第50話 大きく翔ぶ、オレ

 二階のホールには誰もいない。なら三階だと思って同じように階段を駆け上がって声をかけたが、また誰もいない。

 次は四階、五階……六階に上がったところで。大翔は自分の呼吸がとても苦しいのを感じた。少し煙を吸い込んだのかも喉が痛い。


「飛鳥さーん!」


 そんな痛みなど気にする余裕はない、とにかく彼の名を叫んだ。館内は階下の騒ぎも関係なく、火災報知器もいつの間にか停止していて驚くほどに静かで自分の声がよく響いている。気持ち悪い感じだ。


 横数メートルに渡る巨大な展望用のガラス窓からはオレンジ色に染まる空が見える。本当なら「いい景色だなぁ」なんて眺められるはずなのに。


「飛鳥さんっ!」


 ここにもいなかったら、どうしたら。いや、いてくれ、応えてくれ。

 祈る思いで、叫んだ直後だ。


「……大翔?」


 ずっと望んでいた返事が聞こえた。電動車椅子のレバーを操作してスッと姿を見せた飛鳥は驚くでも喜ぶでもなく、無表情でこちらに移動してくる。


「何をしている」


「な、何を、じゃねぇよ! 飛鳥さんを探しに来たんだよ! 今何が起きてるか、わかってんだろ⁉ 早く行かないと――なぁ、聞いてる⁉」


 飛鳥は返事をせず、目を外へ向けている。騒ぎなど自分は関係ないといった感じで「俺は、いい」と、こんな時に何を言ってんだという返事をした。


「俺のことはいいから、お前は早く行け」


「はぁ、何言ってんだよ⁉」


「エレベーターが動かなければ俺は降りることができない」


 飛鳥は冷静に現状を述べる。確かにそうだ、この車椅子で降りるにはエレベーターがなければならない。でもそんなこと、言ってられない。


「アンタのことはオレが助ける。だからオレと一緒に行くぞ! 早くっ!」


 大翔がそう叫んだ時だ。階下から何かが爆発したような衝撃と建物全体を揺るがす振動があった。今、ここは静かだが、これはマジでやばいかも。火災が広がるか、下手すればこんな古い建物、倒壊してしまうかも。


「飛鳥さん、早く行こう!」


「俺は行かな――」


 大翔は手を横に振り払い、飛鳥の言葉を遮った。


「ふざけたこと言ってんなよ! オレがなんでここまで来たと思ってんだ! オレはアンタとじゃなきゃ生きている意味を感じねぇってわかったんだよ! やりたいっていうことが、なくなっちまうんだよ!」


 喉が痛いのも気にすることなく全力で叫ぶ。


「オレはアンタが好きだ! これからもずっと一緒にいたい! アンタの世話をしたい! それがオレのやりたいことだ! アンタも自分の気持ちに素直になれよ! アンタはオレと、どうしたいんだよっ⁉」


 飛鳥はつらそうな表情で唇を噛んでいる。ここに来て、この状況だ。もう自分は助からないと、あきらめていたのだろう。

 でもそれは自分が許さない。


「飛鳥っ! 行くぞ!」


 もう一度、声を振り絞ると。飛鳥は観念したように顔を上げた。


「俺もお前と、生きたい……お前がいなければ俺は何もできない。だが俺はお前に何もしてやれることがない」


「そんなことねぇよ!」


 大翔は飛鳥の言葉を否定し、駆け寄った。

「何をする気だっ⁉」と驚いて自分を見上げる飛鳥を無視して。

 大翔は飛鳥の腕の下から自分の腕を背中まで差し入れ、左手を太腿の下に入れた。


「お、おいっ⁉」


「アンタは何もできねぇなんてことはねぇ! そんな身体でも、できねぇことなんか何もねぇんだよ! オレがいるからなっ!」


 大翔は喉から思いっきり声を上げ、飛鳥の身体を持ち上げた。そして急いで階段へ向かった。飛鳥のことは絶対に落とすまい、離すもんかと頭の中で叫び、歯を食いしばり。飛鳥を抱えて階段を駆け降りる。

 二人分の体重を支える足が降りる度に、重力でめちゃめちゃ痛い。でも気にしない。気にしている場合じゃない。痛くなんかない。


 息を吸って、大翔は雄叫びを上げた。じゃないと腕に力が入らなかった。

 だが階下へ戻るごとに煙の匂いが増していく。二階へ着いた時には、視界も黒い煙に覆われかけていた。煙を吸っちゃダメだ、と大翔は息を止める。


(やばい、下まで降りられない)


 階段から下を覗こうとしたが下は煙に包まれている。

 出口はないものか、他に。

 飛鳥を抱えながら、大翔は自分の目の前に広がるガラス窓を見た。


 外はきれいな夕焼けだ、こっちとは別世界だ。

 地上からは十メートルくらいかな。

 死にはしないかな、でも痛いかな……。


「飛鳥さん、オレにしっかりつかまって」


「大翔、お前っ――」


 戸惑いがちな言葉に、今は返事はできない。

 大翔は床に転がっていた石の塊を思いっきり蹴り上げ、ガラス窓にぶつけた。

 するとガラスが砕け、破片が外に向かって飛んでいく。展望台は外の世界とつながり、新鮮な空気を流してくれた。ほんのちょっと呼吸ができた。


「飛鳥さん、行くよ」


「大翔っ⁉」


 いつも二人で移乗をする時みたいに。そうすれば、お互いに思いを合わせることができるから。


「せぇーの!」


 大翔は飛鳥の身体を抱きしめたまま、二階から地上に向かって飛んでいった。


『お前は大きく飛んでいくんだろうな』


 それがオレの名前だから。そしてそれは飛鳥がいつか、オレに言ってくれた言葉。

 オレが飛べるなら、アンタだって飛べる名前じゃんか。オレが飛ばしてやるよ。

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