんだから」


「心配しすぎだ」


 飛鳥はブツブツ言っているが、なんだかんだ友人である高澤所長のことは大事で気に入っているのだ。


「ホント、素直じゃないよね〜」


 大翔が二人のことにニヤけていると「うるさい」と飛鳥は鼻で笑う。


「お前こそ、退院したら、また俺の家に来てくれるのか」


「そんなもん当たり前だろ。アンタの家に行けるの、オレしかいねぇんだから」


 飛鳥は「そうか」と言いながら一瞬目をそらし、何かを言いたげに口をつぐんだが……ちょっとしてから、また自分の方に目を向けた。

 そして「それは仕事か」と口にした。


「ん? ……仕事?」


 そう問われ、大翔は首をかしげる。どういう意味だ……仕事だろ? 週に三回二時間だけの。

 最初はそんなに入るのかよと思っていた。性悪なアンタのせいで入るのが憂鬱だった。いつからだろう。アンタを見ていて、アンタがイイヤツに感じて、アンタのために動きたいと思うようになったのは。

 今は、この男は。オレにとって人生の一部。離れたくない相手……あぁ、なるほど。仕事ってそういう意味か。そうだよな……自分はこれからも“仕事”で飛鳥の家に入りたいのかな……?


「飛鳥さん、オレは――」


 大翔は一度深呼吸をした。

 自分が望むことを、やるために。


「あのさ、オレは別にアンタのところに行くのはイヤじゃない。むしろそうしたいくらいだ、だけどさ……アンタの世話をしてほしいなら、それなりの対価っていうのがオレだって欲しいんだよ」


 大翔は車椅子を動かし、さらに飛鳥に近づいた。車椅子が幅を取っているから、完全に横づけにはできないけれど。彼の顔を十分見られる距離には来ている。

 大翔は気合いを入れ、真っ直ぐに飛鳥を見つめる。言い切ってやるんだ、と決めているから。


「飛鳥さん、オレに世話して欲しけりゃ代価をよこせよ。オレだって人間だ……割に合うものがないとやってらんないんだ」


 飛鳥は無表情でこちらを見ている。端正な顔がまるで時を止めた石像のようになり、少しの間ずっと同じ顔で、まばたきだけをして止まっていた。コイツ、話聞いていなかったのかな、と思ったが。

 飛鳥は一度目を閉じると静かに息を吐いた。


「今まで、ずっと他者を望まないと誓っていたんだ。オレが望めば、その相手を苦しめることになるからだ。俺は何もできない。相手を頼りにしなければ何もできない……それは相手にとっては、とても負担なことだ。俺は負担を与えたくなかったんだ」


 それは飛鳥の優しさゆえ。わかっている、今ならわかる。

 でもオレのことを思うなら、逆に受け入れてほしいものだ。


 飛鳥が、自分が納得がいく言葉を言ってくれるまで。大翔は待った。だが次に告げられたのは、目が点になる驚きの一言だった。


「大翔、ずっと気になっていたことがあるんだが……お前、子供が生まれるんじゃなかったのか?」

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